村上龍「限りなく透明に近いブルー」読了。
本作「限りなく透明に近いブルー」は、1976年(昭和51年)6月『群像』に発表された長篇小説である。
この年、著者は24歳だった。
単行本は、1976年(昭和51年)7月に講談社から刊行されている。
1976年(昭和51年)、第19回群像新人文学賞受賞。
1976年(昭和51年)、第75回芥川賞受賞。
将来に不安を抱えた若者たちの自傷行為
『限りなく透明に近いブルー』は、暗い小説である。
将来の見えない不安を抱えた若者たちの自傷行為が、延々と繰り返されている。
ジャクソンが歌いながら僕の顔に跨る、ヘイベイビイと平手で頬を軽く叩きながら。ジャクソンの肛門は巨大で捲れ上がりまるで苺のようだと思う。ジャクソンの厚い胸から落ちる汗が顔にかかりその匂いは黒人女の尻からの刺激をより強める。おい、リュウ、お前はまったく人形だな、俺達の黄色い人形さ、ネジを止めて殺してやってもいいんだぜ。(村上龍「限りなく透明に近いブルー」)
繰り返されるセックス(乱交パーティー)で得られるものは快楽ではないのと同じように、彼らにとってドラッグもまた、自傷行為の一つの形態にすぎない。
一丁上がりでっせえ、どうでっか? オキナワは笑って針を抜く。皮膚が震えて針が離れた瞬間、もうヘロインは指の先まで駆け巡り、鈍い衝撃が心臓に伝わってきた。(村上龍「限りなく透明に近いブルー」)
ドラッグだけではない。
アルコールやロックンロールや、退廃的な若者たちにとって、本来、快楽であるべきものが、ここでは若者たちの痛々しい自傷行為として描かれている。
この物語の根底にあるのは、現代社会を生きる(生きなければならない)若者たちへの同情である。
セックスとドラッグとロックンロールが延々と繰り返される中、この作品が、少しも暴力的でないのは(ヴァイオレンスが足りない)、彼らの反社会的な生活が、センチメンタルな観点に立って描かれているからだ。
この作者が梶井基次郎の小説を読んでいるのを知って、一切のことが腑に落ちた。私がとまどったのは、この作者の抒情性のせいだった。(丹羽文雄「村上君の作品」芥川賞選評)
刺激的なフレーズを並べておきながら、彼らを包む抒情性は、若者たちの自虐的な青春を如実に浮き上がらせている。
むしろ、作者は、若者たちが持つ心の傷の深さをしっかりと表現するために、セックスやドラッグといったディテールを、細部まで丁寧に描き込む必要があったのだろう。
それは、自分たちの中に潜む闇を直視しなければならないという、文学に与えられた責務として読むことができる一方で、そのような表現手法を選択することに対する嫌悪感を、同時に産んだことは想像に難くない。
特に、戦前から芥川賞に関わってきた永井龍男は、『限りなく透明に近いブルー』の芥川賞受賞を機に、選評委員からの引退を正式に表明する。
選評の終りにこの一節を引用し、私は日本文学振興会に芥川賞委員辞任を申出た。私の「老婆心」が、新機運の邪魔になっては申訳ないと思ったからのことで、別に他の理由はなかった。これで無軌道なマスコミから離れられると思うと、文字通り一陣の清風を感じた。(永井龍男「回想の芥川・直木賞」)
『限りなく透明に近いブルー』は、アメリカとの密接な関係が濃厚に描かれた小説である。
混血児が黒人に犯される乱交パーティーは、被虐的な日本を象徴的に描いたものだが、こうした現実を素直には受け入れることのできない世代間格差というものが、そこにはあったのではないだろうか。
1988年(昭和63年)にアルバム『FATHER’S SON』を発表した浜田省吾は、「戦後日本の民主主義は、アメリカの原爆にレイプされて生まれてきた子どものようなもの」と発言している。
戦後日本は、アメリカと日本との混血児であると、浜田省吾は主張しているのであり、その象徴的な作品となっているのが「BLOOD LINE(フェンスの向こうの星条旗)」である。
犯されて Since 1945
生まれて詰めこんだ
大量のジャンクフードと
アメリカンパイ
浜田省吾「BLOOD LINE(フェンスの向こうの星条旗)」
おそらく浜田省吾の作品は、『限りなく透明に近いブルー』から何らかの影響を受けていると思われるが、浜田省吾にしろ、村上龍にしろ、彼ら戦後生まれの世代は、「アメリカに強姦された日本」という現実を、客観的に表現することができた。
実際に占領の苦汁を舐め、理不尽な暴力というトラウマを抱えた永井龍男と彼らとは、あまりにも価値観が異なっていたのだろう。
『限りなく透明に近いブルー』が直視するものは、自分の中に潜む闇であると当時に、現代社会に潜む闇でもある。
