氷室冴子「雑居時代(上・下)」読了。
本作「雑居時代(上・下)」は、1982年(昭和57年)7月に集英社文庫(コバルトシリーズ)から刊行された長篇小説である。
この年、著者は25歳だった。
初出は、1981年(昭和56年)11月~1982年(昭和57年)6月『小説ジュニア』(連載)。
著者初めての連載小説である。
多様性のシェアハウス
本作「雑居時代」は、思わぬ事情から一軒家で同居することとなった見知らぬ男女の青春物語である。
結婚前の男女が一緒に生活する「同棲生活」は、1970年代の大学生に流行したらしい(かぐや姫「神田川」とかチューリップ「サボテンの花」など)。
柳沢きみお『翔んだカップル』(1978~)は、見知らぬ高校生男女が、一つ屋根の下で共同生活を始めるという、(性生活抜きの)カジュアルな同棲物語だった。
本来は家族(というか両親)と一緒に暮らしているはずの高校生時代に、異性と一緒に暮らしてみたいという若者たちの願望が、こうした物語世界にはある。
本作『雑居時代』は、女子高生2人、男子浪人生1人という3人組による、極めてカジュアルで健康的な同棲物語である。
彼らの暮らしは、むしろ、シェアハウスに近い。
北大教授の留守宅で暮らし始める事情は三人三様だが、彼らの際立つ個性が、この物語の大きなポイントになっている。
主人公(倉橋数子、17歳)は、美人で優等生という静香ちゃんタイプのヒロインだが、内面に隠された実像とのギャップが大きいという二重人格を持っている。
「いやいや、数子くんは並の大学生より、よほど信頼できますよ。勉強はできる、家事はこなす、近ごろ珍しいくらい礼儀正しい。倉橋のご両親も、ご自慢だろうね。非の打ちどころのない娘さんだから」(氷室冴子「雑居時代」)
数子の目標は北都学院大学で教鞭を取る譲叔父さんと結婚することだったが、譲叔父さんの結婚が決まって、数子の人生設計は大きく狂い始める。
「へーえ、たいしたタンカね。気に入っちゃうな。開校以来の才媛、『倉橋さんちの数子さん』の正体がこんなだったなんて、人が知ったら、腰抜かすだろうねえ」(氷室冴子「雑居時代」)
主人公(数子)の正体を知って、強引に同居を迫る三井家弓(17歳)は、啓明高校でも問題児として知られる漫画家志望の女子高生だった。
「あんたもね、いいかげん分別のある年なんだから、親御さんを困らせるようなことをしちゃいけないよ。絵描きになりたがってんだって? 絵描きなんてのは、成功すりゃ大家。失敗すれば浮浪者ですよ」(氷室冴子「雑居時代」)
少女漫画家(というか、幅広く文化系女子)に対する社会の差別的な言動を引き出す役割を、家弓は担っていると言える。
「漫画だの芝居だのと、あんなものは水商売、ヤクザ家業の一種よ。健全な市民のめざすものじゃないんだ。それを、夢だ理想だと浮かれやがって」(氷室冴子「雑居時代」)
年上の男の子(安藤勉、19歳)は、北大合格を目指すハンサムな予備校生だが、日用品に対するブランド志向が強い。
「寮でも、食事で使うマヨネーズは、ダイエーのキャプテンクックなんだ。そのまずさに辟易して、とび出してきたっていうのに、なんで、ここで生協マヨネーズなんだよ。あー、もしかして、しょうゆも生協しょうゆなんじゃないの!?」(氷室冴子「雑居時代」)
女子力の高いツトム(愛称トム)は、女子高生二人に囲まれながら、料理や掃除といった家事を一手に引き受ける。
「恐るべきブランド志向! マヨネーズやしょうゆにまでこだわるなんて、やっぱ、あれ、クリスタル族の変種かな」(氷室冴子「雑居時代」)
「クリスタル族」は、田中康夫『なんとなくクリスタル』(1981)から生まれた流行語で、ブランド志向の女性大生を指す場合が多い。
彼らの暮らす花取教授邸は、札幌の高級住宅街(円山)にある。
はっきり言うといっぱしの豪邸で、調度品もかなり金がかかっており、居間のソファーなぞ、藍地に金糸銀糸で鳳凰を織り込んだ緞子張りである。もっとも典型的な学者バカのおっちゃんにとっては、緞子張りのソファーなんかどうでもよくて、問題なのは二万冊を越える蔵書らしい。(氷室冴子「雑居時代」)
円山の豪邸を舞台に三人の雑居生活は始まるが、年頃の男女が一緒に暮らしていても、セクシャルな話題はほとんど登場しない。
数子が憧れる譲叔父さんの教え子(山内鉄馬)は、なにしろ「ホモ」だ。
これは、もしかしたら、とある日ある時、「山内さんパンジー(同性愛者)はお好きですかしら」とやったら、にやっと笑って、「とてもね。けなげな感じがいいな」とぬかしやがった。(氷室冴子「雑居時代」)
