北野佐久子「物語のティータイム」読了。
本書「物語のティータイム」は、2017年に刊行されたイギリス児童文学ガイドである。
お菓子と暮らしとイギリス児童文学
「物語のティータイム」というタイトルから、本書はイギリスの児童文学に登場するお菓子の解説書かと思っていたけれど、実際に読んでみると、本書はお菓子についてだけの本ではななかった。
もちろん、話の中心にあるのは、イギリスの児童文学作品に登場するお菓子であることに間違いはない。
しかし、お菓子の話をきっかけとして、著者の文章は、イギリスの人々の生活や文化、歴史にまで及んでいく。
本書のタイトルをもう一度確認してみると、「お菓子と暮らしとイギリス児童文学」というサブタイトルが付いている。
つまり、本書の執筆背景にあるものは、文学作品は「作者が暮らした生活、自然、場所、そうした風土に触れてこそ、その作品世界を本当に理解できる」という、著者の信念なのだ。
例えば、バーネット『秘密の花園』では、ヨークシャー・プディングが登場している。
今では一皿にローストビーフとヨークシャー・プディングがおさまっていますが、かつてはそうではありませんでした。身分の差が大きかった一八世紀まではロースト用の肉は高価で、ローストビーフは貴族やお金持ちの家族が食べるものでした。そのローストビーフを焼いた脂を使って作るのがヨークシャー・プディングで、これはローストビーフを食べることができない、貧しい人々が食べるものでした。(北野佐久子「物語のティータイム」)
ヨークシャー・プディングが、イギリスの階級社会を物語る仕掛けとしての役割を果たしていることが分かる。
もっとも、現在ではそんなこともない。
二〇世紀になってようやく労働者階級にとっても日曜日の昼食、いわゆるサンデー・ローストにローストビーフを食べることが人並みの生活を実感する一種のステータスシンボルとなったのでした。今でも日曜日のサンデー・ローストは家庭だけでなく、ホテルやパブなどでも楽しむことができます。(北野佐久子「物語のティータイム」)
ここで綴られているのは、イギリスの人々のライフスタイルである。
『秘密の花園』を引用しつつ、著者は、イギリス文化を楽しく紹介しているのだ。
一冊丸ごと、これはイギリスのガイドブックだ
ビアトリクス・ポター『ピーターラビットの絵本(全24巻)』でも、プディングが登場している。
「プディングはいかが?」イギリスで食後にこう聞かれたら、それは、「デザートはいかがですか?」ということ。プディングという言葉には、「食後に出す甘いもの、スイーツ」の意味があり、このようにデザートと同じ意味で使われることがあるのです。(北野佐久子「物語のティータイム」)
マイケル・ポンド『くまのパディントン』では、お菓子ではなく、朝食シーンの引用がいい。
ブラウン家で迎える初めての朝、「半切りしたグレープフルーツ、ベーコンエッグ、トースト、マーマレードはびんごとそっくり、それに、大きなコップにたっぷりのお茶」という典型的なメニューの朝食を、パディントンはベッドの中で食べる。
ベッドでの朝食はイギリスでも贅沢なもの。でもきわめてイギリスらしい習慣でもあります。(略)身支度を整える前に、ゆっくりとベッドで楽しむ朝食。今では、一般のイギリス庶民でしたら、それは休暇で滞在するホテルで味わう楽しみのひとつかもしれません。(北野佐久子「物語のティータイム」)
フィリパ・ピアス『トムは真夜中の庭で』に登場するのは「手づくりのイチゴジャムやあわだてクリームののっている手づくりのスコーン」。
イギリスでは、娘が母から習う最初のお菓子がスコーンといわれています。薄力粉、卵、牛乳にバターといういつも家にある材料で簡単に作れるスコーンは、お茶と一緒に楽しむお菓子の定番です。母から娘に伝えられるだけにその家によってスコーンの味もいろいろな種類があるのが面白いところ。(北野佐久子「物語のティータイム」)
本書では、イギリス文化の紹介だけではなく、実際に作者の暮らした場所を訪ねる文学旅行の要素も大きいが、著者は『トムは真夜中の庭で』の作者ピアスと会ったときのことを回想している。
お気に入りのミントやセージが茂る庭には、ピアスさん自身が焼いてくださったお手製のスポンジケーキと紅茶が用意されていました。アンティークのような愛らしいカップやお皿が並び、一人ずつに自らケーキを切り分け、紅茶を注いでくれました。ケーキを切り分ける温かい手、紅茶のカップを渡すときの優しいまなざし、穏やかな声、頬にあたった風の心地よさ……(北野佐久子「物語のティータイム」)
こうしてみると、本書は非常に贅沢な本だということができる。
イギリスの児童文学の名作のあらすじ、作者の生い立ちと作者が暮らした地域の風土、作品に登場するイギリス文化、そして、作品に登場するお菓子のレシピ。
一冊丸ごと、これはイギリスのガイドブックである。
そして、本書を読み終えたとき、イギリスの児童文学に対する理解が、確かに深まったような気がした。
文学作品を理解するっていうのは、こういうことだったんだなあ。
書名:物語のティータイム
著者:北野佐久子
発行:2017/7/19
出版社:岩波書店