文学鑑賞

小沼丹「懐中時計」ロンジンと囲碁で描かれる亡き旧友の回想記

小沼丹「懐中時計」あらすじと感想と考察

小沼丹「懐中時計」読了。

本作「懐中時計」は、1968年(昭和43年)6月『群像』に発表された短編小説である。

この年、著者は50歳だった。

作品集としては、1969年(昭和44年)4月に講談社から刊行された『懐中時計』に収録されている。

1969年(昭和44年)、第21回読売文学賞小説賞受賞。

懐中時計が繋いだ二人の友情

小沼丹の作品には、昔の友人を懐かしんで書かれている小説が多いのだろうか。

本作「懐中時計」は、かつて早稲田文学で同僚だった友人<上田友男>について書かれた回想録である。

作中で二人の間を結び付けているのは、一個の懐中時計だ。

上田友男と一緒に酒を飲んで泥酔した夜、<僕>は腕時計を紛失してしまう。

<僕>の失敗談を聞いて、友人の上田友男は嬉しそうに、くすん、と鼻を鳴らした。

それでも、一緒に飲んでいたからという理由で、上田友男は、自宅に保管してある古いロンジンの懐中時計を譲ってやろうと<僕>に持ちかけるが、値段の折り合いがつかない。

二人の間で、ロンジンの懐中時計は、挨拶代わりに交わされる格好のネタとなった。

上田友男は、<僕>にとって囲碁の師匠でもあった。

いつか二人は、囲碁の好きな<石川>という老先生のところへ行って、囲碁を打ったことがある。

そこには、石川さんの友人の<荒田>という老人も来ていたが、この荒田さんの奇怪な囲碁が、二人を大いに面喰わせる。

<僕>と上田友男の間では、相変わらず、ロンジンの懐中時計について値段交渉が続けられていたが、折り合いはなかなかつきそうになかった。

ある日、石川さんのところで囲碁を打ちながら、何気なく荒田さんの近況を尋ねたとき、<僕>は、荒田さんが既に亡くなっていることを知る。

僕は驚いた。恐らく、あの突拍子も無い奇声を聞いたときも、これほど驚かなかったかもしれない。石川さんはそれから、荒田さんの話をして呉れたが、その話は忘れてしまった。(小沼丹「懐中時計」)

<僕>が、それほどまでに驚いた理由は、「人間が死ぬ」という簡単な事実を、まったく認識していなかったということに尽きるだろう。

やがて、<僕>は、上田友男から、彼が愛用していたというパイプを譲り受ける。

どうやら、身体の調子が良くないから煙草をやめるということらしい。

その後、上田友男は酒も断ったようで、<僕>が酒席で上田友男と一緒になることはなかった。

二人で交わした懐中時計の約束も忘れられようとしていた頃、突然の訃報が彼の元に届けられる。

多分、その翌日の夕方だったろう、上田友男の所属する学部から電話が掛かって来た。何の用事だろう?と思ったら、それが上田友男の死を知らせる電話であった。──上田友男先生がお亡くなりになりましたので、お知らせいたします、と女の声が云った。(小沼丹「懐中時計」)

上田友男が死んだときと同じように、今年も図書館の傍の辛夷が花を咲かせた。

雨に濡れた辛夷の花を見て歩き出そうとしたとき、上田友男が、くすんと鼻を鳴らすのを聞いたような気がした──。

解説付きの人生なんておもしろくない

この物語の主人公は、友人の上田友男だが、小説としての焦点は、二人を結び付けている懐中時計に当てられている。

人との交友を題材にするとき、小沼丹は、こうして人間以外のものを主題に据えることが得意だった。

懐中時計の話題は、二人の友人同士の距離感を顕著に示唆してみせる。

冒頭では、二人で大いに酔っぱらって、著者は記憶と腕時計を失ってしまうほどだが、物語の終盤において、上田友男は病気を理由に酒をやめてしまっている。

時間が容赦なく流れていく様子を、懐中時計は、冷静に見つめているわけで、ここに小沼文学の大きな特徴が現れている。

書かれていることは、どうしようもないくらい情緒的なのに、主人公が物体としての懐中時計だから、必要以上にベタベタとなったりしない。

もちろん、著者は、主題と一定の距離を置くために、このような手法を取っているのだろう。

僕は傘を上げて、辛夷の花を見た。図書館の古びた壁を背景に、花や蕾が白く浮んで雨に濡れていた。傘を元に戻して、歩き出そうとしたら、くすん。と、上田友男が鼻を鳴らすのが聞えた。一体、彼奴は何が可笑しかったのかしらん? 僕はそんなことを考えた。(小沼丹「懐中時計」)

上田友男は、一体何がおかしくて、鼻をくすんと鳴らしたのか。

いつものように、その答えは書かれていない。

解説付きの人生なんて、ちっともおもしろくないに決まっているのだ。

作品名:懐中時計
著者:小沼丹
書名:懐中時計
発行:1991/09/10
出版社:講談社文芸文庫

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。