庄野潤三「さくらんぼジャム」読了。
本作『さくらんぼジャム』は、1994年(平成6年)に文藝春秋から刊行された長篇小説である。
この年、著者は73歳だった。
初出は、1992年(平成4年)11月~1993年(平成5年)10月『文学界』(連載小説)。
『エイヴォン記』『鉛筆印のトレーナー』に続く「フーちゃん3部作」の完結編である。
祖父母が描く「フーちゃん物語」
「フーちゃんシリーズ」が完結することとなった最も大きな理由は、フーちゃん(つまり次男一家)の引っ越しだろう。
次男の一家は十月の末に電車で一駅先の小田急読売ランド前の丘の上の住宅へ引越すことになっている。(庄野潤三「さくらんぼジャム」)
長男(龍也)が「大家さんが息子夫婦のために自宅の庭先に建てた小さいながら二階家」に入っているのに対し、同じ大家さんの家作ながら、次男(和也)の方は「庭はあるけれども二間きり」の借家だったので、さすがに四人家族では厳しい。
フーちゃんの小学校入学を機会に、マイホーム購入を計画したのも無理はない。
フーちゃんというのは、この「山の下」の次男のところの幼稚園へ行っているもうすぐ六歳になる長女で、去年の六月、十年子供を授からなかった長男夫婦にはじめての赤ちゃんの恵子が生れるまでは、小田原に近い南足柄の山の中腹に住む長女一家と「山の下」と合せて全部で六人いる孫のなかでただひとりの女の子であった。文子という名前だから、フーちゃん。(庄野潤三「さくらんぼジャム」)
「全部で六人いる孫」とあるのは、長女(今村夏子)のところの四人兄弟(全部男)と、次男のところの二人姉弟(フーちゃんと、弟の春夫)を指す。
長男(龍也)のところは、長女(恵子ちゃん)に続いて、やがて、長男(龍太)が生まれ、庄野さんの孫は総勢八人となるが、それは、もう少し先の話である。
本作『さくらんぼジャム』は、フーちゃんの誕生日(7月16日)あたりから始まる。
フーちゃんを主人公とする長篇小説は、『鉛筆印のトレーナー』に続いて、これが二冊目だった。
私がこの前、文芸誌に一年間連載して、今年五月に単行本になった小説が『鉛筆印のトレーナー』(福武書店)であり、その本では四歳から五歳になって幼稚園へ行くようになるフーちゃんが主役といってもいいような役割をあたえられている…(略)(庄野潤三「さくらんぼジャム」)
『鉛筆印のトレーナー』は、1992年(平成4年)5月に福武書店から刊行されているから、本作『さくらんぼジャム』は、1992年(平成4年)7月から始まる物語だと理解していい。
『さくらんぼジャム』で、フーちゃんは、「四歳から五歳になって幼稚園へ行くようになる」女の子として登場している。
さらに、それ以前に、フーちゃんが活躍する作品として知られているのが、長篇随筆『エイヴォン記』(1989)である。
愛読書と清水さんのバラとを組み合わせた、この長篇随筆は、『鉛筆印のトレーナー』や『さくらんぼジャム』とはテーマを異にするものの、フーちゃんが主役となっていることから、「フーちゃん3部作」の最初の作品として親しまれるようになった。
本作『さくらんぼジャム』は、幼稚園から小学校へ入学する時代のフーちゃんを中心として、老夫婦の日常を丹念にスケッチした作品である。
あとで妻から聞くと、フーちゃんは、「おじいちゃんとこんちゃんのお友達の、箱根のおばあちゃんが」とはじめにいってから、「おじいちゃんとこんちゃんに」と附け加えた。(庄野潤三「さくらんぼジャム」)
そこに展開するエピソードは、極めて些細なものが中心だが、過ぎ去っていく少女時代を考えると、どれだけ些細なエピソードであっても、祖父母にとって無駄なものはない。
翌日、妻と話していたら、「フーちゃん、大きくなっているの。夏になって背が高くなって」という。「丈を長くしたつもりの紺のワンピースが、合わせてみたら、長くないの」(庄野潤三「さくらんぼジャム」)
庄野さんがスケッチしていたものは、フーちゃんのめざましい成長だったのだろう。
玄関へフーちゃんが送りに来る。葉書を出して帰ったら、二人は出来上った「セーラームーンのおみせ」を眺めていた。(庄野潤三「さくらんぼジャム」)
1992年(平成4年)は、『美少女戦士セーラームーン』のテレビアニメ(第1期)放映が開始された年だ。
ミサヲちゃんたちは長沢団地前で下りる。こちらはそれよりひとつ手前の春秋苑入口で下りる。バスを下りて歩き出してから、妻は、「フーちゃんがブザー押してくれた」という。(庄野潤三「さくらんぼジャム」)
