読書

井伏鱒二「おこまさん」甲府のバスガールが主人公の戦前少女小説が岩波少年文庫で読めるって知ってました?

井伏鱒二「おこまさん」甲府のバスガールが主人公の戦前少女小説が全然古臭くない理由

井伏鱒二「おこまさん」読了。

本作「おこまさん」は、1941年(昭和16年)6月に輝文館から刊行された『おこまさん』に収録された短篇小説である。

この年、著者は43歳だった。

初出は、1940年(昭和15年)1月~6月『少女の友』(実業之日本社)で、連載時のタイトルは「オコマさん」。

1941年(昭和16年)9月公開の高峰秀子主演映画『秀子の車掌さん』原作小説。

長篇少女小説だった「おこまさん」

本作「おこまさん」が、少女雑誌『少女の友』に連載されたときのキャッチコピーは「長篇少女小説」だった。

長篇かどうかはともかく、「少女小説」とあるところがいい。

岩波少年文庫に『山椒魚 しびれ池のカモ』が入ったとき、「オコマさん」も収録された。

「オコマさん」は、戦争になる前、「少女の友」(昭和十五年(一九四〇年)一月号から六月号まで)に連載し、これは「オコマさん」という書名の短篇集に入れました。童話でなくて少女小説ですが、童話を読む年頃の読者を対象にして書いたのですから、ついでに集録してみました。(井伏鱒二『山椒魚 しびれ池のカモ』あとがき)

この「あとがき」には「昭和32年9月」の日付けがあり、井伏鱒二的には、あくまでも「少女小説」の意識があったことが分かる。

「オコマさん」として連載された作品は、単行本収録時に「おこまさん」に改題されているが、岩波少年文庫収録時のタイトルは「オコマさん」に戻っている。

1959年(昭和34年)に刊行された角川文庫のタイトルは『貸間あり・おこまさん』となっているので、どれが最終稿なのか判別しにくい。

井伏鱒二の死後に刊行された『井伏鱒二全集(第八巻)』では、輝文館を底本としているので、「おこまさん」の表記となっている。

成瀬巳喜男監督で、高峰秀子主演の映画『秀子の車掌さん』は、井伏鱒二の「おこまさん」を映画化した作品である(成瀬巳喜男と高峰秀子が初めて共演した)。

「おこまさん」というのは、甲府市の「八号線バス会社」に勤める女性車掌(バスガール)の名前で、この物語の主人公である。

おこまさんは会社の手当がすくないので靴なんか買えないのである。夏は簡単服を着て、紅緒の塗り下駄をはき、軍手をはめて切符をきっている。しかし、彼女の顔は見るからに健康そうで可愛らしい。町の物好きの人たちや近在の若い衆は、おこまさんに切符をきってもらいたい一念で、争ってこのバスに乗るのである。(井伏鱒二「おこまさん」)

19歳の少女車掌おこまさんは、当時、流行りだしていた「名所案内」を、自分のバスにも採り入れたいと思う(「遊覧バス女車掌の名所案内」というラジオ放送で知った)。

この「名所案内」の説明原稿を作成するのが、東京からやって来た小説家(井川権二)である。

この東京の小説家は彼女のバスを降りるとき、「僕は東洋館の前でおりるんだ。はて、ここが東洋館の前だったかしら」そう云ってバスを出て行った。後で気がつくと、そのお客はバスのなかにノートブックを置き忘れていた。ノートには甲州の地名や心覚えのようなことを書き、その表紙には井川権二という名前が書いてあった。(井伏鱒二「おこまさん」)

作者(井伏鱒二)の分身と思しき小説家(井川権二)は、おこまさんの力になるべく大活躍するので、この小説の本当の主人公は、おこまさんではなく、井川権二だったかもしれない(東京の住所は「東京市杉並区南町二九」)。

「文章は土佐バスの説明の方がいい。しかし僕の見たバス・ガールは、土佐のも日向のも負けず劣らず可愛らしかった」おそらく井川という小説家は、よほどバス・ガールの説明案内に興味を持っているのにちがいない。それとも可愛らしいバス・ガールを旅先で見て、忘れかねているのかもしれない。(井伏鱒二「おこまさん」)

この作品で、ひとつのテーマとなっているのは、バス・ガールという職業の魅力である。

井川権二は、各地を旅する中で出会ったバス・ガールの思い出を、おこまさんに話してみせながら、バス・ガールという職業が持つ可能性を、おこまさんに説いているような節がある。

「おこまさん」は、当時『少女の友』を読んでいた読者自身であって、作者の井伏鱒二は、全国の少女に向かって、バス・ガールという職業の魅力をアピールしていたのかもしれない。

職業婦人を主人公にしたこの物語は、戦前の日本において、キャリア教育としての役割を果たしていたとも言える。

そもそも、井伏さんの小説には、医者(『本日休診』)や警察官(『多甚古村』)、旅館の番頭(『駅前旅館』)など、個性的な職業の主人公が活躍する作品が少なくない。

むしろ、多様な職業を持つ登場人物群が、井伏文学を支えているとさえ言える。

実際に各地を旅しながら、井伏さんは、バス・ガールに興味を持ったのだろう。

それにしても、作者の分身たる井川権二の活躍ぶりは痛快だ。

「俺は、安原稿料には慣れてるんだ。今日もこれから東京に帰って、相変らず安原稿料の原稿を書くんだ。身すぎ世すぎだね」(井伏鱒二「おこまさん」)

「身過ぎ世過ぎ」は、井伏さんが好んだ言葉として知られている。

井川は土佐バスの噂をした。土佐バスの沿道には、海岸に一里も二里も松原が続き、老松の根元には浜木綿が咲き、「へんろう路」と刻んだ道しるべなどが立っている。(井伏鱒二「おこまさん」)

