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村上春樹『THE SCRAP 懐かしの一九八〇年代』ジャンクな時代<1980年代>

村上春樹『THE SCRAP 懐かしの一九八〇年代』ジャンクな時代

村上春樹『THE SCRAP 懐かしの一九八〇年代』読了。

本作『THE SCRAP 懐かしの一九八〇年代』は、1987年(昭和62年)2月に文藝春秋から刊行されたコラム集である。

初出は、1982年(昭和57年)4月~1986年(昭和61年)2月『スポーツ・グラフィック・ナンバー』で、連載開始の年、著者は33歳だった。

1980年代というノスタルジックな歴史

古い雑誌を読むのは、暇つぶしに最高の楽しみである。

何年か前までは、1980年代の雑誌ばかり集めていたが、最近は、1990年代の雑誌まで蒐集対象に入ってきた。

いつかは、古い雑誌をネタにしたコラムでも書きたいと思いながら、30年以上の時が過ぎた。

雑誌をネタにしたコラムの原体験は、もちろん、村上春樹の『THE SCRAP 懐かしの一九八〇年代』である。

何はともあれ、このようにわりと気楽に四年間アメリカの雑誌のスクラップをつづけてきたわけだが、いざ八十一本をまとめて順番に読んでみると(本当は八十五本あったのだがわけあって四本は落とした)、世の中というのはなんのかんのと言っても結構面白いものだったんだなあと、ふとノスタルジックな想いに耽ってしまうことになる。(村上春樹『THE SCRAP 懐かしの一九八〇年代』まえがき)

書名に「懐かしの一九八〇年代」とあるが、このコラム集の出版は1987年(昭和62年)で、つい何年か前の話が、もうノスタルジックな「歴史」になっていたのだ。

もちろん何もかもが古びているというわけではない。あるものは束の間のフェイク(まやかし)であるとしても、あるものは確かな予兆である。(村上春樹『THE SCRAP 懐かしの一九八〇年代』まえがき)

歴史の検証と言えば大袈裟だが、我々が生きている現在には、必ず、そこに至る過程がある。

古い雑誌をめくる「近過去トリップ」には、忘れていたものを思い出す以外に、新しい未来へとつながる何かが見つかるものだ(と思いたい)。

「東京コーヒー・ショップ」は、世界でいちばんコーヒーの美味い都市は東京である、という『ニューヨーク・タイムズ』の記事を引用している。

『NYタイムズ』の推薦する東京の優良コーヒー・ショップは代々木の「トムズ」、新宿の「珈琲屋」、青山の「大坊」(ここのコーヒーは僕も好きです)というところである。(村上春樹『THE SCRAP 懐かしの一九八〇年代』より「東京コーヒー・ショップ」)

さすがに、時代の流れか、『NYタイムズ』推薦の名店は、現在どれも残っていないが、東京の(というか日本の)スペシャリティ・コーヒーは、現在、国際的に注目されているものだ。

もっとも、スターバックス・コーヒーの進出著しい中、「カフェ難民対策」は、日本各地の大都市が抱える現代的な課題ともなっているらしいが(なぜだ?)。

今アメリカでいちばん注目されている若手小説家として登場しているのが、『ブライト・ライツ、ビッグ・シティ』のジェイ・マキナニー。

彼のデビュー作「ビッグ・シティーの明るい灯」は僕も読んだけれどなかなか面白い鮮やかな小説で、クリティックスには完璧に無視されたが、巷では評判になって、新人作家としては異例・破格の十五万部という売上げを記録した。(村上春樹『THE SCRAP 懐かしの一九八〇年代』より「ジェイ・マキナニーの明るい灯」)

ジェイ・マキナニー『ブライト・ライツ、ビッグ・シティ』は、1988年(昭和63年)になって、高橋源一郎・訳で紹介されて、日本でも話題となった(村上春樹のコラムは1986年発表)。

