ディヴィッド・レヴィット「あらかじめ失われた世代」読了。
本作「あらかじめ失われた世代」は、1985年(昭和60年)に発表されたエッセイである。
この年、著者は24歳だった。
原題は「The New Lost Generation」。
日本では、1988年(昭和63年)に刊行された『Switch SPECIAL ISSUE The New Lost Generation あらかじめ失われた世代』に森田義信の翻訳により収録された。
ムーブメント体験のない「あらかじめ失われた世代」
文学史上において「失われた世代(ロスト・ジェネレーション)」は、第一次世界大戦中から戦後にかけて20代を過ごし、1920年代のパリを中心に退廃的な生活を送った世代を示すことが多い。
アーネスト・ヘミングウェイ(27)の『日はまた昇る』(1926)のエピグラフとして引用されて以来、一般的に定着し、F・スコット・フィッツジェラルド(29)の『グレート・ギャツビー』(1925)は、ロスト・ジェネレーション文学の代表的な作品とも呼ばれた。
簡単に言えば、1920年代の青年作家たちの文学、それが「失われた世代」の文学だった。
やがて、第二次世界大戦と朝鮮戦争、ベトナム戦争という激動の時代を超えて1980年代に入り、久しぶりに「ロスト・ジェネレーション」という言葉がアメリカ文学界に登場した。
それが、本作「ニュー・ロスト・ジェネレーション」、邦題「あらかじめ失われた世代」である。
このエッセイを発表したディヴィッド・レヴィットは、1961年(昭和35年)生まれ。
彼は、本稿において自分たちの世代を「ニュー・ロスト・ジェネレーション」と呼んでいる。
こんなことがあった。初めてニューヨークに来て、仕事を探していたときのことだ。オスカー・ワイルド・メモリアル・ブックストア──政治的なゲイの本屋の店長に履歴書を渡しにいったときのことだ。店長が、僕の「ムーブメント体験」について話してくれと言ったのだ。(ディヴィッド・レヴィット「あらかじめ失われた世代」訳・森田義信)
60年代の闘争の時代には遅れ、80年代のコンピューターの時代には早すぎた。
ムーブメント体験のない世代、それが、彼ら「あらかじめ失われた世代」だった。
末期だ。僕らはいつも、末期にいた。六〇年代の末期。ベイビー・ブームの末期。すべてが燃えつき、よりどころをなくした、アイロニーと幻滅の時代へ、僕らは大股に踏みこんでしまった。様々なことをふきこまれて沸騰した若いエネルギーを抱えながら、僕らはどこに行けばよかったというのだろう。(ディヴィッド・レヴィット「あらかじめ失われた世代」訳・森田義信)
『Switch SPECIAL ISSUE The New Lost Generation』は、この「あらかじめ失われた世代」と呼ばれる若手作家たちに徹底的にフォーカスした、アメリカ文学の特集である。
洗練されていた「ニュー・ロスト・ジェネレーション」
「あらかじめ失われた世代」が注目された背景には、有望な若手作家が次々と誕生しつつあったという、当時のアメリカ文学界の事情が、大きく影響していたらしい。
その象徴となったのが、ジェイ・マキナニー(29)のデビュー作『ブライト・ライツ、ビッグ・シティ』(1984)だった。
その後、アメリカでは、ブレット・イーストン・エリス(21)の『レス・ザン・ゼロ』(1985)や、タマ・ジャノウィッツ(30)の『ニューヨークの奴隷たち』(1986)などが話題となり、彼らは「ニュー・ロスト・ジェネレーション」─あらかじめ失われた世代─と呼ばれるようになる。
キャリアと信用を築くこと。欲しいものは、いいアパートメントと満足できる仕事、心地よい男性/女性の友人。欲しいものは、アメリカン・エクスプレスのゴールド・カード。(ディヴィッド・レヴィット「あらかじめ失われた世代」訳・森田義信)
多くの若者が「革命家」を志した上の世代と変わって、彼らはソフスティケートされていた。
彼らは「大学を出てすぐ企業で働く僕ら」であり、「スーツが似合う僕ら」だったのだ。
一五年前だったら、三〇歳以上の人間を信じてはいけないことになっていた。しかし、僕らの世代の人間にとってゴールとは、できるだけ早く三〇歳になり、そこに留まることだ。始めたばかりのころから、僕らは何よりもまず、終わることばかりを考えていた。(ディヴィッド・レヴィット「あらかじめ失われた世代」訳・森田義信)
ただし、出版業界における「失われた世代」の商業化について、ディヴィッド・レヴィットと大学時代からの仲間で、レイモンド・カーヴァーやジェイ・マキナニーを売り出したことで知られる編集者ゲイリー・フィスケットジョンは、否定的な見解も示している。
フィスケットジョン「ニュー・ロスト・ジェネレーションという言い方があるけれど、本当は、そんなものは存在しない。ただし、マーケットとしては存在する。今の世の中、金は余っているし、誰もが大学へ通っているから差異が縮まって、『世代幻想』のようなものを抱き易いんだ。そこへ出版社がつけ込んでいる」(駒沢敏器「編集者の時代へ」)
もしかすると、1960年代の社会運動が幻想であったのと同じように、1980年代の「ニュー・ロスト・ジェネレーション」も、また、幻想だったのだろうか。
ジェイ・マキナニー、ブレット・イーストン・エリス、ディヴィッド・レヴィット、モナ・シンプスン、スーザン・マイノット、マディソン・スマート・ベルなど、「あらかじめ失われた世代」と呼ばれた作家は多い。
彼らが、その後、どのようにして1990年代から2000年代、2010年代を過ごしてきたのか。
そんなことを考えてみる必要があるのかもしれない。
もっとも、インターネット以前の作家である彼らについて、<Wiki>を始めとするネット情報は、極めて限られている。
彼らが最も輝いていた時代──あるいは、それが、80年代という時代だったのだろうか。
作品名:あらかじめ失われた世代
著者:ディヴィッド・レヴィット
訳者:森田義信
書名:Switch SPECIAL ISSUE The New Lost Generation あらかじめ失われた世代
発行:1988/12/15
出版社:扶桑社