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伊藤整「若い詩人の肖像」青春の日の苦悩と詩人への道のりを描いた自叙伝的青春小説

伊藤整「若い詩人の肖像」青春の日の苦悩と詩人への道のりを描いた自叙伝的青春小説

伊藤整「若い詩人の肖像」読了。

本作「若い詩人の肖像」は、1954年(昭和29年)3月から1955年(昭和30年)12月まで、『新潮』や『中央公論』『文芸春秋』などに断続的に発表された自叙伝的長編小説である。

単行本は、1956年(昭和31年)8月に新潮社から刊行されている。

この年、著者は51歳だった。

小樽の青年が詩人としてスタートするまで

自分の手元に、伊藤整の処女詩集『雪明りの路』がある。

もちろん、1926年(大正15年12月末)に刊行された自費出版の初版本ではなく、戦後の1952年(昭和27年)3月になって木馬社から刊行された、いわゆる復刻版である。

伊藤整の伝によると、『雪明りの路』は、一人の女性との恋愛劇を最初から終わりまで綴った恋愛詩集ということになる。

重田根見子との恋愛は、私の詩集の半分位を占めている恋愛詩になっていて、読む者は誰でもそこに一人の女主人公がいると分る筈であった。私は詩を大体作った時の順に編輯したので、それは一つの恋愛が始まり、変化し、終るまでの物語の筋をなしている。(伊藤整「若い詩人の肖像」)

この一つの恋愛を辿った物語が、本作『若い詩人の肖像』という長篇小説である。

その頃、伊藤整は、小樽高等商業学校の学生で、相手の<重田根見子>は、市内の私立女学校に通う4年生の女学生だった。

『若い詩人の肖像』では、著者が重田根見子と出会い、交際をはじめ、肉体関係を持ち、そして別れるまでを丁寧に(ただし小説的に)再現している。

もっとも、本作品は極端に会話部分というものが少なく、状況の説明よりは、むしろ、主人公<伊藤整(ひとし)>の気持ちの変化を克明に掘り下げたものであり、その意味では心境小説という印象が強い。

自費出版の処女詩集『雪明りの路』は、当時の詩壇関係者から高い評価を受け、小樽市内の中学校教師として働いていた伊藤整は、東京商科大学に入学するため仕事を辞して上京、詩人への道をスタートさせる。

東京で最初に暮らした下宿で、伊藤整は、梶井基次郎や三好達治らの仲間になる。

下宿を捜していると言うと、北川はすぐに、「僕のいる下宿に来ませんか? こないだまで三好達治のいた室があいている。もっとも、その前には梶井基次郎がいたんだが、いま梶井と三好は一緒に伊豆に行っているんだから、ひょっとしたら帰って来るかも知れませんが、まあしばらくは、二人とも来ないでしょう」と言って、その家の地図を書いてくれた。(伊藤整「若い詩人の肖像」)

このとき、伊藤整に下宿を紹介してくれたのが、北川冬彦だった。

本作『若い詩人の肖像』は、小樽の隣町<塩谷村>に住む田舎の青年<伊藤整>が、地元の高等商業学校に入学してから、上京して詩人になるまでの過程を描いた、いわゆる「自叙伝的青春小説」である。

事実か虚構かは大きな問題ではない

自叙伝的小説というのは、多くの場合、事実と虚構を巧みに組み合わせているから、そのすべてを事実として受け取る必要はないが、多くの文学者が実名で登場しているあたり、それなりの事実が含まれていたとしても不思議ではない。

例えば、小樽高等商業学校時代の先輩に<小林多喜二>がいた。

毎朝きまって、その頃、小柄な、顔色の蒼い商業学校の生徒が、肩から斜に下げたズックの鞄を後ろの腰の辺へのせるように、少し前屈みになり、中学生の群の流れをさかのぼる一匹の魚のように、向うから歩いて来た。(伊藤整「若い詩人の肖像」)

小林多喜二は、『クラルテ』という雑誌を出して活動している文学青年だったが、伊藤整は、あえて小林多喜二のグループには加わらなかったという。

多喜二の支配下に入るという構図が、自尊心の強い主人公には我慢できなかったのだろう(ただし、現実には違ったという指摘がある)。

もっとも、同じ小樽出身の<山田順子>(竹久夢二や徳田秋声の愛人としても有名な女流小説家)の話によれば、多喜二は伊藤整のことを「伊藤の奴は才能があるのに、あれぐらいしかやれないんだからなあ」と言っていたそうだから、お互いに意識はしていたのかもしれない。

いずれにしても、北海道の小さな田舎町で同じ時代に、二人の「未来の文学者」が活動していたことは印象深い(少し前の時代には石川啄木も滞在していた)。

処女詩集『雪明りの路』を高く評価した文学者の一人として、<高村光太郎>が登場している。

その葉書には「あなたの詩集を頂いてからもう二三度読み返しました。その度に或る名状しがたいパテチックな感情に満たされました。チエホフの感がありますね。この詩集そのものにもどこかチェホフの様な響きがありますね」と書いてあった。(伊藤整「若い詩人の肖像」)

詩集を出してからの伊藤整は、いよいよ本当の詩人らしくなっていく。

そして、小樽の学生生活や教師生活を描いていたはずのささやかな青春小説は、いつの間にか、日本文壇史的な文学者の物語へと変貌していくのだから、人生というやつはおもしろい。

上京するタイミングで仲間となる弟子屈出身の詩人<更科源蔵>も、良いキャラクターとなっていて楽しい。

細部では、自意識の強い主人公<伊藤整>の、青春の日の不安と苦悩が散見されるが、これは青春の時代に多くの若者が経験する自己不信を描いたものだろう。

自信と自信喪失とが重なり合うようにして、若者たちは青春の日を生きていた。

それは、大正末期も令和の時代も変わらないものであって、そこに、この小説の持つ普遍性があると考えたい。

書かれている内容が事実かフィクションかということは、作品鑑賞上では、さしたる問題ではない(文壇史的には重要な問題であるとしても)。

むしろ、主人公の苦悩に、読者自身の姿を重ね合わせながら読むことで、この作品の面白さを理解することができるのではないだろうか。

書名:若い詩人の肖像
著者:伊藤整
発行:1998/09/10
出版社:講談社文芸文庫

ABOUT ME
みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。