文学鑑賞

河合隼雄「こころの読書教室」心理学者の視点で深読みする読書ガイド

河合隼雄「こころの読書教室」あらすじと感想と考察

河合隼雄「こころの読書教室」読了。

本作「こころの読書教室」は、2006年(平成18年)3月に岩波書店から刊行された『心の扉を開く』を改題のうえ、2014年(平成26年)2月に新潮文庫から刊行されたエッセイ集である。

単行本刊行時、著者は78歳だった。

自分の中にある「わけのわからないもの」が「それ」

本作「こころの読書教室」は、心理学者の視点から文学作品を読み解く読書ガイドである。

文芸評論家とは異なる、いわゆる「深読み」の解釈がおもしろい。

たとえば、フィリップ・ピアス『トムは真夜中の庭で』に出てくる「庭」は、心理学的解釈によると、トム自身の無意識ということになる。

つまり、言ってみれば、心の扉が開いて、違う世界「それ」の世界に入っていったわけです。入っていったのだけれど、今までみたいに恐ろしい世界ではなくて、むしろこれは、すばらしい庭として出てくるのです。(河合隼雄「こころの読書教室」)

この物語は、夏休みにおじいさんおばあさんの家へ遊びに行ったトム少年が、真夜中に庭を通って昔の時代へ行ってしまい、その時代の少女と仲良くなるというタイム・スリップ・ファンタジーである。

「それ」のことを、ドイツ語では「エス」言うが、心理学者のフロイトは人間の「無意識」のことを「エス(それ)」と呼んだ。

自分の心(いわゆる「自我」)の中にある「わけのわからないもの」が、つまり「それ(無意識)」だ。

本書では、文学作品を「自我と無意識」という観点から徹底的に深掘りしていく。

村上春樹的にいえば、これこそまさに「井戸掘り」のような読書法だ。

井戸掘りの読書法では「庭」に着目することが多いらしい。

庭というのもいいですね。庭は自分の敷地内だけれど、家の中とは違う。それは、「自我とそれ」というのと似ているでしょう。ところが、その庭もいつも知っている庭ではなくて、全然、知らない庭がそこにある。ということは、もっと深いところへ入り込んだわけですね。(河合隼雄「こころの読書教室」)

「人間は皆、心の中に自分の庭をもっています」と、著者は言う。

『トムは真夜中の庭で』の場合、その「庭(無意識)」はプラスの方向で表出された物語だったけれど、「庭(無意識)」がいつもプラスのものであるとは限らない。

むしろ、普段の様子からは想像もできないマイナスのものが、「庭(無意識)」にはある可能性がある。

深層心理学的に解釈されることの多い村上春樹の小説なんて、ほとんどネガティブな無意識を物語化したものだ(「路地」とか「森」などとして)。

ちなみに、『ねじまき鳥クロニクル』に出てくる「井戸」は「id(イド)」とも読めるけれど、ラテン語の「イド」は、ドイツ語の「エス」、つまり日本語の「それ」ということになるらしい。

だから、「井戸を掘る」という行為は、心理学者的には「無意識を掘る」という行為になるわけだ(村上さんがそんなことを考えていたかどうかは別として)。

河合隼雄は村上春樹がお気に入りらしく、本書では『アフターダーク』を深掘り解釈している。

男女の関係は「魂」の関係である

夏目漱石の『それから』の深読みもおもしろい。

『それから』は、親友の妻に恋をして、世の中から追放されてしまうまでの過程を描いた物語だが、著者は加藤典洋の解釈を引用している。

西洋の魂というのに引かれていくんだけど、これは日本人として罪ではないかという、その葛藤の中をずっと漱石は生きた、そう思うと、漱石の作品を読んで、何度も出てくる男女のあいだの葛藤は、単純な男女のことを越えている。(河合隼雄「こころの読書教室」)

西洋的な考えでは、男と女をはっきり区別するが、日本的な「魂」では、男女を明確に分けたりしない。

「魂」はラテン語で「アニマ」、つまり「女性」のことであり、男性は「アニムス」と呼ぶ。

男女の関係には「アニマ」と「アニムス」が関連していると同時に、アニマとアニムスには「魂」という側面もあるから、男女関係を読み解くのは、非常に難しいのだという。

漱石の『それから』は、男女の三角関係を描いた小説だが、「魂」という次元まで深掘りしていくと、男女の関係を越えた物語が、そこにはあるということなのだろう。

ただ、こういう読み方をしていくと、文学作品の解釈というのは実に様々だなあと思う。

だって、解釈次第で何でもありっていうことになってしまうんだから。

カフカの『変身』は、引きこもりの物語だそうである。

これ読んでて、私などがすごいなと思うのは、これは今、たくさんいる引きこもりの人、それから、家庭内暴力をする人と、ほとんど同じだということです。だから、引きこもりの人でカフカの「変身」を読んで好きになっている人がたくさんいます。「これが僕や」という感じで。(河合隼雄「こころの読書教室」)

専門家の視点っていうのはすごい。

おそらく、政治学者には政治的視点からの文学の読み方があり、料理研究家には料理的視点からの文学の読み方があるはずであり、そういう意味で、文学の解釈は多様でいいということになる。

本なんて好きに読んでいい、とはよく言われることだけれど、本書を読んで、本当にそうなんだなあと思った。

村上春樹の小説が好きな人は、きっと気に入ると思うんだけど。

書名:こころの読書教室
著者:河合隼雄
発行:2014/2/1
出版社:新潮文庫

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。