鉄馬は、美貌の浪人生(トム)目当てに、花取教授邸に出入りするようになる(トムにその気はないが)。
「女? なんで女が『タロー』なんて読むんだ」俺が驚いて尋ねると、女将はひょいと首をすくめた。「知らないの? 最近のホモ雑誌の半分は、女の子が買うんですってよ」(氷室冴子「雑居時代」)
随所に登場するホモ・エピソードは、後の「ボーイズ・ラブ」を先取りするものだったかもしれない。
二重人格の優等生(数子)、漫画家志望の問題児(家弓)、クリスタルな浪人生(トム)という三人の雑居生活に、ホモの大学生(鉄馬)が乱入して、物語は展開していく。
読者の予想どおり、これは、ドタバタの青春群像劇だ。
最初はいがみあっていた三人が、少しずつ仲間意識を持ち始めていく様子は、いかにも爽やかな若者たちの物語という感じがする。
初夏の札幌のように、本作『雑居時代』は、爽やかな青春ドタバタ物語なのだ。
女子高生の札幌エイティーズ
本作『雑居時代』の舞台は、1980年代初期の札幌である。
通称、札予備、札幌予備校といえば、三年前、本州資本の代々木ゼミナールが道内に進出してくるまでは、道内随一の規模を誇った名門予備校である。何ごとにもブランドに固執する勉なんかは、ローカルな名門よりは全国共通の名門がいいというわけで、代々木ゼミナールに通っているが、北海道内の有名私大や女子大をめざす者にとっては、道内の大学の教授が多く講師をつとめる札幌予備校のほうが、いざというとき有利だという情報もあり、なかなか盛況のようだ。(氷室冴子「雑居時代」)
桑園(北8条西14丁目)にあった「札幌予備学院」は、少子化を背景に、2006年(平成18年)、河合塾に吸収合併されて消滅。
「それに、だ。きょうも、あれから家まで送るというのに、人に会う約束があるからと言って、ヨークマツザカヤの前で降りたんだぜ」(氷室冴子「雑居時代」)
すすきの地区唯一のデパート「ヨークマツザカヤ」は、1979年(昭和54年)に「札幌松坂屋」から改称して、新装開店したばかりだった。
長く札幌市民に愛されたが、1994年(平成6年)に「ロビンソン百貨店」に変わった後は、2020年(令和2年)に「ススキノラフィラ」となり、2023年(令和5年)からは「ココノ ススキノ」として地域商業の中心を担っている。
「ココノ ススキノ」を「ヨーク(マツザカヤ)」と呼ぶか「ロビンソン」と呼ぶかで、世代が判別できると言われた。
あたしはレシートの束をテーブルの上に叩きつけた。三越をはじめとして、お菓子の千秋庵、六花亭、肉の松坂屋、ワインの寿屋、ミルクのたからや、パンとスープのローヤルホテルなどのレシートが飛び散った。(氷室冴子「雑居時代」)
円山・裏参道にあった1932年(昭和7年)創業の老舗「ワインの寿屋」は、2016年(平成28年)に自己破産。
1964年(昭和39年)開業の「札幌ローヤルホテル」は、1990年(平成2年)に「札幌ロイヤルホテル」に改称したが、バブル崩壊後の2008年(平成20年)に営業終了。
一時期は、札幌グランドホテルや札幌パークホテルと並んで、札幌三大ホテルと呼ばれた。
大通り公園まで歩いて三分。三越、パルコ、四丁目プラザなどのショッピング街まで、歩いて二分。狸小路まで一分。海の幸・山の幸の売買でにぎわう二条市場まで、歩いて二分。眼下には、柳並木に守られた札幌のふるさと、創成川が流れ、西を仰げば藻岩山が眺望できる。新しい札幌のおしゃれなライフエリア、『スワニーシャトー』。二LDK、三千五百万円!?(氷室冴子「雑居時代」)
1980年代まで、札幌の商業地区と言えば「大通エリア」を意味していた(「サツエキ」ではなかった)。
「三越、パルコ、四丁目プラザなどのショッピング街」に「狸小路」が加わる多様性が、当時は若者たちから支持されていたらしい。
「新しい札幌のおしゃれなライフエリア」が、「創成川イースト」と呼ばれるようになるのは、2006年(平成18年)頃から。
1980年前後に「新しいアーバンライフ」を提案したマンションは、最近ではヴィンテージマンションとして人気があるらしい。
「中古のマンションなら、かなりの安値で入居できるしね。そうだ、おれの住んでるアーバンライラ東の一丁先に、グリーンライフ・サッポロというのがあるんだ。北大生や札医大生相手のワンルームが中心だから、値段もてごろじゃないのかな」(氷室冴子「雑居時代」)
