『ノルウェイの森』小林緑とは?直子との対比とワタナベの葛藤を考察
『ノルウェイの森』に登場する直子と小林緑は、単なる「二人の恋人候補」ではない。
直子はワタナベが失うことのできない「過去」を、緑はこれから生きなければならない「未来」を担っている。
この記事では、『ノルウェイの森』における「直子」と「緑」が象徴するものについて、独自の視点から考察していきたい。
3行でわかる「直子と緑」
直子(過去)
直子は、キズキの死と結びついた、ワタナベが失うことのできない「過去」の象徴である。
緑(未来)
小林緑は、欲望や感情をむき出しにして生きる、ワタナベを「現在」と「未来」へ引き戻す存在である。
ワタナベ(葛藤)
ワタナベが二人の間で揺れるのは、恋愛の選択ではなく、「死者とともに生きる過去」と「これから生きる未来」の間で引き裂かれているからだ。
【視点1】小林緑とはどんな人物なのか?
直子で対極で生きているのが「小林緑」である。
多くの読者が緑の言動を「気持ち悪い」と感じるのは、彼女が「死の気配」を一切拒絶するほどの「剥き出しの生命力」を放出しているからに他ならない。
小林緑という女子大生
小林緑は、ワタナベ・トオルが大学で知り合う同級生の女性である。
東京で家族と暮らし、実家は書店を営んでいる。母親をすでに亡くしており、物語の途中では、病気で入院している父親の看病にもあたっている。
明るく率直な性格で、思ったことをそのまま口にするところがあり、性的な話題もためらわずに話す。ワタナベとは大学での交流をきっかけに親しくなり、次第に特別な感情を寄せるようになる。
一方のワタナベは直子への思いを抱えており、緑との関係はすぐには進展しない。緑は、曖昧な態度を続けるワタナベに対して、自分をきちんと選ぶよう求めていく。
病室という「生と死の境界線」
緑は、自分の父親が病室で死にゆく際にも、ワタナベに性的で奔放な言葉を投げかけている。
一見、不謹慎極まりない言動の中には、緑という登場人物が持つ本質が現れている。
父親が入院する病室は、緑にとって「生と死の境界線」である(まるで直子が入所している「阿美寮」のように)。
ストレートな渇望
「イチゴのショートケーキ」のエピソードに象徴されるように、緑は自分の欲求に対して正直に生きている。
彼女はワタナベに「自分だけを100パーセント愛してほしい」とストレートに要求する。
わがままな「100パーセントの要求」は、「生と死の境界線」で揺れ動くワタナベを「こちら側の世界(現実)」へと繋ぎ止める、重要なエネルギーとなっていた。
『ライ麦畑でつかまえて』との共通点
レイコさんは、ワタナベに「あの『ライ麦畑』の男の子の真似してるわけじゃないわよね」と問いかけている。
しかし、『ライ麦畑』の主人公(ホールデン・コールフィールド)の姿は、ワタナベ君よりも、むしろ、緑に投影されていると考えたい。
「そのとき思ったわ、私。こいつらみんなインチキだって」(村上春樹「ノルウェイの森」)
現代社会の欺瞞を糾弾する緑の言葉は、もしかすると、ホールデン・コールフィールドにインスパイアされたものだったのかもしれない。
「私が赤い帽子をかぶってたら、道で会っても声をかけずにさっさと逃げればいいのよ」)という緑のセリフは、ホールデン・コールフィールドの「赤い帽子」にも通じるものだった。
【視点2】直子と緑は「死」と「生」の対比なのか?
直子は恋人・キズキの死を抱えて自殺し、緑は父親の死を抱えて生き続けようとする。
そして、主人公・ワタナベは生きること(つまり「緑」)を選んだ。
なぜなら、彼は、キズキの死によって、死を抱えたままで生きていくことの意味を理解していたからだ。
なぜワタナベは直子と緑の間で揺れたのか?
ワタナベの葛藤は、人間が生きていく上で避けることのできない「精神(純粋な過去)」と「肉体(泥臭い現在)」の葛藤である。
そして、「向こう側の世界」に引き付けられたワタナベを「こちら側の世界」へ引き戻すのが、たくましい生命力を持つ小林緑だった
緑と二人でウィンドウ・ショッピングをしながら歩いていると、さっきまでに比べて街の光景はそれほど不自然には感じられなくなってきた。「君に会ったおかげで少しこの世界に馴染んだような気がする」(村上春樹「ノルウェイの森」)
ワタナベは、直子と緑が象徴する「生」と「死」との間で揺れ動いていたのである。
「生の世界」を生きる緑と永沢さんの同質性とセックスの役割
それは、無意味なガールハントに追われる先輩・永沢さんとの交流にも通じるものだ。
生き続けていくために永沢さんは、常に見知らぬ女の子たちとセックスをしていなければならない。
永沢さんは、緑とともに、主人公・ワタナベをこちら側の世界へと強く引き寄せている。
キズキと直子に象徴される「死の世界」と、緑と永沢さんに象徴される「生の世界」。
そして、本作『ノルウェイの森』において「セックス」は、「死」の対極に位置するものとして描かれているのである。
まとめ│直子に憧れ、緑に救われる
直子の持つ静謐な美しさは、我々の孤独に深く寄り添ってくれる。
しかし、我々を暗闇の中から引き上げてくれるのは、緑の持つ「瑞々しいまでの生命力」だった。
最後の場面で緑に電話をかけたとき、ワタナベはようやく「過去という聖域」から抜け出し、混沌とした現実世界へと戻っていく。
次の記事では、レイコさんの役割を読み解きながら、ワタナベが電話をかけている「どこでもない場所」について考察していきたい。
▶『ノルウェイの森』レイコさんとは?ラストシーンとワタナベとの一夜を考察
なお、『ノルウェイの森』のあらすじや登場人物、テーマなどについては、次の記事で詳しく解説しています。