いつか君にも黒い鳥が見えるさ、まだ見てないんだろう、君は、黒い鳥を見れるよ、そういう目をしてる、俺と同じさ、そう言って僕の手を握った。(村上龍「限りなく透明に近いブルー」)
黒い鳥を見るためには、まだまだ現実と向き合う必要があった。
その過程は、あまりにも自虐的で痛々しくて切ない。
戦後日本の自分探しの物語
彼らが生きている戦後日本は、彼らの生活を豊かなものにしているのだろうか。
「もうすぐ何聞いてもたまらなくなるようになるかも知れないな、みんななつかしいだけになってさ。もう俺はいやだよ、リュウはどうするんだ? もうすぐお互いにはたちになるんだからなあ。メグみたいになるのはいやだよ、メグみたいな奴を見るのももうごめんだな」(村上龍「限りなく透明に近いブルー」)
もうすぐ二十歳になるということは、彼らが、現実社会に参加しなければならない日が近いことを暗示している。
大人になることの恐怖が、少年たちの退廃的な生活の背景を構築しているのだ。
現実を直視しつつ、現実から逃避しなければならない。
そこに、この物語のメッセージがある。
リリー、俺帰ろうかな、帰りたいんだ。どこかわからないけど帰りたいよ、きっと迷子になったんだ。もっと涼しいところに帰りたいよ、俺は昔そこにいたんだ、そこに帰りたいよ。リリーも知ってるだろ? いい匂いのする大きな木の下みたいな場所さ、ここは一体どこだい? ここはどこだい?(村上龍「限りなく透明に近いブルー」)
しかし、主人公の求める「いい匂いのする大きな木の下みたいな場所」は、既にない。
日本は戦争に負けて、新しい国家として歩き出していたからだ。
1979年(昭和54年)、『限りなく透明に近いブルー』を映画化したとき、村上龍は主題歌「青い夕焼け」の歌詞を自分で書いた。
暗闇に抱かれて お前は眠り続ける
暗闇の中で いつまで夢を見続ける
早く目を覚ませ もう真昼なのに
お前の足元の影は短い
カルメン・マキ「青い夕焼け」
夢を見続けているのは、セックスとドラッグの生活から逃れられない彼ら自身だ。
足元の影が短いのは(もう真昼なのは)、彼らがやがて二十歳になろうとしていることを意味している。
大人になることへの焦りが、この歌では明確に描かれている。
お前が愛した青白い夕焼け
溶け合うために走り続けて
全ての灯りが消える頃
暗闇の彼方でひとり
お前の吐く息が光り輝く
カルメン・マキ「青い夕焼け」
「青い夕焼け」は、もちろん、映画タイトル『限りなく透明に近いブルー』を象徴するものだっただろう。
黒い鳥を見た直後、主人公(リュウ)は、限りなく透明に近いブルーの夜明けを見る。
血を縁に残したガラスの破片は夜明けの空気に染まりながら透明に近い。限りなく透明に近いブルーだ。僕は立ち上がり、自分のアパートに向かって歩きながら、このガラスみたいになりたいと思った。(村上龍「限りなく透明に近いブルー」)
やがて、二十歳になり、黒い鳥の中に飲み込まれていく主人公は、もちろん、黒い鳥の全体を見ることはできない。
彼が飛び込んでいこうとしている世の中は、あまりにも大きすぎる世界だからだ(狭い部屋の中の乱交パーティーとは違う)。
不安の中で彼は、ガラスの破片を通して、「限りなく透明に近いブルー」という新しい可能性を見つける。
奇妙な自分探しの旅に、微かな光が射しこんだ瞬間だった。
本作『限りなく透明に近いブルー』は、19歳の少年による、自分探しの物語である。
「その小説読んでリュウのこと考えたわ。あたしリュウもこれからどうするんだろうって考えたわ、その男のことはわからないのよ、だってまだ全部読んでないんだもの」(村上龍「限りなく透明に近いブルー」)
そして、主人公の自分探しの旅は、戦後日本の自分探しの旅でもあった。
極めて限定的な世界を描いているようで、この物語の世界観は果てしなく広い。
手元にある講談社文庫の帯には「300万部突破超!」「もっとも読まれている芥川賞作品」とある。
多くの芥川賞作品が、歴史の中に埋もれていく中、『限りなく透明に近いブルー』は、今もなお、現代性を有し続けている。
我々は、『限りなく透明に近いブルー』の延長線上で生きているのであり、『限りなく透明に近いブルー』の世界観から逃れることは、おそらく永遠にできないだろうからだ。
『限りなく透明に近いブルー』は、暗い小説である。
この暗さの中に光を見つける作業こそが、読者に与えられた宿題なのかもしれない。
書名:限りなく透明に近いブルー
著者:村上龍
発行:1978/12/15
出版社:講談社文庫