板坂元『紳士の粋』読了。
本作『紳士の粋』は、1998年(平成10年)7月に小学館から刊行されたエッセイ集である。
この年、著者は76歳だった。
教養を補足する大人の「雑学」
小学館『サライ』に連載された板坂元「紳士の流儀」シリーズは、本書が第4弾だった。
①紳士の小道具(1993)
②紳士の文房具(1994)
③紳士の食卓(1996)
④紳士の粋(1998)
本作『紳士の粋』は、物質的な要素が大きい他の書名に比べて、より精神的な要素が大きい書名となっている。
つまり、大人の男性(紳士)として「粋」に生きるために必要な情報が、エッセイという形で詰めこまれているわけだ。
簡単に言えば、これは、大人のための雑学ネタ帳である。
ここでいう「雑学」とは、秋元治『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(こち亀)の連載終盤に登場したキャラクター「雑学(ざつ・まなぶ)」が披露するような、いわゆる「雑学」ではない。
例えば、井伏鱒二の随筆「長崎の醤油瓶」を読むことは、大人の教養である。
井伏鱒二が「長崎の醤油瓶」という小文で、長崎のコンプラ瓶を紹介している。長崎県庁舎の基礎工事中に多数出てきたコンプラ瓶を知事から贈られたという話題だ。(板坂元「醤油瓶」)
しかし、長崎のコンプラ瓶について深く考察することは、もはや教養の範囲を出て「雑学」と言っていい。
著者(板坂元)は、蒐集品であるコンプラ瓶や醬油瓶を写真で紹介しながら、コンプラ瓶についての知識を披露している。
井伏の文によると、コンプラ瓶が多数発見されたのは長崎県庁舎の敷地だが、ここから坂を下ると江戸町という通りがあって、その先に昔は出島があった。非常に近かったわけだ。醤油や酒は、このあたりで詰められただろうから、不要になった瓶があのあたりに多数捨てられたのだろう。(板坂元「醤油瓶」)
つまり、一般教養を補足するものが、大人の「雑学」である。
井伏鱒二の随筆は、それが自体が既に「雑学」である部分も大きいから、「雑学を補強する雑学」だったかもしれない。
井伏鱒二に関する話題は他にもあった。
たとえば、川端康成の『浅草紅団』。私は、中学生のころ、父の書棚から『モダン・tokio・圓舞曲』という本を取り出して読んだとき、はじめて『浅草紅団』を読んだが、いわゆるエログロ・ナンセンス調の小説集で、都会風のテンポの早い文体だった。(板坂元「アール・デコー」)
1930年(昭和5年)に春陽堂の「世界大都會尖端ジャズ文學」シリーズから刊行された『モダンTokio円舞曲 : 新興芸術派作家十二人』には、川端康成のほか、久野豊彦、阿部知二、堀辰雄、藏原伸二郎、龍膽寺雄、井伏鱒二らの作品が収録されていた。
そういえば、『モダン・tokio・圓舞曲』には、井伏鱒二の短篇があって、後の井伏文学から想像もできないユーモア文学だったような気がする。おそらく、井伏全集には収められることは全くないだろう。(板坂元「アール・デコー」)
『モダンTokio円舞曲 : 新興芸術派作家十二人』に収録された井伏鱒二の短篇は「或る交遊の素描」で、筑摩書房『井伏鱒二全集(第二巻)』(1997)に「或る交友の素描」として収録されている。
「アール・デコ」の話題が、『モダンTokio円舞曲』というエログロ・ナンセンスの文学の話になって、井伏鱒二へとたどりつく。
そんな話の広がり方が、このエッセイの大きな魅力だった。
教養と言っていい話題もある。
芭蕉に「秋十とせ却て江戸を指故郷」という句がある。江戸住まいが十年にもなって故郷伊賀上野に帰った芭蕉が、再び江戸へ戻ることになって、気がついてみると江戸へ向けての旅が故郷に帰る旅のように感じられる、という句になったわけだ。(板坂元「米国の骨董屋」で)
興味のある人は、ここから芭蕉の句集を買ってきて読むことで知識の幅が広がる。
実際、本書をきっかけにして読むことになった本は多い。
たとえば、昔、機智と警句で読者を沸かせた高田保の『ブラリひょうたん』は、読み返してみると出版当時ほどの鋭さを感じさせない。世相を斬るといっても、斬るべき世相が変わっているのだから、振り上げた手の下ろしどころがないのだ。(板坂元「インテリア」)
高田保『ブラリひょうたん』(1950)は、続篇がいくつも出た名作随筆集だが、このように(発掘的な)紹介がないと、現代では出会いのきっかけというものがないだろう。
古い随筆には、古い随筆でしか読めない情報というものが必ずあるし、古い情報は古い情報なりに、どこかで生きてくるものである。
