寺尾聰は、80年代シティ・ポップ界の絶対王者だ。
大ヒット曲「ルビーの指環」は、ザ・ベストテンで最多連続記録を樹立(12週連続1位)。
名盤『Reflections』を21世紀サウンドで楽しむ『Re-Cool Reflections』もいい。
石原プロから勘当されたリキ
世界的なシティポップ・ブームを背景に、音楽情報誌『レコード・コレクターズ』2020年(令和2年)7月号は「シティ・ポップの名曲ベスト100」を特集する。
山下達郎「SPARKLE」「RIDE ON TIME」「土曜日の恋人」をはじめ、大瀧詠一「君は天然色」、竹内まりや「プラスティック・ラブ」、大貫妙子「色彩都市」、吉田美奈子「頬に夜の灯」「TOWN」、松任谷由実「真珠のピアス」、村田和人「一本の音楽」と、正統派ミュージシャンがベストテンを占める中、第11位にランク・インしたのが、俳優・寺尾聰の「ルビーの指環」だった。
横浜ゴムのヨコハマタイヤのCMソングとなり、『オリコン』シングル・チャート第1位を獲得。約134.1万枚を売り上げた。第23回日本レコード大賞では、寺尾聰が作曲賞、松本隆が作詞賞、井上鑑が編曲賞を受賞と、本楽曲の制作者で3賞を独占するほどの大ヒット。本楽曲が収録されたアルバム『Reflections』も約114.8万枚を売り上げ、社会現象となった。(「シティ・ポップの名曲ベスト100」/『レコード・コレクターズ』2020年7月号)
ベストテンに入った作品は、いずれも「爽やかで都会的な若者の音楽」だったのに対し、寺尾聰はアダルティーな魅力を全面に押し出した「大人のシティ・ポップ」である。
「ルビーの指環」がヒットした1981年(昭和56年)、寺尾聰は既に34歳で、山下達郎(28歳)や松任谷由実(27歳)に比べると、間違いなく「ミドル・エイジ」らしい大人の渋みがあった。
そもそも、寺尾聰は1960年代末期のグループ・サウンズ出身のミュージシャンで、ザ・サベージ時代には「いつまでもいつまでも」(1966)のヒット曲もある。
石原プロモーション所属の俳優として活躍するのは、石原裕次郎主演の映画『黒部の太陽』(1968)でスクリーンデビューして以降のことだ。
代表作は、もちろん『西部警察(PART1)』(1979-1982)の「松田猛」(愛称リキ)である。
44マグナムを使いこなす狙撃の名手で、かつ時限爆弾の構造にも詳しい知性派のリキは、「日本のジェームズ・ボンド」だった(44マグナムを指でクルクル回せるのは、日本でもリキだけだった、と思う)。
『西部警察(PART1)』の「松田猛(リキ)」が注目を集める中、発売されたシングルレコードが「ルビーの指環」(1981)だった。
「ルビーの指環」が発売された1981年(昭和56年)2月、『西部警察(PART1)』では、小暮課長(石原裕次郎)の愛車が奪われる「マシンX爆発命令」が放映されている。
リュウこと桐生一馬(加納竜)がインターポール本部へ出向するのは翌3月で、3月下旬からは新メンバーとして平尾一兵(峰竜太)が大門軍団に登場。
『西部警察(PART1)』が日本中を席巻する中、寺尾聰の(多忙を極める)音楽活動は、石原プロとして決して歓迎されるべき出来事ではなかったらしい。
この「ルビーの指環」については、こんな逸話がある。石原プロモーションでこの曲を試聴したときに、小林正彦専務が「こんなお経みたいな曲が売れるわけがない」と一笑に付したという。ところが、石原裕次郎が「いいじゃないの、面白いじゃないか」と、寺尾の歌手活動に理解を示して、レコード発売が決定したという。(『石原プロモーション50年史』)
石原プロの仲間たちの協力も受けて、「ルビーの指環」は発売2か月で180万枚を記録する大ヒット曲となった。
超売れっ子ミュージシャンとなった寺尾聰が独立を志すのも、ある意味では必然だったかもしれない。
1982年(昭和57年)、全国ツアーの運営方法をめぐるトラブルから、寺尾聰は石原プロモーションからの独立を決意。
