ゴーゴリ「外套」読了。
本作「外套」は、1842年(天保13年)に発表された中篇小説である。
この年、著者は33歳だった。
ちなみに、訳者は、井伏鱒二の弟子だった、早稲田大学の横田瑞穂。
陰キャの男子高校生がトレンドのコートを奪われたとき
例えば、クラスにこんな男子がいたとする。
地味な陰キャの帰宅部で、もちろん親しい友だちもいない。
取り立てて勉強ができるわけでもなく、スポーツが得意なわけでもなく、クラスメイトからはいつもバカにされてばかり。
それでも、本人は卑屈になることもなく、高校生活を真面目に過ごしてきた。
そんな彼が、ある日、トレンドのコートを着て登校してきた。
たちまちクラスメイトが集まり、「めっちゃオシャレだね笑」などと彼の新しいコートを冷やかす。
滅多に注目されることのなかった彼だけれど、流行のカッコいいコートが注目されるのは、決して悪い気分ではなかった。
ところが、その日の下校時、彼はヤンチャな先輩たちに目を付けられ、新しいコートを奪われてしまう。
翌日、クラスメイトに説明すると、みんなは学級担任に相談すべきだと言う。
彼は学級担任のところへ相談に行くが、担任教諭は「彼らが犯人だという証拠があるのか?」「それは警察へ届けるべきものなのでは?」「そもそも、お前がぼんやりしてるから、そんなことになるんだ」などと、まるで相手にしてくれない。
絶望のあまり、彼は校舎の屋上から飛び降りて自殺してしまったという──。
ゴーゴリの『外套』という作品を現代の高校生に置き換えてみると、何となくそんな物語が浮んでくる。
原作の主人公<アカーキイ>は、上司や同僚からいつも小馬鹿にされている、地味で貧しい小役人だった。
アカーキイは苦労して買ったばかりの外套を暴漢に奪われた後、体調を崩して死んでしまう。
悲しい物語だが、考えてみると、こんな悲劇は、現代でも珍しくはない。
報われない者は、いつの時代にも存在しているものなのだ。
アカーキイの幽霊が恨んでいた者は?
問題は、オシャレなコートを奪われた高校生が一番恨んでいたのは誰か?ということだ。
外套を奪われて死んだアカーキイは、その後、幽霊になって現れ、町行く人々の外套を、次々に奪い去ったという。
彼は、コートを強奪した暴漢を憎んでいるのではなく、生前の自分をバカにしてきた役所の連中を憎み、そんな惨めな生活を自分に強いた現代社会そのものを恨んだ。
だから、アカーキイの幽霊は、職業や地位の見境なく、人々の外套を奪い続けたのである。
しかし、彼が最も憎悪していたのは、最後に自分を助けてくれなかった役所の<有力な人物>だった。
「あっ、とうとう貴様、やってきおったな! とうとうおれは貴様の、そのう、襟首をとっつかまえてやったぞ! さあ、貴様の外套をこっちへよこせ! おれのことも面倒みてくれなかったばかりか、叱りとばしやがって──さあ、貴様の外套をこっちへよこしやがれ!」(ゴーゴリ「外套」横田瑞穂・訳)
自殺した高校生は、きっと新しいコートを奪ったヤンキー先輩たちを恨むだろう。
日頃から自分をバカにしていたクラスメイト全員を恨むだろう。
だけど、彼が最も許せないのは、何もしてくれなかった学級担任の教師である。
なぜなら、学級担任は理不尽な学校の象徴であり、無駄に権力をひけらかすだけの存在でしかなかったから。
<有力な人物>の外套を奪った後、アカーキイの幽霊は姿を消した。
その代わり、口ひげを生やした偉そうな幽霊が姿を現すようになったという。
最後に登場する「口ひげを生やした偉そうな幽霊」は、<有力な人物>の外套を奪って満足したアカーキイ自身だ。
暮らしが満たされたときには、アカーキイさえもまた、自身が憎んだ<有力な人物>と同様になってしまうという、作者の皮肉がここにある。
ゴーゴリは、主人公アカーキイに同情する以上に、<有力な人物>の存在を生み出す社会そのものを、この作品で裁きたかったのではないだろうか。
さて、自殺した男子高校生の幽霊が現れたとき、彼は誰を最も恨んでいるだろうか。
ゴーゴリの『外套』は決して昔の物語ではない。
アカーキイの幽霊は、いつ我々の前に現われるかも分からないのだ。
作品名:外套
著者:ニコライ・ゴーゴリ
訳者名:横田瑞穂
書名:ゴーゴリ全集3(中編小説)
発行:1976/9/9
出版社:河出書房新社