ウイリアム・サロイヤン『わが名はアラム』読了。
本作『わが名はアラム』は、1940年(昭和15年)に刊行された長篇小説である。
原題は「My Name Is Aram」。
この年、著者は32歳だった。
個性的なガロオラニアン一族の物語
庄野潤三『文学交友録』(1995)に、『わが名はアラム』が出てくる。
「サローヤン? ああ、あれは実にいい作家だよ」藤澤さんはそういうなり、仕事部屋の奥の部屋から一冊の本を持って来られた。それが『わが名はアラム』(清水俊二訳・六興商会出版部)であった。(庄野潤三「文学交友録」)
「戦争が終った次の次の年の秋」(つまり、昭和22年の秋)、藤澤桓夫から借りた『わが名はアラム』を、庄野さんは読む(長女・夏子が生まれたのは、この年の10月である)。
「美しき白馬の夏」を私は夢中になって読み終った。(略)「美しき白馬の夏」を読んだだけで、いっぺんに私はサローヤンが好きになった。(庄野潤三「文学交友録」)
当時、作家を志して活動していた庄野潤三に『わが名はアラム』は大きな影響を与えた。
サローヤンを知ったことは大きかった。どういうふうに書いていいのか分らなくて困っていた私をサローヤンは元気づけてくれた。これは藤澤さんが年少の私に与えてくれた貴重な贈り物であった。(庄野潤三「文学交友録」)
この後、庄野さんは、外国映画の字幕で清水俊二の名前を見つけるたびに「感謝の念をもって『わが名はアラム』をはじめて読んだ夜のことを思い出した」そうである。
庄野潤三に大きな影響を与えた『わが名はアラム』は、九歳のアルメニア系少年の目から見た一族の物語である。
私がここで言うことができるのは、この本はアラム・ガロオラニアンというアルメニア人の少年の話であるということだけである。私はこの本に筋があるとは言わない。そして、この話のなかではとくに驚くべきことは一つもおこらないということを、読者に警告しておきたいと思う。(ウイリアム・サロイヤン「わが名はアラム」清水俊二・訳)
9歳の少年にとって、日常は十分にドラマに満ちた世界だったかもしれない。
例えば、庄野さんが感動した「美しき白馬の夏」は、いとこ(ムーラッド)が盗んできた美しい白馬を乗り回した日の記憶の物語である。
私が九つになったときのことだった。そのころはまだ世の中にすばらしいことがいくらでも想像できたし、人生が楽しい神秘な夢であった懐しい時代であったが、ある日のこと、私をのぞくすべての人間から気が変だと思われていた、いとこのムーラッドが、夜あけの四時に私の家へやって来て、部屋の窓をたたいて私を起こした。(ウイリアム・サロイヤン「わが名はアラム」清水俊二・訳)
『わが名はアラム』では、一族の人間が次々に登場する。
私たちは貧しかった。いつも、金がなかった。私たちの部落はどのうちもひどい貧乏だった。ガロオラニアン家の一族のものはみんな驚くほど貧しくて、滑稽なほど苦しい生活をしていた。(ウイリアム・サロイヤン「わが名はアラム」清水俊二・訳)
それほど貧しかったのに、アラムの物語は決して暗くはない。
むしろ、のんびりと、その貧しかった時代を懐かしく回想している。
ホースローヴおじさんはひどく腹をたてて、叫んだ。さしつかえない。馬を一頭なくしたからってなんだ。おれたちはみんな故郷をなくしてしまったじゃないか。馬一頭のことで泣くやつがあるか。(ウイリアム・サロイヤン「わが名はアラム」清水俊二・訳)
この物語を支えているのは、あまりに個性的な一族の人々である。
ストーリーではなく、人間を書いている。
「もし、おいらがおまえたちの親を知らなかったら、この馬はおいらの馬だというだろう。おまえたち一家が正直だって評判はおいらもよく知っている。だが、この馬はたしかにおいらの馬の双生児だ。疑りぶけえ人間だったら、心を信じないで、眼を信じることだろうよ」(ウイリアム・サロイヤン「わが名はアラム」清水俊二・訳)
盗まれた馬を発見したとき、ジョン・ピロは、二人の少年たちが、正直で有名なガロオラニアン一族の人間だという理由だけで、その馬を「自分の馬の双生児(ふたご)」だと信じてしまう。
「疑りぶけえ人間だったら、心を信じないで、眼を信じることだろうよ」というひと言に、少年たちが暮らした社会が象徴されているのではないだろうか。
個性ある一族の中でも、「ザクロ」の主人公(メリクおじさん)はいい。
メリクおじさんほどお百姓の資格のないお百姓はなかった。彼は百姓になるには夢を持ちすぎていたし、そして、あまりにも詩人でありすぎた。彼が求めていたものは美であった。ただ、美しいものを植えて、その成長をながめていたかったのだ。(ウイリアム・サロイヤン「わが名はアラム」清水俊二・訳)
どこの世界にも、およそ現実的ではない人間というのがいるものだ。
メリクおじさんは、そうした実用性に乏しいすべての人間を象徴した存在として読むことができる。
小麦だと、と、おじさんは叫んだ。小麦を植えてどうしようというのだ。パンは一斤五セントじゃないか。わしはザクロを植えるんだ。(ウイリアム・サロイヤン「わが名はアラム」清水俊二・訳)
おじさんが育てようとしていたもの、それは夢だ。
農業に関する実用性に欠けたおじさんは、夢だけを求めてザクロを植える。
おかしくて悲しい人間の姿が、そこにはある。
私たちはだれも見たことのない人里はなれた不思議な荒れ地に二十エイカーのザクロ園をつくった。これほど美しく、そして、これほどばかばかしいものはなかった。(ウイリアム・サロイヤン「わが名はアラム」清水俊二・訳)
