スチャダラパー「サマージャム’95」。
本作「サマージャム’95」は、1995年(平成7年)7月にリリースされた10枚目のシングル曲である。
この年、Bose26歳、ANI28歳、SHINCO25歳だった。
アルバムとしては、1995年(平成7年)4月に発売された『5th WHEEL 2 the COACH』に収録されている。
不安な時代に届いた平和で脳天気なメッセージ
本作「サマージャム’95」は、KREVAの「イッサイガッサイ」(2005)よりも、ちょうど10年前に発表されたサマーソングである。
1995年(平成7年)と言えば、阪神・淡路大震災(1月)や、オウム真理教事件による地下鉄サリン事件(3月)などで、日本中が大きな動揺に包まれていた年だ。
ちなみに、我が家庭的には、長女が誕生した年でもある(6月)。
大きな不安が人々の気持ちに垂れ込めていただろう、この時代に、スチャダラパーは「サマージャム’95」を歌っていた。
夏本番 海か? 山か? プールか?
いやまずは本屋
で帰りにそば ざるかせいろだ
(スチャダラパー「サマージャム’95」)
不安も緊張感も、そこにはない。
夏休みの特別な非日常感さえない歌詞が、気怠げなリズムに乗って続いていく。
最初にこの曲を聴いたとき、果たして、これがサマーソングなのか?という疑念にとらわれる。
サザンオールスターズ「マンピーのG★SPOT」(1995)や大黒摩季「夏が来る」(1994)のような高揚感こそ、夏歌の醍醐味ではなかったのか?
そんな戸惑いをよそに、スチャダラパーは淡々と歌い続ける。
再放送のドラマでも見て
気がつくと昼寝になってたりね
そんで夕方からフロザバッといって
スキだらけのかっこで
そのまま家の近所フラッとして
(スチャダラパー「サマージャム’95」)
なんと平和で脳天気な光景なんだろうと苦笑したとき、この曲のメッセージが心の中に落ちてくる。
平和で脳天気。
この言葉こそ、まさに、不安な時代にスチャダラパーが日本の人々へ届けようとしたメッセージだったのではないだろうか。
そうだ。
本作「サマージャム’95」は、不安な時代に登場した、新しい形での平和ソングだったのである(実は)。
それにしても、暑い一日、再放送のドラマ観ながら昼寝なんかしてるって、すっかりと忘れてるなあ、こんなダラダラした生活。
大学生の夏休みって、確かにこんな生活だったよなあ。
就職して、結婚して、父親になってっていう生活を積み重ねていくと、こんなにダラダラした夏休みっていうのは、もうほとんどないと思った方がいい。
悲しいけどね。
サザンオールスターズ「あきらめの夏」へのオマージュ
我々世代にとって懐かしいのは、「熱めのお茶」と「意味深なシャワー」である。
そーなるって事は もーあれだ
熱めのお茶だ 意味深なシャワーだ
でも 手もちぶさたでつけたラジオから
こんな曲流れたりすんだ
(スチャダラパー「サマージャム’95」)
これは、もちろん、サザンオールスターズ「あきらめの夏」(1982)へのオマージュである。
(この曲は、同じく1982年に研ナオコがシングル曲としてカバー、大ヒットした)
それにしても、夏の定番サザンオールスターズへのオマージュとして、あえて「夏をあきらめて」を引用しているところが渋い。
夏に浮かれているパリピ連中へ冷や水を浴びせかけるような暴挙である。
そして、それが実にいいのだ。
これぞ、まさしく真夏のクールダウン。
気がつくと、夏の高揚感への期待はどこへやら、すっかりとスチャダラパーのペースにはまり込んでいる。
ダウナーな夏にはまりこんでいる。
みんなそそのかされちまう
ついつい流されちまう
結局暑さでまいっちまう
誰のせい? それはあれだ 夏のせい
(スチャダラパー「サマージャム’95」)
結局、夏らしい盛り上がりもない割に、この曲は1995年(平成7年)の夏のサウンドトラックの一曲になってしまった(笑)
そして、今でも夏になると聴き返したくなる、歴代サマーソングの名曲の一つである。
ところで、この夏一番熱かったのは、ロサンゼルス・ドジャースに移籍した野茂英雄だろう。
あの頃の熱狂ぶりって、現在の大谷翔平よりも凄かったような気がする。
曲名:サマージャム’95
歌手:スチャダラパー
作詞:スチャダラパー
作曲:スチャダラパー
編曲:スチャダラパー
発売:1995年7月19日
レコード会社:東芝EMI