三浦綾子「帰りこぬ風」読了。
本作「帰りこぬ風」は、1972年(昭和47年)8月に主婦の友社から刊行された長篇小説である。
この年、著者は50歳だった。
悪い男に騙された若い女性の転落と再生の物語
秋元治『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(136巻│ぼくたちの東京タワーの巻)収録の「熱球の友情(擬宝珠纏 野球少女編)」に、三浦綾子の名前が出ている。
かつて野球チームでバッテリーを組んでいた女性(瞳小夜子)が、大麻の密売取引に関わっていたことを知って、纏は大きなショックを受けるが、事務所に乗り込んだ両さんは、小夜子を素晴らしい言葉で説得する。
「人間、つまづくのは恥ずかしいことじゃない! 立ち上がらないことが恥ずかしいんだぞ!」(秋元治『こちら葛飾区亀有公園前派出所』136巻「熱球の友情(擬宝珠纏 野球少女編)」)
このセリフは、作家・三浦綾子の言葉であることが、後に紹介されるが、その言葉の出典となっている作品が、本作『帰りこぬ風』である。
ただし、こちらの物語には、警察官も暴力団も麻薬の密輸組織も出てこない。
主人公(西原千香子、22歳)は、札幌市内の石狩病院に勤める看護師である。
文学好きの青年(広川さん、28歳)に惹かれるほど、千香子は清純な気持ちを持った女性だったが、女たらしの医者(杉井田先生)に口説かれて、心も体も(預金通帳までも)与えてしまう。
長期入院患者の広川さんは、千香子の様子から、何かを感じ取っていたらしい。
「広川さんは重大な過失を犯したことがある?」広川さんは、ちょっと眉根をよせてわたしをじっと見た。注射を終ると、広川さんはわたしをみつめたまま、「千香ちゃん。自分の過失は、自分が忘れれば、それで消えるというものではない、ということを知っていてくださいよ」と言った。(三浦綾子「帰りこぬ風」)
杉井田先生は、相変わらず「結婚しよう」と言って肉体を求めてくるが、病院内の職員や患者の家族にも手を出しているという噂が伝わってくる。
千香子の心の葛藤は、広川さんとの対話を通して提示される場合が多い。
病室まで送って行き、ベッドにねかせてあげると、広川さんは、はじめてポツリとこう言った。「千香ちゃん。一生に一度も転んだことのない人間は、いないんですよ」(三浦綾子「帰りこぬ風」)
やがて、杉井田先生から、若い入院患者(栗巻可奈子)との結婚披露宴の案内状が届き、千香子の信頼は完璧に裏切られるが、杉井田先生は、結婚式の直前になって、可奈子の母親である栗巻夫人と駆け落ちしてしまう。
さらに、杉井田先生の子どもを抱いた本間さんが現れて、自分は杉井田先生と入籍までしていると公表する頃には、千香子の友人(民子)までが、「実は一度だけ杉井田先生とセックスしたことがあるの」と告白する。
周囲から様々な警告を受けながら、初めて愛した男を信じた千香子は、クズ男の見本のような杉井田先生に、簡単に騙されてしまった。
ボロボロになった千香子を救ってくれたのは、やはり、広川さんだった。
広川さんが、いつかいってくれた。「この世に転ばなかった人は、一人もいませんよ」人間にとって、転んだことは恥ずかしいことじゃない。起き上がれないことが恥ずかしいことなのだ。さあ、汝に命ずる。起きよ! 西原千香子よ!(三浦綾子「帰りこぬ風」)
『こち亀』で、両さんが「わしの好きな言葉だ」と言っているのが、この場面のセリフである(両さんは、どこで、この言葉を覚えたのだろう? そして、纏ちゃんは、この言葉が三浦綾子のものであることを、どうして知っていたのだろう?)