「ニュー・ロスト・ジェネレーション」(あらかじめ失われた世代)という言葉が、今や聞かれなくなってしまったのは、残念ではあるけれど。

『ラブ・ストーリー』の作者として有名なエリック・シーガルの新作長篇『ザ・クラス』の評判は、あまり芳しいものではなかった。

「僕が『トゥデイズ・ショー』のインタヴューに出演すると、バーバラ・ウォルターズは頭に血がのぼってたみたいだった。そして彼女はインタヴューなんかほとんどやらず、カメラに向ってこう言った。『この若者がものすごい本を書きました。皆さん、今すぐ書店に行って買って下さい』ってね。その日の十二時までに『ラブ・ストーリー』は全米で一冊残らず売れてしまったよ」(村上春樹『THE SCRAP 懐かしの一九八〇年代』より「エリック・シーガル語る」)

『ザ・クラス』は、1994年(平成6年)になって扶桑社から、田辺亜木・訳で日本にも紹介されている(書名『クラス』)。

サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』を取り上げたのは、『エスクァイア』1982年(昭和58年)12月号。

『エスクァイヤ』誌十二月号はこの「ライ麦畑のキャッチャー」の出版三十年を記念して「熟年を迎えたキャッチャー」という小さな特集を組んだ。小説も誕生日を祝ってもらえるようになればたいしたものだ。(村上春樹『THE SCRAP 懐かしの一九八〇年代』より「一九五一年のキャッチャー」)

『エスクァイア』によると、『ライ麦畑』の売り上げは、『白鯨』や『ギャツビー』を完全にしのぐものだったらしい。

若き日のフィッツジェラルドやサリンジャーも憧れた雑誌が『ニューヨーカー』だった。

最近では『ニューヨーカー』に載ったレイモンド・カーバーの『僕が電話をかけている場所』とドナルド・バーセルミの『落雷』の二冊がお勧め品である。カーバーもいつもながらほれぼれするような好短編である。(村上春樹『THE SCRAP 懐かしの一九八〇年代』より「『ニューヨーカー』の小説」)

『ガープの世界』で有名なジョン・アーヴィングの別居記事もあった。

ジョンの突然の成功は私たちの結婚生活に良い影響をもたらしませんでした──なんてなかなか泣かせる科白である。アメリカにおける「成功」の目安はだいたい年収百万ドル以上だから、僕なんかまだまだ大丈夫だ。(村上春樹『THE SCRAP 懐かしの一九八〇年代』より「J・アーヴィングと夫婦不和」)

これは、1982年(昭和57年)発表のコラムで、村上春樹は『羊をめぐる冒険』を出版したばかりだった。

文学を離れると、ファッションについての記事もいい。

先日古くなったシャツを三枚ほど処分したので、そのかわりのものを原宿の「ポール・スチュアート」に買いに行った。僕はとくに着るものに凝る方ではなくて、いつも同じようなものばかり着ているのだけれど、シャツを買うのだけはわりに好きである。(村上春樹『THE SCRAP 懐かしの一九八〇年代』より「シャツについて」)

高校・大学時代は「VANヂャケットのボタンダウンのカラーサイズ三十七しか着ないというかなりマニアックな生活を送っていた」とあるから、さすがにアイビー世代だなあという感じがする。

映画の話題も多いが、ボブ・フォッシの新作映画『スター80』は、マリエル・ヘミングウェイの豊胸手術がテーマとなっている。

「これは私のおっぱいがどうこうという内容の映画じゃないのよ」と彼女は弁明している。「私が手術でおっぱいを大きくしたのは私がやりたくてやったんであって、映画の役をもらうためじゃありません。ホントよ」(村上春樹『THE SCRAP 懐かしの一九八〇年代』より「ピカピカの乳房についての考察」)

日本の著名人で登場しているのは、安西水丸と村上龍。

ずっと前に安西水丸さんからニューヨークのジャズ・クラブでセロニアス・モンクにハイライトを一本ねだられたという話を聞いたことがある。村上龍氏からはやはりニューヨークのジャズ・クラブでスタン・ゲッツの煙草に火をつけてやったという話を聞いた。(村上春樹『THE SCRAP 懐かしの一九八〇年代』より「NYジャズ・クラブめぐり」)