年譜によると、井伏鱒二は、1949年(昭和14年)4月下旬に、田中貢太郎や平野零児らと土佐へ旅行しているから、このときの体験が、「おこまさん」にも生かされているのかもしれない。

いつか土佐へ行ったときのことである。──陽春、四月下旬のころであった。田中貢太郎氏が土佐へ帰省されるので、平野零児や私やその他数名が、先輩のお供をしたいという名目で、田中さんの後についてどやどや出かけて行ったのである。(井伏鱒二「旅中友人の災難」)

ちなみに、名作「へんろう宿」が発表されるのは、1940年(昭和15年)4月『オール読物』である。

コロムビア・ローズが歌う「東京のバスガール」がヒットしたのは、戦後の1957年(昭和32年)。

戦前の1940年(昭和15年)にバス・ガールに注目して、少女小説を書き上げたというところが、井伏さんのすごいところなんだろうなあ。

甲府風土記としての「おこまさん」

本作「おこまさん」の、もうひとつのポイントは、甲府の風土が、そのまま作品の中に反映されている、ということだろう。

甲府市から富士吉田に通ずる道路は里程十三里、土地の人たちはこの道路を八号線と云っている。甲府市から甲運村に出て御坂峠を越え、河口湖畔を過ぎ富士吉田に通ずるが、甲府盆地から岳麓に行く唯一の交通路となっている。バスやトラックが往来し、たまに浮浪人なども、とぼとぼと歩いて御坂峠を越えて行くこともある。(井伏鱒二「おこまさん」)

天下茶屋のあった御坂峠は、太宰治『富嶽百景』の舞台となったところで(「富士には月見草がよく似合う」)、太宰は、当然、井伏さんの勧めによって、御坂峠に滞在したのである。

井伏さんの紹介で、太宰治と結婚することになった石原美知子は甲府市内の令嬢だったから、お見合いの会場としても、御坂峠はちょうど良かったのかもしれない。

太宰の死後、御坂峠には、太宰治の文学碑が建立されることになるが、甲府は、とにかく、井伏さんが生涯に渡って愛した土地だったらしい。

「みなさま、この大通りは甲州街道で御座います。あの左手に、家のかげから枝道が一つ出ております。あれは青梅街道で御座います。みなさま御存じの通り、甲州街道と青梅街道は共に東京新宿に発し、この二つの路は互に分れて山を越え谷川を渡り、甲州にはいって、すなわちこの地点で合致しているので御座います」(井伏鱒二「おこまさん」)

バス会社の社長さえ「名所なんか沿道にあるのかね」と訝るルートに、東京の小説家は、美しい名所案内の説明文を完成させる。

これは、甲州という地域を、実際に愛していなければ、とても書くことのできない文章だったに違いない。

「みなさま、この川は笛吹川の流れで御座います。あの左手の、上流にあたって小高い岡が見えますのは、すなわち古歌にうたわれている差出の磯で御座います──塩のやま差出の磯に住む千鳥、君が御代をば八千代とぞ鳴く──その差出の磯で御座います」(井伏鱒二「おこまさん」)

差出の磯は、『古今和歌集』収録の「しほの山差出の磯にすむ千鳥君が御代をば八千代とぞなく」など、多くの和歌に詠まれた景勝地で、バスガールの説明には「塩の山と申しますのは、あの差出の磯の少し右手にあたって遠くこんもりと茂っているあの小高い丸い山で御座います」などという解説が添えられている。

つまり、「おこまさん」は、甲府風土記として読んでも楽しい甲府文学となっているのだ。

こういう小説を読むと、実際に甲府まで出かけていって、バスに乗りたくなってしまう。

女性車掌のバスガールが消えてしまったのは、何とも残念な話ではあるが。

物語は、バス会社の社長が、おこまさんの愛するバスを売り飛ばしてしまうところで終わるが、バスガールのおこまさんも、運転手の園田さんも、もちろん、東京から来た井川権二も、そんなことは知らない。

おこまさんは可愛らしい声で説明を続けていた。園田さんは悦に入って運転を続けていた。井川はうっとりとしておこまさんの可愛らしい顔を見つめていた。しかし、おこまさんも園田さんも、彼等の知らない間に彼等自身は雇主を失った雇人になっていた。ただ彼等はそんなことなど知らないで、バスが進んで行くにつれ楽しい気持で息がつまりそうになっていたのである。(井伏鱒二「おこまさん」)

物語の最後の文章は、深読みすると、これからアメリカとの戦争に突入していくことを知らないで、日々の生活を楽しんでいる戦前の日本人を描いたものとして読むことができる。

もちろん、作者だって、間もなく戦争が始まることなんて意識していなかっただろうけれど、知らない間に何かが起きているのではないかという疑心暗鬼は、戦前を生きる人々の心にも生まれていたのではないだろうか。

ただ、この物語にあるのは、不幸な境遇にもめげずに生きていく若者たちの前向きな希望である。

注意して読まなければ、戦前の作品ということにも気づかないほど、違和感のない小説だった(井伏さんの作品は、ある意味で時代を超越している)。

庄野潤三や小沼丹と並んで、日常の些細なことを、まるで随筆のような筆致で描くことで知られている井伏鱒二だが、庄野さんや小沼さんの、言わば「どこかクセのある小説」と比べて、井伏さんの作品は、やはり万人向きである。

こういう作品が、岩波少年文庫に入っていることは心強いし、いつまでも、長く読み継がれていってほしいと思える隠れた名作として、広くおすすめしたい。

書名:井伏鱒二全集(第八巻)
作品名:おこまさん
著者:井伏鱒二
発行:2000/03/25
出版社:筑摩書房

ABOUT ME
みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。源氏パイと庄野潤三がお気に入り。