もしかすると、多くの実業家が抱いている野望は、メリクおじさんのザクロ園のように、美しく、馬鹿馬鹿しいものだったのかもしれない。
やがて、四年が経ち、ザクロの花が咲いた。
花は咲いたが、実はたいしたことはなかった。美しい花だったが、ただそれだけだった。紫色の寂しい花だった。(ウイリアム・サロイヤン「わが名はアラム」清水俊二・訳)
仮に、ザクロ園の開発が失敗したからといって、誰がメリクおじさんを笑うことができるだろうか。
我々は、誰しも、自分だけのザクロ園を持っているものだ。
豊かな実りよりも、美しい花を求める純粋な気持ち。
メリクおじさんは詩人だったから、人生で詩を表現していたのだ。
生きることで詩を表現する人々
いとこのアラクが書いたイタズラ書きのせいで、主人公(アラム)がトラブルに巻きこまれた(「恋の詩に彩られた美しくも古めかしきロマンス」)。
ぼくが書いたのではありません、と、私は言った。もちろん、と、彼は言った。おまえは書かないと言うだろう。だが、なぜ書いたのだ。ぼくが書いたんじゃありませんよ、と、私は言った。(ウイリアム・サロイヤン「わが名はアラム」清水俊二・訳)
黒板には「ミス・ダフニーとデリンジャー先生とは恋仲であるけれど、ミス・ダフニーはちっとも美しくない」という意味の詩が書かれていた。
詩はぼくが書いたんじゃないんです、と、私は言った。昨日の詩もぼくじゃないんです。ぼくはただ学問をして、他人のことなんかにかまわずに、好きなように生きていきたいだけなんです。(ウイリアム・サロイヤン「わが名はアラム」清水俊二・訳)
幼いアラムが、既に人の世のトラブルに巻きこまれて「ぼくはただ学問をして、他人のことなんかにかまわずに、好きなように生きていきたいだけなんです」などという哲学めいた言葉を叫んでいる。
少年たちの世界は、大人たちの世界の縮図にすぎなかった。
「雄弁家、いとこディクラン」に登場するおじいさんは、常に警句を発している。
十一歳の子どもが五百人の生徒がいる学校でいちばん頭のいい生徒であると言われたところで、そんなことに注意をはらう必要はない。(略)まだ、十一歳ではないか。どれほど頭がいいというのだ。子どもにそんな重荷を負わせるのはかわいそうじゃないか。(ウイリアム・サロイヤン「わが名はアラム」清水俊二・訳)
「サーカス」も、少年時代の思い出を綴った物語として優れた作品だ。
サーカスは私たちのすべてだった。サーカスは冒険であり、旅行であり、危険であり、至芸であり、美であり、ロマンスであり、喜劇であり、ピーナッツであり、ポップコーンであり、チューインガムであり、ソーダ水であった。(ウイリアム・サロイヤン「わが名はアラム」清水俊二・訳)
叱られることが分かっていても、彼らは授業を抜け出して、サーカスの様子を見に行かずにはいられない。
少年期の衝動は、純粋な好奇心によって動かされていることが多いのだ。
「三人の泳ぐ少年とエール大学出身の食料品屋」は、川遊びの帰りに出会った、頭のおかしい食料品屋の思い出を綴った物語である。
彼はたしかにえらい男だった。二十年の後になって、私は彼が詩人であったことを悟った。そして、さびしい貧弱な村のあの食料品店を、とるに足らぬ金銭のためにではなく、気まぐれな詩をつくるような気持ちで経営していたことを知った。(ウイリアム・サロイヤン「わが名はアラム」清水俊二・訳)
彼らは、詩のために生きていた。
ザクロ農園を作ったメリクおじさんのように、生きることで詩を表現していたのだ。
会話を用いないホースローヴおじさんも、やはり、詩人だったのだろう(「哀れ、燃える熱情秘めしアラビア人」)。
それからながいあいだ、ホースローヴおじさんは私の家を訪れなかった。私はもう二度と来ないのではないかと思った。とうとう彼がやってきたとき、彼は帽子をかぶったまま客間につっ立って、あのアラビア人は死んだよ、と、言った。(ウイリアム・サロイヤン「わが名はアラム」清水俊二・訳)
詩とは言葉ではない。
詩とは、生きる人々のことなのだ。
主人公(アラム)の貧しい一族は、生きることをもって、幼い少年に人生とは何かということを語っていたのだ。
私のおじさんのジコが、町を出てニューヨークへ行け、と、私に言ったのだ。彼は、こんな小さな町にいてはだめだ。ニューヨークへ行くのだ、と言った。覚えておけよ、アラム、こんな町にいることはばかげてるよ。(ウイリアム・サロイヤン「わが名はアラム」清水俊二・訳)
主人公(アラム)は、バスに乗って、リーノからソルトレイクシティへ向かった。
「神を嘲るものにあたえる言葉」は、ソルトレイクシティで出会った伝道師の物語である。
ニューヨークへ行くところだよ、と、私は言った。そうか。しかし、と、彼は言った。ニューヨークへ行っても、真実を見つけることはできないぞ。(ウイリアム・サロイヤン「わが名はアラム」清水俊二・訳)
大人たちとの交流を通して、少年も大人になっていく。
少年だからこそ見える目で、彼は、大人たちが生きる社会を見つめていたのだ。
すべての経験は、少年を作家へと導いた。
あるいは、その証明こそが、この『わが名はアラム』という作品だったのではないだろうか。
書名:わが名はアラム(ベスト版)
著者:ウイリアム・サロイヤン
訳者:清水俊二
発行:1997/12/20
出版社:晶文社