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庄野夏子「お父さんッ子」庄野潤三の長女・今村夏子が高校1年生のときに書いた作文を発見

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古い雑誌の中に<庄野夏子>さんの作文を見つけた。

今回は、庄野潤三ゆかりということで、庄野夏子さんの作文を紹介してみたい。

庄野夏子と今村夏子

庄野夏子さんというのは、物故作家・庄野潤三の長女で、現在は<今村夏子>さんとなっている。

ここで注意が必要なのは、この今村夏子さんというのは、『むらさきのスカートの女』で芥川賞を受賞している、作家の<今村夏子>ではないということである。

まったくの同姓同名なのだが、作家の今村夏子は1980年(昭和55年)生まれ、庄野夏子さんは1947年(昭和22年)生まれ。

作家の今村夏子に対し、庄野家の今村夏子さんは、普通の主婦である。

ただし、家族小説が多い庄野潤三の作品の中には、長女の今村夏子さんも頻繁に登場している。

特に『インド綿の服』(1988)は、長女の夏子さんから届いた手紙が核になって構成されており、庄野潤三の読者の間で、夏子さんは有名人と言っていい。

さて、今回発見したのは、その庄野夏子さんが高校1年生の時に書いた作文で、タイトルは「お父さんッ子」である。

庄野夏子「お父さんっ子」庄野夏子「お父さんッ子」

この作文は、1963年(昭和38年)の『週刊現代』に掲載されていたもので、この年、夏子さんは青山学院高校に入学したばかりだった。

ちなみに、長男・龍也は小学6年生、次男・和也は小学2年生だった。

夏子さんの作文は、これまでも庄野文学の中に登場しているので、編集者が、夏子さんの文才に目を付けたとしても不思議ではないだろう。

ちなみに、この年、庄野さんは、早稲田大学文学部の講師をしながら、長編小説『つむぎ唄』(講談社)を刊行している。

名作『夕べの雲』の連載を開始するのは、翌1964年(昭和39年)のことだ。

後に代表作と呼ばれる家族小説の執筆に向けた素材を準備している時期だっただろうか。

「お父さんッ子」というタイトルも、父・庄野潤三と並んで写っているグラビア写真もいい。

庄野さんの家族小説が偽物ではない、ということが伝わってくるような温かみがある。

庄野夏子「お父さんッ子」全文紹介

その作文は、次のような文章から始まっている。

父は時にはとても信頼できる「お父さん」です。何か事件があったりすると、一生懸命になってよく解るように説明し、また諭してくれます。そんな時、私は父の前でいつの間にか固くなっているのですが、心の中では「本当に頼もしい」と思っています。(庄野夏子「お父さんッ子」)

尊敬できる父親像が、ここでは描かれている。

一方で、庄野さんは明るい父親でもあった。

でもその他の時は、とても愉快な「お父さん」です。近所の方々と野球をしている時は、自分が何か失敗をすると、頭をおさえ、片足を上げて「しまった」と叫びます。面白いことがあると、心から楽しそうに笑います。父は小さな声で笑ったことがなく、いつも大きな声で笑います。(庄野夏子「お父さんッ子」)

「父は小さな声で笑ったことがなく、いつも大きな声で笑います」というところがいい。

いかにも豪快な庄野さんの笑い声が聴こえてくるかのようだ。

愉快なことを愛した庄野さんらしいエピソードだと思う。

運動しておなかを減らしてからの食事も父の楽しみの一つです。ごく平凡な食物を食卓の上で色々にとり合せて純粋な日本の味を作り出すのが上手で、そんな時私にも作るように勧めます。それは必ずおいしいのです。(庄野夏子「お父さんッ子」)

「ごく平凡な食物を食卓の上で色々にとり合せて純粋な日本の味を作り出すのが上手」というところが気になるが、残念ながら具体例がない。

一体、庄野さんは、食卓の上で、どのような「純粋な日本の味」を作り出していたのだろうか。

しかも、それは「必ずおいしい」のだ。

私がもう一つ思うのは、父は生物に対してやさしいという事です。植木に日照りが続く時など、毎日水をやるし、昆虫などを殺すと叱られます。こんな訳で父には色々の面がありますが、私はどれも好きです。(庄野夏子「お父さんッ子」)

父・庄野潤三のいろいろな面を紹介した後で、「父には色々の面がありますが、私はどれも好きです」という言葉で締めくくっている。

構成も上手だが、それ以上に、家族への愛情に溢れた温かい作文だと思った。

書名:週刊現代(1963年7月25日号)
作品名:お父さんッ子
著者:庄野夏子

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。