石原裕次郎の「可愛い子には旅をさせろ」との決断を受け、小林正彦専務は記者会見で次のとおり説明した。
「アーチストとして、俳優として、これだけ商品価値が高くなったいま、独立させるというのは、奇異に感じるかもしれませんが、石原は『かわいい子には旅をさせる。いちおう勘当ということにしよう』と言っております。寺尾のお父さんである宇野重吉先生にも、了解していただきました」(『石原プロモーション50年史』)
『西部警察(PART1)』のリキは、既に、1982年(昭和57年)3月放送の「1982年・春 松田刑事・絶命!」で殉職しており、間もなく『西部警察(PART1)』も幕を閉じる
『西部警察(PART1)』は、リキ(寺尾聰)あっての『西部警察』だったのだ(主役は、あくまでも、渡哲也演じる大門圭介)。
「ルビーの指環」は、俳優・寺尾聰の人生を大きく変える一曲となった。
音楽番組『サ・ベストテン』では、最多記録となる12週連続第1位を記録(2位は、世良公則&ツイスト「銃爪」の10週連続で、3位は西城秀樹「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」の9週連続)。
5月には、同じ『ザ・ベストテン』で3曲同時ランクインの偉業も成し遂げている(「ルビーの指環」1位、「シャドー・シティー」5位、「出航 SASURAI」6位)(6月にも同じラインナップで3曲同時ランクインを記録した)。
1981年(昭和56年)年末には、「日本レコード大賞」を受賞するほか、FNS歌謡祭でも「最優秀グランプリ」を獲得。
師の石原裕次郎も脱帽する無尽ぶりを見せつけた寺尾聰は、この時代、文字どおり「シティ・ポップ界の絶対王者」だった(当時はシティ・ポップとは呼ばず、ニューミュージックと呼んでいたが)。
『Re-Cool Reflections』はノスタルジーではない
アルバム『Reflections』(1981)は、歌手・寺尾聰を象徴する作品である。
音楽情報誌『レコード・コレクターズ』(2018年4月号)の特集「シティ・ポップ1980-1989」では、80年代のシティ・ポップを代表する名盤として紹介されている。
松本隆のちょっとキザな、男の哀愁を漂わせる歌詞とキレのいいサウンドの「ルビーの指環」で人気に火がついたが、アルバムの他の曲も松本と有川正沙子による男の心情をにじませた歌詞がつき、井上鑑のアレンジによる、スティーリー・ダンの『ガウチョ』を参考にしたという、華麗なるAORサウンドで盛り上げる。まさにアダルト・テイストにあふれた、洗練された内容。(「シティ・ポップ1980-1989」/『レコード・コレクターズ』2018年4月号)
「シティ・ポップ」の定義は、極めて曖昧である。
『昭和40年男(Vol.23)』(2014)は「オレたちシティ・ポップ世代」と題するシティ・ポップ特集を組んだ。
昭和40年男の高校~大学時代のBGMは、オシャレでキラキラしたシティ・ポップだった。大瀧詠一、山下達郎、ユーミン…。今聴くと甘酸っぱい思い出にキュンキュンしちゃう僕らの青春音楽の魅力を再検証。(「オレたちシティ・ポップ世代」/『昭和40年男(Vol.23)』)
アルバム・ジャケットで言えば、大瀧詠一『ロング・バケーション』の永井博と、山下達郎『FOR YOU』の鈴木英人に代表されるように、オシャレで爽やかな都会やリゾートを、ソフィスティケイトされたサウンドで表現した楽曲が、つまり、シティ・ポップという音楽だった。
寺尾聰『Reflections』収録曲で言えば、「渚のカンパリ・ソーダ」のような作品がそうだったかもしれない。。
真夏のShower浴びると
景色も揺れて来るのさ
カンパリのグラス空けてしまおう
君に酔ってしまう前に
少しは愛してくれ
夏の風もてれちまう程に
八月は出逢う女を
恋人に…変えちまうよ
(寺尾聰「渚のカンパリ・ソーダ」)
