読書体験

小沼丹「山のある風景」信州追分にある横田瑞穂の別荘を舞台にした避暑地の物語。

小沼丹「山のある風景」あらすじと感想と考察

小沼丹「山のある風景」読了。

本作「山のある風景」は、1969年(昭和44年)6月『群像』に発表された短篇小説である。

この年、著者は51歳だった。

作品集としては、1971年(昭和46年)5月に講談社から刊行された『銀色の鈴』に収録されている。

大学の同僚たちと過ごした避暑地の情景

本作「山のある風景」は、大学の同僚たちと過ごした避暑地の情景を、まるで随筆のように綴った短篇小説である。

浅間山麓の別荘を持つロシア文学者<横井さん>は、横田瑞穂のことらしい。

横田瑞穂の別荘を訪ねて、信州追分へ向かう話は、いくつかの随筆の中に読むことができるからだ。

横井さんは僕と同じ学校に勤めていて、露文科の先生である。僕より大分先輩に当るが、横井さんと同年輩の人のなかには、ロシアに敬意を表してヨコチンスキイと呼ぶ人もいるのである。(小沼丹「山のある風景」)

飲み会中に行方不明になった横井さんを探すと、知らないグループの宴会に紛れ込んで、じゃんけんをしていたという。

このエピソードは、「のんびりした話」(『小さな手袋』所収)でも紹介されていて、「ロシア文学者の横田瑞穂氏」という名前を見ることができる。

ミハイル・ショーロホフ『静かなドン』の翻訳を完成したとき、横田瑞穂は52歳で、まだまだ働き盛りの年齢だった。

物語は、旧い街道に面した横井さんの別荘を舞台に進められていく。

初めて横井さんの別荘を訪ねたのはいつだったか、はっきり憶えていない。この頃、横井さんは胃の調子が怪訝しいとかで酒を節しているが、その頃はまだ盛んに酒場から酒場へと足を運んでいたから、もう十年ぐらい前になるかもしれない。(小沼丹「山のある風景」)

このとき、同じ学校の仏文科の先生である<森君>も登場して、ひと夏の物語を盛り上げてくれる。

この<森君>が「うちは母系家族でね」と言ったという話は、「トト」(『小さな手袋』所収)の中にもあって、フランス文学者の室淳介として登場している。

偉い大学の先生たちの、ちょっとコミカルなエピソード

本作「山のある風景」は、特別のストーリーのない、断片的なエピソードと組み合わせによって構成されている。

多くのエピソードは、実際の体験に基づくものらしくて、一篇の随筆として発表されているものも少なくない。

例えば、横井さんの別荘へ一緒に行った友人が白樺の話をするエピソードは、「白樺」(『小さな手袋』所収)という随筆に書かれている。

そのときは、例の動物園に行った友人と一緒に横井さんの別荘を訪ねていたから、その友人も傍に坐っていて、横井さんに、「──そこには白樺もありましたか?」と訊いた。(小沼丹「山のある風景」)

随筆の方を読むと、この友人が天狗太郎(山本亨介)であることが分かる。

早稲田大学の同僚を主人公にした、この物語において、天狗太郎は匿名の友人として登場しているのだろう。

突飛な事件ではなく、日常の中にあるユーモアを、独特の感性によって拾い上げる作品。

そんな小説が面白いのかと言われそうだけど、これが癖になるくらいに面白い。

身近な大学の先生だけを描いたシリーズがあっても、いつまでも続けることができたのではないだろうか。

「山のある風景」では、横井さんと同年配で英文科の先生である<渡部さん>や、渡部さんの大分後輩で、同じ英文科の先生をしている<西田君>なども登場している。

本作を構成しているのは、横井さんや渡部さんや室君などといった、偉い大学の先生たちの、ちょっとコミカルなエピソードである。

店の裏手に芝生の不揃いな庭があって、いつもはあちこちに、大きな陽除の傘の附いた丸い卓子が置いてある。しかし、このときは、店のなかを抜けて庭へ出てみると殆ど片附けてあって、丸い卓子が一つと二、三脚の椅子が残してあるに過ぎなかった。「──もう夏も終だね……」(小沼丹「山のある風景」)

大学の先生たちを主人公にした、避暑地の夏物語。

こんな小説を、もっと読みたかった。

作品名:山のある風景
著者:小沼丹
書名:銀色の鈴
発行:2010/12/10
出版社:講談社文芸文庫

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。