大学に合格したら花取教授邸から出ていくというトムの部屋探しエピソードは、札幌における若者の住宅事情が織り込まれていて楽しい。
「そういう心配は無用よ。北大の寮はいま、大学当局と自治会がモメてて、ゴタついてるし、いずれぶっ壊して鉄筋コンクリート建てにするのは本決まりだってんで、寮にはいる気はないらしいわ」(氷室冴子「雑居時代」)
老朽化していた北大「恵迪寮」の改築は、1983年(昭和58年)。
NHK『よみがえる新日本紀行「都ぞ弥生-札幌・北大恵迪寮-」では、古い恵迪寮を見ることができる(初回放送は、1975年(昭和50年)12月8日だった)。
https://www.nhk.jp/p/ts/W56365KYPX/episode/te/47Y72R944J/
「相手のお嬢様は、今年、札幌女学院大学英文学科に合格なさった、酒井物産の次女よ。趣味は……」ホテル・アカシアのロビーを横切りながら、母親はひっきりなしにしゃべっている。(氷室冴子「雑居時代」)
山内グループの御曹司(鉄馬)のお見合い会場が「ホテル・アカシア」とあって笑うが、実は「ホテル・アカシア」は、1968年(昭和43年)建築の田上義也作品だった。
モダニズム建築とアイヌ文様との組み合わせは、今、残っていれば、かなり注目されたに違いない。
残念ながら、田上義也の「ホテル・アカシア」は解体されて、1997年(平成9年)から「ホテルライフォート札幌」として開業している。
車はセンチュリーホテルの地下パーキングに直行し、ふたりは二十三階のスカイラウンジに上がって行った。(氷室冴子「雑居時代」)
札幌駅に近い「札幌センチュリーローヤルホテル」も、2024年(令和6年)に閉業。
回転するスカイラウンジが人気だった。
なんでも三日ほど前、清香が友人たちとやっているアマチュア劇団『四月舎』の三月公演が拓殖八号倉庫で行われ、譲さんは清香にむりやりチケットを買わされ、観にいらっしゃったらしい。(氷室冴子「雑居時代」)
「拓殖八号倉庫」のモデルは、札幌駅裏にあった軟石倉庫「駅裏八号倉庫」。
演劇やコンサート・映画自主上映などのフリースペースとして若者たちに愛されたが、1982年(昭和57年)に解体された。
本作『雑居時代』では、少女漫画家や役者志望の演劇女子など、文化系女子が活躍する。
「げに恐ろしきはふられた女の執念、まさしく中島みゆきの世界だ……」(氷室冴子「雑居時代」)
中島みゆき「うらみ・ます」は、アルバム『生きていてもいいですか』(1980)収録。
泣きながら「♪うらみま~す、あんたのこと死ぬまで~」と絶叫するこの曲は、当時の中島みゆきというブランドイメージの根幹を成していた(「根暗」な女の代表)。
アルバムタイトル「生きていてもいいですか」も壮絶すぎる。
「泣……泣きおとすために、サロメチールぬったの?」「あったりまえよ。そう簡単に、涙なんて出るもんか。松田聖子ちゃんだって、それで苦労したのよ」(氷室冴子「雑居時代」)
1980年(昭和55年)当時、「ぶりっ子」と「噓泣き」は、ネガティブな意味で、松田聖子のブランドイメージとなっていた。
「たのきんトリオの出る映画は、なぜヒットするのか。脚本がスバラシイからか。演出が斬新だからか。いや、要するにたのきんが出るからなのよ。薬師丸ひろ子は名優か!? まれにみる大根なのよね、これが」(氷室冴子「雑居時代」)
「東宝映画たのきんスーパーヒットシリーズ」第1作目は、近藤真彦(マッチ)主演の『青春グラフィティ スニーカーぶる〜す』(1981)。
1981年(昭和56年)は、他に『ブルージーンズメモリー』(主演:近藤真彦)と『グッドラックLOVE』(主演:田原俊彦)がヒット、1982年(昭和57年)の『ハイティーン・ブギ』(主演:近藤真彦)へと続いた。
女優(薬師丸ひろ子)は、1978年(昭和53年)の東映映画『野生の証明』でデビュー。
『翔んだカップル』(1980)や『ねらわれた学園』(1981)で人気を固め、1981年(昭和56年)の角川映画『セーラー服と機関銃』で大ブレイクした。
氷室冴子の小説を読んでいると、1980年代の札幌があちこちに登場していて、当時を知る世代には懐かしい。
当時を知らない若い人たちは、「札幌って、こんな街だったんだあ」という新鮮な感覚があるかもしれない。
何より、仲間思いの三人組の活躍には、若い世代だけが持つ清々しさがある。
80年代の札幌へタイム・トリップしたい人におすすめ。
書名:雑居時代(上・下)
著者:氷室冴子
発行:1982/07/15
出版社:集英社文庫(コバルトシリーズ)