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庄野潤三「鳥の水浴び」小さな日常の積み重ねの中にある家族の歴史

庄野潤三「鳥の水浴び」小さな日常の積み重ねの中にある家族の歴史

庄野潤三「鳥の水浴び」読了。

本作『鳥の水浴び』は、2000年(平成12年)4月に講談社から刊行された長篇小説である。

この年、著者は79歳だった。

初出は、1999年(平成11年)1月~12月『群像』。

小さな日常の積み重ねが、我々の人生である

年老いた作家の日常がある。

物語の語り手である小説家は、作品中で77歳の誕生日を迎えているが、作家に定年退職はないから、もちろん現役作家として活躍中で、現在も「新潮」で『庭のつるばら』という小説を連載している。

「文学界」に一年間連載した『せきれい』という作品の単行本が4月に出版され、5月には「日本経済新聞」に『私の履歴書』を連載し、10月には『野菜讃歌』という新しい随筆集が出版される予定である。

作家は、日々の出来事をノートに書き留め、この記録を元にした自分の日常を小説という作品の中で再構築していく。

庭にやって来た小鳥が山もみじの下の水盤で水浴びをしていく様子を眺めるだけの単調な毎日は、子どもたちや子どもたちの家族、あるいは近所の人々との交流の中で賑やかなものとなり、宝塚観劇や大阪への墓参り旅行などによって活動的なものとなる。

これらは、もちろん、小説家・庄野潤三の日常だろう。

夫婦の晩年を描くシリーズを書き続けた庄野さんは、前作『庭のつるばら』に続いて、この『鳥の水浴び』を「群像」に連載するが、『鳥の水浴び』で描かれているのは、「新潮」に『庭のつるばら』を連載していた頃の日々の暮らしぶりである。

かつて『懐しきオハイオ』を「文学界」に連載したとき、庄野さんは30年前のアメリカ留学の様子を、あたかもリアルタイムであるかのように2年以上に渡って書き続けた。

庄野さんにとって大切なことは、リアルタイムかどうかということではない。

日本経済新聞に『私の履歴書』を連載した庄野さんは、その原稿料の一部を妻へ進呈するが、妻は、そのお金でレコード・プレーヤーを購入する。

庄野さんの昔の作品『絵合せ』を読んだことがある人には分かるはずだが、まだ一家が5人で暮らしていた頃、庄野家の人々は「オペラ・アリア名曲集」や阪田寛夫の童謡集「少年少女日本の歌」といったレコードを、家族みんなで聴いて楽しんでいた。

妻は、当時のことを思い出して、古いレコードを聴くために、『私の履歴書』記念としてレコード・プレーヤーを購入したのである。

そういえば、庄野さん初めての長編小説『ザボンの花』にしても、庄野さん自身が代表作と語る『夕べの雲』にしても、初出は日本経済新聞の夕刊連載だった。

『私の履歴書』記念で日経関係者と懇談しながら、庄野さんはそんなことを思い出す。

あるいは、庄野さんの長女・夏子が、職場の研修でロンドンに滞在中の次男を訪れることになった話。

夏子は、庄野さんの『陽気なクラウン・オフィス・ロウ』を読んで以来、いつかロンドンへ行くことが夢だったのだが、かつて、庄野夫妻もチャールズ・ラムの足跡を訪ねるためにロンドンへ旅行し、そのときの体験をもとに、庄野さんは『陽気なクラウン・オフィス・ロウ』を書いた。

だから、夏子のロンドン旅行は、父親のロンドン旅行の追体験とも言える。

日常の暮らしの記録の中に歴史の積み重ねがあって、それが物語を濃厚で味わい豊かなものに仕立てあげている。

同じようなことが繰り返されているように見えて、実はまったく同じ日々は二度とはやって来ないし、二度とやって来ない何気ない毎日を、庄野さんは何よりも大切にしている。

若い頃から、庄野さんは「日常の何気ない出来事(瑣事)」にこだわりながら、小説を書き続けてきた作家だった。

『貝がらと海の音』から長く続いた「夫婦の晩年シリーズ」は、だから、庄野文学の集大成とも言えるし、完成形であったとも言える。

庭の浜木綿が蕾を出したとき、庄野さんは、まだ石神井公園の麦畑の近くで暮らしていた頃を思い出す。

この浜木綿は、病気の母を見舞いに大阪帝塚山の実家を訪ねた時に持ち帰って植えたものだが、当時の庄野さんは、浜木綿を一株掘り起こしながら「まるで、母の命を分けてもらっているようなものではないか」と考えていた。

何気ない日常のように見える日々の暮らしの中で、人生の悲しみとか哀れといったものが、しっかりと描かれているのは、庄野さんの文学的な信念が貫かれているからだ。

妻と二人で映画『タイタニック』を観たとき、「私の好みからいえば、昔観た最初の『タイタニック』の方がよかったような気がする」「あちらの方が、あわれ、さびしさがあった」と、庄野さんは感じているが、人が生きる営みの中で生じる些細な感情の揺れを愛することが、庄野さんの人生哲学だったとすれば、『鳥の水浴び』は、まさしく庄野文学の神髄と言っていい。

物語は、前作『庭のつるばら』を引き継ぐように、和雄と聡子が交際を始めた「敬老の日」の話から始まり、6月に結婚をした2人が、再び「敬老の日」に交際一周年を迎えたところで終わる。

作家の老後を綴りながら、物語の主題は少しずつ新しい世代へと引き継がれている。

人の一生というのは、小さな日常の暮らしの積み重ねであり、小さな日常の積み重ねが、我々の人生なんだということに気付かせてくれるものが、この『鳥の水浴び』という作品かもしれない。

書名:鳥の水浴び
著者:庄野潤三
発行:2000/4/20
出版社:講談社

ABOUT ME
みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。