井伏鱒二「トートーという犬」読了。
本作「トートーという犬」は、1988年(昭和63年)4月に牧羊社から刊行された作品集である。
この年、著者は90歳だった(帯に「九十歳(卒寿)の誕生日を記念して贈る」と書かれている)。
タイトルには「童話と詩」とあり、白根美代子のイラストが添えられている。
戦後まもない時代の小学館『小学三年生』
最初に「あとがき」を読む。
僕は戦争中に郷里に疎開していたが、戦争が終って二年目に東京に帰って来た。(略)僕がカボチャの蔓を取除いて廊下に腰をかけていると、一人の青年が僕を訪ねて来て「小学館社員」の名刺と「小学三年生」と云う雑誌を出し、「この雑誌に、原稿十枚前後の童話を書いてくれませんか」と云った。(井伏鱒二「トートーという犬」)
井伏さんは『小学三年生』に三回に渡って童話を発表するが、次の年の正月、その青年は小学館の社長として、社員と一緒に年賀の挨拶に来たという。
『小学三年生』に発表された三篇の童話というのが、おそらく、本書に収録された作品のことなのだろう。
書名にもなっている「トートーという犬」は、小学三年生のときに拾った犬の思い出の話である。
『トートー』ということばは、私のいなかでは、子犬といういみに使います。また、子犬をよぶ時に、『トートー、トートー』とよぶのです。私は犬が大きくなってからも『トートー』といっておりました。(井伏鱒二「トートーという犬」)
雑種ながらに、トートーは賢い犬だったが、にぼし屋さんに目を付けられて、連れていかれてしまう。
猟自慢の金持ちの家で飼われたトートーは、「キツネ狩りの名犬」と言われるようになるが、おしまいのエピソードが悲しい。
この物語では、<私>のお祖父さんが、とても良い味を出している。
たとえば、おじいさんが町でちくおんきを買って来て何か音楽をききたい時、私の兄がねじをまいてならすと、音が悪いというのです。やっぱり、私がねじをまくと、私の音の方がいいというのです。(井伏鱒二「トートーという犬」)
<私>には兄と姉がいたが、三人の孫の中で、お祖父さんは、一番下の<私>を、特に可愛がっていたらしい。
美しすぎる童話と詩の世界
「すいしょうのこと」という短篇もいい作品だ。
小学校へ上がる前まで大切にしていた特別な水晶が、いつの間にかなくなってしまう。
それが、井戸替えのときに見つかったという物語だ。
井戸替えというのは、井戸の清掃のことで、五年目とか十年目とか、のんきな家では、三十年目や四十年目にやったりすることもあったらしい。
どろの中には、くしのほかにいろんな物がありました。一せんどうか、竹とんぼ、インキつぼよりももっと小さい保命酒のつぼ、ゆのみなどのほか、私がだいじにしていたすいしょうが出てきました。(井伏鱒二「すいしょうのこと」)
最初に見つかった櫛は、<私>が六つのときに亡くなった忠子(母の妹)のものだった。
忠子は、女学校を出た年に風邪をこじらせて死んだ人だが、釣瓶で水を汲むとき、屈んだ拍子に髪から櫛が抜け落ちたのだという。
井戸が、まるでタイムマシンのような役割を果たして、いろいろな人のいろいろな思い出まで掘り起こしていく。
「詩五篇」の中では「魚拓」という作品が一番良かった。
明日は五郎作宅では息子の法事 / 長男戦死 次男戦死 三男戦死 / これをまとめて供養する (井伏鱒二「魚拓」)
三人の息子を戦争で失った父親の気持ちは、いかばかりだっただろう。
「枕屏風には嘗て次男三男が競争の / 魚拓が二枚貼りつけてある」という最後の二行が、特に悲しい。
本書のように、大きな絵本で読むと、特別な味わいが湧いてくるような気がする。
書名:トートーという犬
著者:井伏鱒二・白根美代子
発行:1988/04/10
出版社:牧羊社