文学鑑賞

ウイリアム・サロイヤン「わが名はアラム」貧しい少年が見た苦しくも楽しい暮らし

ウイリアム・サロイヤン「わが名はアラム」あらすじと感想と考察

ウィリアム・サロイヤン「わが名はアラム」読了。

サロイヤンの「わが名はアラム」のことは、庄野潤三『文学交友録』で知った。

「サローヤン? ああ、あれは実にいい作家だよ」

「町の人気者」を観てから暫くたって藤澤(恒夫)さんのお宅へ伺ったとき、映画の話をした。原作がウィリアム・サローヤンという名前でしたというと、「サローヤン? ああ、あれは実にいい作家だよ」藤澤さんはそういうなり、仕事部屋の奥の部屋から一冊の本を持って来られた。それが『わが名はアラム』(清水俊二訳・六興商会出版部)であった。(庄野潤三「文学交友録」)

この後、庄野さんは『わが名はアラム』という小説が、いかにおもしろい小説であったかということを、訥々と語っている。

庄野さんは『わが名はアラム』の最初の一篇である「美しき白馬の夏」を読んだだけで、いっぺんにサローヤンが好きになってしまったという。

サローヤンを知ったことは、文学者としての庄野さんにとって非常に大きな影響を与えたものであり、その意味で、サローヤンの小説を教えてくれた藤澤恒夫さんにも、非常に感謝をしている、というエピソードだった。

もうひとつ、庄野さんは『わが名はアラム』を翻訳した清水俊二さんの訳文が「これ以上ぴったりしたものは無いと思われる文章であった」と綴っている。

清水俊二さんの翻訳作品は、僕も大好きなので、『わが名はアラム』は、ぜひ清水俊二さんの訳で読みたいと思った。

近年は、村上柴田翻訳堂シリーズ(新潮社)から、柴田元幸さんの訳した『僕の名はアラム』が出版されている。

進歩だ、と、彼は言った。あれが現代の姿なのだ。

進歩だ、と、彼は言った。あれが現代の姿なのだ。一万年前には、と、彼は言った。今日、トラクターが一日でする仕事に、百人の人間を一週間働かさなければならなかったろう。一万年前だって、と、私は言った。昨日のことを言ってるんじゃないの。(「ザクロ」)

『わが名はアラム』は、カリフォルニアで暮らすアルメニア系移民であった作者が、少年時代のエピソードを回想して描いた物語である。

全部で14篇の物語から構成された長編小説だが、どの物語にも、物語の語り手である「私(アラム・ガロオラニアン)」の視点から、スパイスの効いたユーモアを交えて綴られていて、楽しい物語が好きだったという庄野さんが「いっぺんで好きになった」という理由も分かるような気がする。

もっとも、決して吞気なユーモア小説ということではない。

貧しいアルメニア系移民として生まれながら、誇りと夢を持って生きる少年の姿に、まずは注目しなければならないだろう。

そして、少年の日の思い出を、まるで散文詩のような美しい文章で語る「私」の話は、まさしく「物語」であって、中でも「ザクロ」という作品の美しさは素晴らしい。

砂漠に農園を作ろうと思い立ったおじさんが、なかなかサボテンを取り除くことができないので、とうとうトラクターを購入する。

トラクターは、たちまちサボテンを刈りはらって、おじさんは、この文明的な機械に感動して、一万年前の人々を思うのだが、「私」は「昨日のことを言ってるんじゃないの」と、あっさり言う。

美しい話の中に、ちょっとしたユーモアが含まれているところがいい。

結局、砂漠の農園は成功しないのだが、ザクロやモモやアンズやイチジクやオリーブの樹を植えようと挑戦したおじさんのエピソードは、勇ましくも切ない。

『わが名はアラム』が、日本で初めて翻訳されたのは1941年(昭和16年)で、11月の出版直後に太平洋戦争が開戦した。

戦争中にも、こんな外国の物語を読んで、楽しんでいた少年たちがいたのだろうか。

書名:わが名はアラム(ベスト版)
著者:ウィリアム・サロイヤン
訳者:清水俊二
発行:1997/12/20
出版社:晶文社

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。