少なくとも、知っているのと知らないのとでは、教養の幅がまったく異なる。
新しい情報は「教養」だが、古い情報は「雑学(ネタ)」として教養を補強するためにストックしておけばいい。
教養を補強するネタとして『粋人酔筆』もいい。
私は学生のころ『内外タイムス』という新聞を愛読していた。今のスポーツ新聞の遊興欄の草分け的なところがあって、たとえば「粋人酔筆」という連載は大いに啓発されたものだ。寄稿者は石黒敬七、宮尾しげを、丸木砂土、本山荻舟、渋沢秀雄、福田蘭童、北林透馬、峰岸義一、滝川政次郎等々、当時一流の粋人たち。内容もウィットに富み、今でも読んで楽しい文が少なくない。(板坂元「うわなり打ち」)
随筆好きは、こういう記事から『粋人酔筆』シリーズを読み、石黒敬七や渋沢秀雄、福田蘭童の随筆集へと進んでいく。
小説と違って随筆は「情報」の集積だから、「粋な大人」にぴったりの読み物と言える。
むしろ、粋な随筆を読むことで、昔の粋人は生まれていたのかもしれない。
もちろん、小説も「雑学」のネタになる。
本棚を整理していたら007の翻訳の山が出てきた。今でこそ町の話題にならないけれど、一九六〇年代に007は一世を風靡するような影響力を持っていた。(略)文学作品の一部をマニュアルのように学ぶのは、オーソドックスな道ではないのだが、私は意外に作品から雑学的知識を取り入れることがある。(板坂元「007と’60年代の日本」)
例えば、カクテル「マーティニ」のレシピは、「007」シリーズの『カジノ・ロワイヤル』から学んだものだ(「シェイク、ドント・ステア(かきまぜるな)」)。
そういえば『007号は二度死ぬ』の翻訳で「人生は二度しかない、生まれたときと死に直面したときと」という句が芭蕉の言葉として巻頭に紹介されているが、芭蕉の原典はどうなっているのか、訳者の井上一夫さんに聞いてみたい。(板坂元「007と’60年代の日本」)
1962年(昭和37年)11月に来日したとき、「007」シリーズの作者(イアン・フレミング)は、松尾芭蕉の俳句「命二ツの中に生きたる桜哉」に倣って、英文俳句を詠んだ。
その日本語訳が「人生は二度しかない、生まれたときと死に直面したときと」だったらしい。
俳句は、いかにも、粋な大人向けの趣味と言える。
ラズウェル細木『酒のほそ道』の主人公(岩間宗達)も、粋な風流人を目指すサラリーマンだったから、おそらく本書も愛読書になっていたことだろう。
「扇風機止まれば醜き器械となりぬ」という句は、昭和初年の山口誓子の作だが、機能を失ったときに、醜悪なかたまりになる、という誓子の感覚は、現代のわれわれに通じるような気がする。(板坂元「竹細工」)
俳句の話題は多い。
中村草田男の句集『長子』に「花圃今も水栓漏るる音ばかり」という句がある。卒業した松山高校(旧制)を久しぶりに訪れたとき、庭園の水道栓から昔ながらに水漏れしているという句なのだが、草田男さんも、つまらぬことを記憶の中から取り出したもののようだ。(板坂元「ランプ」)
気の利いた俳句をいくつか知っているだけで、教養の幅は、大きく広がったような気になる。
「句集を読む」という読書スタイルが、最近では廃れてしまっているのが寂しい。
その点、歳時記を開く楽しみというのは、現在でも生きているのではないだろうか。
俳句に「雁風呂(がんぶろ)」という季題がある。春になって雁が北に帰るとき、海浜に残した木片を拾い集めて漁民たちは風呂を焚く。これを雁風呂という。昔、少年向きに書かれた内田清之助『渡り鳥』という本(岩波書店、一九四一年刊)に、次のような文がある。(板坂元「007と’60年代の日本」)
引用元が「内田清之助『渡り鳥』(1941)」というのもマニアックでいい。
まだ見ぬ世界を「知的冒険の旅」に出かけたいとき、本書のようなエッセイ集は心強い味方になってくれる。
コレクターのたしなみ
本書『紳士の粋』はエッセイ集ではあるが、人気の秘密はカラー写真で紹介される数々のアンティークにあった。
『ティファニーの百五十年』は、一八三七年に文房具・小間物の店として開店したティファニーの歴史を辿る図録で、珍しい図版も多くて、読んでいて楽しい。(板坂元「アール・ヌーボー」)
著者(板坂元)は、ティファニーの文房具の愛好家なので、しばしばティファニーの話題が出てくる。