1982年(昭和57年)の時点で、村上春樹は、まだ、ニューヨークのジャズ・クラブには行ったことがないと綴っている。

気になったのは「スニーカー・ミドル」という言葉。

最近「スニーカー・ミドル」なんていうことばがよく使われるようになった。要するに「団塊の世代」が年を取ったのである。(村上春樹『THE SCRAP 懐かしの一九八〇年代』より「老いるとはどういうことか」)

1982年(昭和57年)、村上春樹は33歳だった。

三十歳を過ぎると「老いることについて」考え始める時代だったのだ。

東京ディズニーランドとロス・オリンピック

本作『THE SCRAP 懐かしの一九八〇年代』には、おまけとして、『大丈夫です。面白いから──東京ディズニーランド』という、東京ディズニーランド開業取材コラムと(イラストは安西水丸)、『オリンピックにあまり関係ないオリンピック日記』というロサンゼルス・オリンピックをテーマとしたコラムが収録されている。

特に『オリンピックにあまり関係ないオリンピック日記』は、本編を凌駕するくらい楽しい日記コラムとなっている。

吉祥寺で「ぐわらん堂」を経営していた村瀬春樹さんという人もいる。安西水丸画伯はこの村瀬春樹さんと知り合いで、僕が文芸誌で新人賞をとって新聞に名前が載ったとき、てっきりこの村瀬さんだと思いこんで「おめでとう」と電話したんだそうである。(村上春樹「オリンピックにあまり関係ないオリンピック日記」)

どう考えても、オリンピックとは全然関係のない話題が、延々と続く。

自宅にテレビがないから、オリンピックを観ていないので、オリンピックの記事なんか書けやしないのだ。

僕は大金持ちになったら声のきれいな日本女子大出の秘書を雇って散髪しているあいだ、ロバート・B・パーカーを朗読させたいと思う。僕は昔から秘書にするなら日本女子大出の女の人が良いと思っているんだけど、本当はどうなのだろう?(村上春樹「オリンピックにあまり関係ないオリンピック日記」)

このとき、村上さんが読んでいたのは、ロバート・B・パーカーの『拡がる環』(1984)だった。

ロバート・B・パーカーのスペンサー・シリーズは、僕も、単行本で揃えるくらい好きだったけれど、本棚問題に悩んだとき、まっさきに処分してしまった(頑張って取っておけばよかった)。

本日は仕事場にこもって終日小説を書く。きちんとした小説を書くのは八カ月ぶりで、長編を書くのは二年半ぶりである。楽しい。(村上春樹「オリンピックにあまり関係ないオリンピック日記」)

このとき、村上さんが書いていたのは『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で、翌年(1985年)の6月に出版されることになる。

この前昔のガールフレンドから昼すぎにたまたま電話がかかってきたので懐かしくて「ねえ、飯でも食いにいこうよ」と言ったら、「冗談じゃないわよ。今三人めの子供がお腹にいるんだから、そんな暇ないわよ」と軽く一蹴された。(村上春樹「オリンピックにあまり関係ないオリンピック日記」)

三十代前半というのは、若いようで若くないようで、実に微妙な年代である。

既婚者と独身者がゴチャゴチャのコミュニティというのは、それはそれで楽しいものだったような気もするが。

少しだけ『大丈夫です。面白いから──東京ディズニーランド』にも触れておく。

しかし、この際お金のことは忘れてみんなで気持よくパァーッと遊んじゃった方が勝ちではないかと僕は思う。こういうお金のかかった、あっけらかんとした楽天性がいつまでつづくのかは誰にもわからないのだから。(村上春樹「大丈夫です。面白いから──東京ディズニーランド」)

開業当時、東京ディズニーランドの入場料は、ひとり4,000円で、もちろん、決して安いものではなかったが、「この際お金のことは忘れてみんなで気持よくパァーッと遊んじゃった方が勝ちではないか」といった思想こそが、この新しいレジャーランドを支えていたのではないだろうか。

つくづく、1980年代というのは、賑やかな時代だったんだなあと思う。

少なくとも「お金のことは忘れて」なんていう言葉が、自然に使える時代だったんだから。

書名:THE SCRAP 懐かしの一九八〇年代
著者:村上春樹
発行:1987/02/01
出版社:文藝春秋

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。