「渚のカンパリ・ソーダ」は、西城秀樹のライブ・アルバム『BIG GAME’81 HIDEKI』(1981)にも収録されている人気曲で、西城秀樹のカバー・バージョンは、さすがに若々しい(笑)。
しかし、寺尾聰の「大人の魅力」を存分に発揮しているという点では、やはり、ヒット曲「ルビーの指環」に尽きるだろう。
核となるのは寺尾のシンプルな弾き語り。そこに井上がスティーリー・ダンからの影響を感じさせる都会的なアレンジを施している。クリシェ、メジャー・セヴンス、フラット・ナインスなど、洗練を感じさせるイントロから、それまでのニューミュージックにはあまりなかったサウンド・センス。歌メロではドミナント・モーションを多用、コードの進行をよりスムーズにして、アカデミックでありながらポピュラリティ溢れるサウンドを構築している。(「シティ・ポップの名曲ベスト100」/『レコード・コレクターズ』2020年7月号)
ちなみに、『レコード・コレクターズ』の「シティ・ポップの名曲ベスト100」では、「シャドー・シティ」も第17位にランク・インしている。
160万枚以上のセールスを記録した『Reflections』に先駆けてリリースされ、ヨコハマタイヤのCMに使われたこの曲は、大半が寺尾のハミングで構成されている。鼻歌のダンディズム。そう呼びたいボーカル。歌い回しの節々に所ジョージを思わせるところなど、趣味人としての粋を感じるが、実は複雑なテンション・コードが詰まった曲である。(「シティ・ポップの名曲ベスト100」/『レコード・コレクターズ』2020年7月号)
捨て曲のない完成されたアルバム『Reflections』は、25年の時を経て、2006年(平成18年)に甦る。
『Re-Cool Reflections』(2006)は、名盤『Reflections』に新たなアレンジを施し、当時と(ほぼ)同じメンバーで新録音したセルフカバー作品である。
演奏を支えるのは、オリジナル盤にも参加している井上鑑、今剛、高水健司のほか、ヴィニー・カリウタ、アレックス・アクーニャなどロサンゼルスの有名スタジオミュージシャンたちだった。
彼らは今なお日本の音楽シーンを牽引し続ける第一人者として活躍を続けています。「25年前の自分に今の自分は胸を張れるだろうか?」「これからの自分は何を目指して生きていくのか?」まさにその名のとおりReflection(反射、回想)です。様々な想いを胸に長年の仲間達と音楽を通じて確かめる時間が動き始めました。(松田直『Re-Cool Reflections』ライナーノーツ)
『Re-Cool Reflections』は、ノスタルジーから生まれたものではない。
『Re-Cool Reflections』は現在を歌い、未来へと歌い続けているアルバムなのだ。
全ての曲がみずみずしく呼吸を始めました。まさに25年のそれぞれの生き様が熟成されたワインのように蘇ったのです。色っぽくて、超かっこいいサウンドの輪廻。『Re-Cool Reflections』の誕生です!(松田直『Re-Cool Reflections』ライナーノーツ)
より洗練されたサウンドは深みを増して、21世紀のシティ・ポップを実現している。
年を取った寺尾聰のボーカルもいい(この年、59歳だった)。
当時、少年だった我々も同じように年齢を重ねて、寺尾聰のアダルトなシティ・ポップの世界を理解できるようになった。
そう、熟成されたのは『Reflections』だけではない。
それは、(25年間を生きた)我々自身の熟成でもあったのだ。
『Re-Cool Reflections』は、25年の時を「反射」している。
自分だけの「二季物語」が、どんな人生にもあったということを、25年後の『Reflections』(つまり『Re-Cool Reflections』)は教えてくれているのではないだろうか。
そして、そんな『Re-Cool Reflections』からも、既に19年の時が過ぎた。
Habanaの風は今も、大人になった僕たちを酔わせ続けている。