私はティファニーの文房具を集めているが、たとえばレターオープナーの幾つかを並べてみると、これを使っていた人は、とんでもない富豪の令嬢だったのかもしれないと思うことがある。(略)世にはシャネラーというマニアがいて、シャネルの製品に目がないらしい。ならば、ティファニストと称する人がいてもおかしくないだろう。(板坂元「潔癖感」)
もともと「文房具店」として開業したティファニーだったから、「ティファニーの文房具」を蒐集するということは、不思議でもなんでもない。
とはいえ、ティファニーが女性に人気のアクセサリー店となった今、ティファニーの文房具を集めるというのは、何とも粋な話だ。
先日米国に行ったとき、女房だか娘だかにすすめられてティファニーでマニー・クリップを買ってきた。いつまで持っているか心許ないが、人前で持ち出すと、ときどき不思議そうな目で見られることがある。(板坂元「文房具」)
これを読んで、ティファニーまで「マネー・クリップ」を買いに行ったおじさんも、きっと少なくないだろう(自分は行った)。
ティファニーでは数種類のマネー・クリップを取り揃えていて、3万円台~6万円台で購入できる。
クレジットカード、現金、身分証などをすっきりとまとめて、財布代わりにもなる洗練されたデザインのレディース & メンズ マネー クリップ。スターリングシルバーのマネー クリップは、身軽に外出したい時に活躍します。素敵なデザインの中からお好みのスタイルをお選びいただけます。(「ティファニー」公式サイト)
板坂さんのマニー・クリップは、シンプルな「ゼムクリップ」型でかっこいい(誰も「ティファニー製」とは思わないだろうが)。
ティファニー以外にも文房具の話題は多い。
パーカーのノーマン・ロックウェルの限定版万年筆も、箱が大きくて重過ぎ、買って家に持ち帰ったとき、くたくたに疲れてしまって、開けないまま横になって寝込んでしまった。(略)むしろ、代官山のアクセントという店で、ウォホールのマリリン・ペンを手にした時の方が、喜びは大きかったような気がする。(板坂元「限定版の万年筆」)
「大人の嗜み」という印象が強い万年筆は、いかにも深みにハマる文房具だ。
ハマるという意味では、アンティーク蒐集もまた、粋な大人の嗜みに違いない。
そのころ、よく訪れた一つが、ジョージタウンという町のアンティーク店の集まっている一郭だった。今でも、米国に行けば、時間を見つけて、そういう店々の品々を見て歩くのが、私にとってのセンチメンタル・ジャーニーだ。(板坂元「文房具セラピー」)
アンティークには「物を買う」というよりも「歴史を買う」といった楽しみが大きい。
アール・ヌーヴォーの器デザインに日本的草花や昆虫が登場するのは、当時のヨーロッパが、日本文化の影響を受けていたことを意味している。
中でもトンボがしばしば登場するのは、江戸時代以来の観念を反映している。トンボは、俗にカチムシと呼ばれていて、「勝ち」という音に通じるので、縁起のよい図柄として喜ばれていた。(板坂元「アール・ヌーボー」)
エミール・ガレの器にデザインされたトンボの図柄は、ガレの協力者だった日本画家(高畠北海)の名前を取って「高畠のカチムシ」と呼ばれている。
米国でフリー・マーケットやガレージ・セールを覗いて廻ると、必ずと云ってよいほど鍋敷が一つや二つは見つかるものだ。たまに赤錆だらけのものもあるが、大体は保存のよいものが多い。(板坂元「鍋敷」)
アンティーク蒐集には、誰も集めないようなモノを集めるという(非常にマニアックな)楽しみがある。
著者がアメリカで買い集めたという19世紀から20世紀初頭にかけての「鉄製鍋敷き」の写真は確かに圧巻だが、他人と被らないコレクションであることは確かだろう(だからこそ集めやすいのだ)。
古本も、アンティークのひとつと言えるだろうか。
最近、『新青年』のバックナンバーを買い損ねた。古書店から売立目録に五十冊出ているがと云われて、適当に値踏みをして入札してもらった。一冊五千円で大丈夫だろうと期待していたが、物の見事に失敗した。(板坂元「モダニズムの時代」)
表紙デザインも秀逸な古雑誌は、マニアックな人気があるらしい。
アンティーク好きは、デザイン好きということでもある。
町に出て、コスタボダの店でクリスタルの大ぶりな角皿を買って来た。(略)作者はスエーデンのパーテル・ヴァリーン。ドミノ・ディッシュという商品名になっているから、作者は皿のつもりで作ったのだろう。(板坂元「無用の用」)
スウェーデンのガラス製品ブランド「コスタボダ」では、現在でも「バーティル・ヴァリーン」の作品を扱っている。
