F・スコット・フィッツジェラルド「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」読了。
本作「ベンジャミン・バトン」は、1922年(大正11年)5月『コリアーズ』に発表された短編小説である。
原題は「The Curious Case of Benjamin Button」。
この年、著者は26歳だった。
作品集としては、1922年(大正11年)に刊行された『ジャズ・エイジの物語(Tales of the Jazz Age)』に収録されている。
2008年に公開されたブラッド・ピット主演映画『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』の原作小説である。
老人から若者へと人生を逆戻りする数奇な運命
『グレート・ギャツビー』の代表作を持つF・スコット・フィッツジェラルドは、純文学と大衆小説の両分野で活躍できる、二刀流の作家だった。
特に、発表された作品数が180編近くにもなるという短篇小説では、ミステリー小説などエンターテイメント性の強い作品も、随分書いていたらしい。
フィッツジェラルドの短編小説は玉石混交と評されることが多いが、荒唐無稽なストーリーは、純文学の世界では評価されにくいことは確かだろう。
そして、本作「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」は、荒唐無稽な話の代表選手みたいな物語である。
なにしろ、生れてきた新生児が、70歳の老人だったというところから、ストーリーが始まるのだから。
老人はつかのま落ち着いた様子で二人を交互に見てから、不意にかすれたしわがれ声でしゃべった。「あんたがわしの父さんかい?」(F・スコット・フィッツジェラルド「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」永山篤一・訳)
年寄りとはいえ成人男性が、どのように母親の子宮の中から生れてきたのか、具体はまったく書かれていない。
さらに、驚くべきことに、<ベンジャミン・バトン>と名付けられた、この男性は、自分が少しずつ若返っていくことを発見する。
つまり、普通の人間が毎年1歳ずつ年を取るのと同じように、ベンジャミンは毎年1歳ずつ若返っていくのだ。
老人から若者へと人生を逆戻りするような数奇な運命に、ベンジャミンは苦悩する。
「あれをごらん!」人々が言う。「なんてかわいそうなんだろうねえ! 四十五歳ぐらいの女と一緒にいるあの若者だ。妻よりも二十歳は若いんじゃないだろうか」世間の連中はいつも忘れてしまうものだが──一八八一年に、彼らのパパとママがやはり、同じカップルに対して同様の批判をしたことをすっかり忘れていたのだ。(F・スコット・フィッツジェラルド「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」永山篤一・訳)
愛した女性が老けていく一方で、ベンジャミンはますます若さを取り戻していく。
ベンジャミンの苦悩は、彼が若くなっていくことで、さらに深まっていたのかもしれない。
長編小説のダイジェスト版みたいな短編小説
小説のテーマとして、非常におもしろいのに、読み終わった後に残る物足りなさ。
これは、明らかにボリューム不足のために起こる消化不良である。
そもそも、70年の人生を、文庫本にして60ページ程度の枚数で描き切ろうというところに、絶対的な無理がある。
ベンジャミンの人生を辿るのに精一杯で、具体的なエピソードは少なく、そのため物語に深みがない。
まるで、長編小説のダイジェスト版を読んでいるみたいな感じだった。
短編小説なんだから、どこかの一場面に焦点を当てて書くことで、シリーズ化することも可能だったんじゃないだろうか(特に、父親や息子、とりわけ妻など、家族の側の苦悩をもっと掘り下げてほしい)。
テーマが面白いだけに、何とももったいないような気がした。
もうひとつ、「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」は、優れたSF小説としての可能性を持った作品だと思われるが、SF小説としての膨らみも十分ではない。
もう少し科学的根拠を見せながら書けば(その上で長篇小説であれば)、この作品は素晴らしいSF小説になったかもしれない。
もっとも、フィッツジェラルドがストーリー重視の短編小説を書いていたのは、エンターテイメント性を重視したためと言われている。
大衆受けのする小説の方が出版社から歓迎され、原稿も買ってもらいやすかったらしい。
すべてはお金のためということだが、書こうと思えば、こんな突拍子もない作品も書けるんだというところに、フィッツジェラルドという作家の才能が現れているんだろうなあ。
おそらく作者としては、素晴らしいSF小説を書こうなんてつもりは、さらさらなかったということか。
まあ、原作小説よりも映画の方が素晴らしい作品だとは思うけどね。
作品名:ベンジャミン・バトン 数奇な人生
著者:F・スコット・フィッツジェラルド
書名:ベンジャミン・バトン 数奇な人生
訳者:永山篤一
発行:2009/01/25
出版社:角川文庫