本作『帰りこぬ風』は、悪い男に騙された若い女性の転落と再生の物語だが、文学青年(広川さん)の登場によって、随所に文学作品からの名言が引用されている。
「パリサイ女って、なあに?」「そうですねえ、いってみれば、自分は他の人より正しいという意識が、強すぎる女のことかな。人間はみんな、パリサイびとですよ」(三浦綾子「帰りこぬ風」)
『パリサイ女』は、フランスの作家・モーリヤック(フランソワ・モーリアック)の作品名である。
「人の一生は、人の思うほど、善くもないし、悪くもない」たしか、モーパッサンは「女の一生」の中でこういっていた。(三浦綾子「帰りこぬ風」)
ダンテ『神曲』からの引用もある。
広川さんは、じっとわたしを見ていたが、「われを通る者は、憂いの街に至るか」とつぶやいた。「なあに、今の言葉?」「ダンテのね、『神曲』にあった言葉ですよ」(三浦綾子「帰りこぬ風」)
地獄の門が言った「罪を犯す者は、憂いの場へ行きつく」という意味を持つ、この言葉は、最後まで千香子を縛り続けた(恋もまた「地獄の門」になり得たからだ)。
「この間、ヘッセを読んでいたら、いい言葉が書いてあったよ。<人生を明るいと思う時も、暗いと思う時も、私は決してののしるまい>っていう言葉なんだ」兄は、おほりの青い水を眺めながら言った。(三浦綾子「帰りこぬ風」)
千香子の兄は、ヘッセが好きだったのだろうか。
「そうか。まあ、人間何も読みたくないこともあるさ。ヘッセは、<真に偉大な人物は、みな瞑想することを心得ていた>とも言ってるよ」(三浦綾子「帰りこぬ風」)
後に、広川さんも、千香子に対して「あなたにはヘルマン・ヘッセがいいな」と言っている。
ロシア文学では、ツルゲーネフが登場している(千香子は『初恋』を読んでいた)。
ツルゲーネフは、「愛は死よりも強し」とうたった。死よりも強い愛をもたぬわたしは、まだ本当の恋がわからないのだろうか。(三浦綾子「帰りこぬ風」)
時代のせいなのだろうか、千香子の周りには読書家が多い。
「わたしは、もっと自分をみつめる本を読みたいと思ったのよ」すると彼女は即座に言った。「シェイクスピアをお読みなさい」(三浦綾子「帰りこぬ風」)
広川さんは、また、(「ちょっと忍耐を要するけれど」と言いながら)ドストエフスキーを勧めてくれた。
「千香子さん、ドストエフスキーは、堕落の中で最も軽蔑すべきものは、他人の首にぶらさがることだと、『未成年』の中で言っていますけれどね。怒らないでくださいよ。あなたには、どこか、そんな言葉を銘記しておくべき甘さがありますよ」(三浦綾子「帰りこぬ風」)
作品名「帰りこぬ風」は、聖書からの引用である。
本屋を出ようとしたら、レジの横に聖書が並んでいた。何気なくパラパラと開いてみると、妙にわたしの心を惹く言葉があった。<神は、彼らがただ肉であって、過ぎ去れば、再び帰りこぬ風であることを、思い出された>(三浦綾子「帰りこぬ風」)
千香子にとって、杉井田先生は、既に「帰りこぬ風」である。
あるいは、自分自身でさえ、「帰りこぬ風」になってしまいかねないことを、千香子は知っていたのだ。
こういう小説を読んでいると、文学作品には人生を救う可能性があるのだということを、改めて感じさせられる。
まるで名言集のような恋愛小説だった。
北海道文学の持つ「強さ」
本作『帰りこぬ風』は、1970年前後の札幌市内が舞台となっている。
今日は病院のすぐそばの、札幌神社の裏で、恒例の職員スキー大会があった。(三浦綾子「帰りこぬ風」)
札幌神社は、1964年(昭和39年)に「北海道神宮」へ改称されているが、札幌市民の間では、まだ「札幌神社」という呼称が一般的だった(後に「北海道神宮」という言葉も登場している)。
ただし、札幌神社の裏で「恒例の職員スキー大会があった」という部分が不明。
職員スキー大会を行うほどの敷地が、当時はあったのだろうか。
夕方、寄宿舎へ帰ったら、珍らしく東京の兄からハガキが来ていた。「ストーブのそばで、ぬくぬくと過す札幌の冬がなつかしいよ。東京の冬は寒い」(三浦綾子「帰りこぬ風」)
実は、自分の実家も東京だが、冬には、すっかりと帰省することがなくなってしまった。
雪害さえなければ、冬は、東京よりも札幌の方が過ごしやすい(現在も半袖Tシャツ一枚で、この記事を書いている)。
講演が終ると、柳子さんは多喜二の死について興奮していた。わたしは多喜二よりも、有島武郎の作品が好きだといったら、「あなたはあなた、わたしはわたし。それでいいのよ。わたしも多喜二の作品が一番好きというんじゃないのよ。でも、たった今、彼のことを聞いた二十四歳のわたしとしては、このぐらい興奮してもいいと思うの」(三浦綾子「帰りこぬ風」)
小林多喜二と有島武郎は、北海道文学で欠くことのできないスター作家である。
これから北海道文学を読もうという人は、大抵の場合、小林多喜二『蟹工船』は、有島武郎『カインの末裔』から入ることになるだろう。
多喜二と有島は、いずれも生活の苦しい人たちの立場に立った文学を志そうとしたところに共通点がある。
華やかな文学へ憧れる人に、北海道という土地は、そもそも向いていないのだ。
厳しい生活に根差した文学が、北海道にはある。
それが、北海道文学の持つ「強さ」だったのではないだろうか。
本作『帰りこぬ風』は、様々な文学作品への広がりを感じさせてくれる恋愛小説だ。
テーマは「挫折と再生」だが、若い女性を主人公として据えることで、共感しやすい物語となっている(杉井田先生も分かりやすいくらいクズ男に描かれている)。
書名:帰りこぬ風
著者:三浦綾子
発行:1983/03/25
出版社:新潮文庫