コスタボダではグンナル・ミィレーンのノーベル・シリーズのワイングラスを買い添えた。金色のステム(柄)は少々派手気味だが、角皿に何かを盛って、グラスに赤ワインを並べると、秋の夜長の良き友になってくれそうだ。(板坂元「無用の用」)
「ノーベル・シリーズ」とは、ノーベル賞の受賞パーティー(晩さん会)で使われるテーブルウェアのこと。
毎年12月10日(アルフレッド・ノーベルの命日)にストックホルム市庁舎で受賞者のお祝いの晩餐会が盛大に開かれます。その時に使用されるテーブルウエアはOrrefors、Rorstrand、Klassbolsとスウェーデンを代表するブランドの物。これは1991年、ノーベル賞創設90周年を記念して各ブランドからこの晩餐会の為にデザインされ発表されたもので、上質な素材、さりげないゴールド使いが華やかな授賞式を演出します。(「コスタボダ」公式サイト)
金色の太いステムをあしらったワイングラスは、「オレフォス NOBEL レッドワイングラス 2Pセット」として、現在も販売されている(公式オンラインショップで52,800円)。
OrreforsのNOBEL(ノーベル)シリーズは、ヨーロッパの建物の支柱を思わせる太めのステムにゴールドをあしらったワイングラス、球状のモチーフがついたシャンパングラス、ホワイトとゴールドで統一された空間に遊びをもたらす、グリーンのステムのホワイトワイングラスとピッチャー。(「コスタボダ」公式サイト)
自宅で晩餐会気分が味わえるとしたら、案外、安い投資かもしれない。
板坂さんは、西洋アンティークのみならず、日本の骨董品にも造詣が深かった。
長崎に出かけるには、もう一つの目的がある。有卦絵のついた陶器を探してみたいのだ。(板坂元「無用の用」)
「有卦絵」とは、縁起絵の一種で、富士山、福寿草、藤、袋、筆、ふみ、鮒、ふくら雀、船、河豚、振袖、笛、風鈴など、福に通じる「ふ」の字のつく物の絵が描かれたもののこと。
あまり研究が進んでいないため、謎が多いというところも、魅力の一つだろう。
和洋問わずに、小さな物を集めるという趣味もあった。
私は子供のころから小さいものを好む癖を持っている。(略)最近、モンブランがモーツアルト記念の小さな万年筆を発売したときは、思わず歓声を挙げたくなった。(板坂元「小さきもの、いつうつくし」)
モンブランの「マイスターシュテュック オマージュ・ア・W.A.モーツァルト プラチナライン万年筆(スモールサイズ)は、現在も入手可能(公式オンラインショップで103,400円)。
マイスターシュテュック オマージュ・ア・W.A.モーツァルト プラチナライン万年筆 (スモールサイズ) は、ディープブラックプレシャスレジンにプラチナ仕上げのディテール、ホワイトスターのシンボルマーク、手仕上げのペン先など、モンブランのアイコン的なデザインです。(「モンブラン」公式サイト)
小さな筆記用具というのは、それだけでそそられるものがある。
戦前の小さなシャープペンシルなど、当然、蒐集の対象範囲に入ってくるだろう。
板坂さんの買い物は、単に蒐集のためだけではなかった。
私は子供たちの誕生日に贈るプレゼントを日頃買いだめしている。(略)街を歩いていて目に入ったもので、子供たちが喜ぶと思うものは、買って帰って身辺に置いておくのも楽しみの一つになっている。(板坂元「燗鍋」)
日ごろから家族のプレゼントのことを心がけているというところがいい。
本当の意味で雑学的な話題も多かった。
かつて、小説の神様と云われていた横光利一が、母校に招かれて講演したとき、いきなりコップを取り上げて「この小さな世界が」とか云って、数分間物を云わなかった。諸説まちまちだが、横光が失語状態になったのは確からしい。(板坂元「水差し」)
雑学というか、文壇ゴシップ的な話は、いくら知っていてもいい。
大正時代の俳人萩原井泉水さんが、新潟に行って俳号どおりに水の鑑定ができると自慢して、「この水は良い」と評価したというエピソードがある。この時、誰かがいたずらして、もう一度同じ水を持って行って差し出したら、「ウン、こっちの方がウマイ」と云ったという。(板坂元「水差し」)
文壇ゴシップも、現在ともなれば、既に教養と言えるのではないだろうか。
知的好奇心の強い人に、本書『紳士の粋』は絶対的にお勧めの一冊である。
いったんハマると、シリーズ全部読みたくなること間違いなしだ。
書名:紳士の粋
著者:板坂元
発行:1998/07/10
出版社:小学館 Shotor Library(ショトルライブラリー)