庄野さんの「山の上の家」へ行くには、『生田駅』から川崎市営バスに乗り、『春秋苑入口』で降りる(そこから、さらに山をのぼる)。
長男・次男が住む「山の下の家」の最寄り停留所は、その次の『長沢団地』で、こちらは丘と丘と谷間にある。
九月に入ったのに、暑い。殊に長男と次男のいる長沢は、丘と丘の間の谷底のような地形だから、私たちのいる「山の上」と比べると、よほど暑いらしい。(庄野潤三「さくらんぼジャム」)
現在は、バス停のすぐ前に「松澤アパート」や「松沢ビル」なんかが建っている(「次男夫婦が七年前に結婚して長沢の松沢さんの借家に入ったとき……」)。
妻はフーちゃんのことを、「夢みる夢子ちゃんよ」といっている。あの子の考えていることは、全部分るのといっている。空想するのが好きで、可愛いものが好きな「夢見る夢子ちゃん」だというのである。(庄野潤三「さくらんぼジャム」)
「夢見る夢子ちゃん」は、幼い時代のフーちゃんを象徴する言葉だ。
10月16日、「山の上の家」で、次男一家の送別会が開かれた。
居間の食卓には武信から届いた塗りの箱のとんかつ弁当が並べられた。その前に一同着席。お隣の相川さんから頂いたボルドーの白葡萄酒を長男が開けて、グラスに注ぎ、私の「おめでとう」の声に唱和して、乾杯する。(庄野潤三「さくらんぼジャム」)
この日の祝い膳は、「とんかつ武信」のとんかつ弁当だった(諏訪社の近くに生田店あり)。
食事をしているとき、次男が、「フミ子は絵をかくのが好きで、絵ばかりかいている」といった。また、「御飯が好きで、納豆の卵かけ御飯なんか大好きで、よく食べる」といった。(庄野潤三「さくらんぼジャム」)
10月25日は、藤野邦夫さんのお嬢さんの可奈子さんの結婚披露宴。
七年前に次男とミサヲちゃんが結婚したとき、藤野邦夫さんにお仲人をお願いしたこと、ヒルトンホテルの披露宴で邦夫さんがにこやかな笑顔でいい挨拶をしてくれたことを思い出す。(庄野潤三「さくらんぼジャム」)
次男(庄野和也)とミサヲちゃん(冨田操)の結婚披露宴は、1985年(昭和60年)10月に行われ、約一年後の1986年(昭和61年)7月16日、本作の主人公である長女(フーちゃん)が誕生した。
一人一人の人生には、ちゃんとしたバックボーンがあるということを、庄野さんの作品は教えてくれる。
ちなみに、次男夫妻の結婚披露宴の一か月後となる11月13日、庄野さんは脳内出血で入院することになるのだが、このときの経過は『世をへだてて』(1987)に詳しい。
次男一家の引越しは、10月29日。
私が荷物の運び出しを眺めているところへフーちゃんが来て、「さようなら」といって引返した。こちらは咄嗟のことで、何もいわずにフーちゃんのあとをついて行き、ミサヲちゃんとフーちゃんのいる前で、「遊びにお出で。泊りがけ」といった。(庄野潤三「さくらんぼジャム」)
「こちらは咄嗟のことで、何もいわずに」というところに、かわいい孫が自分たちのもとを離れていくのだということをリアルに実感した、祖父の喪失感がある。
そのあと、前田さんの車の方へ行くミサヲちゃんとフーちゃんのうしろを歩いているうちに、不意に顔がくしゃくしゃになり、泪が出そうになった。(庄野潤三「さくらんぼジャム」)
このフーちゃんとの別れの場面は、『さくらんぼジャム』最大のクライマックスと言っていい。
もちろん、次男一家の移転先は、電車で一駅先の読売ランド前だから(丘の上の多摩美二丁目)、フーちゃんとの日常的な交流は、この後も続くのだが、祖父(庄野さん)は、孫娘(フーちゃん)の「さようなら」という別れの言葉に、彼女が自分たちから離れつつあることを実感していたのだろう(「仕方がない。いくら近くへ引越すといっても、別れは別れだもの」)。
「夕方、ローソンへパンを買いに行った帰り、あ、フーちゃん、もういないんだと思った。今までならちょっとミサヲちゃんのところへ寄って行こうと思えば、お使いの帰りに行けた。だけど、もうそこは空家になっていて、フーちゃんはいない。フーちゃんは読売ランド前の家だと思った」(庄野潤三「さくらんぼジャム」)
庄野夫妻にとって、「フーちゃんロス」は、決して小さなものではない。
妻は、フーちゃんが幼くて、いちばん可愛いころにすぐ近くにいてくれてよかった、としみじみ話した。(庄野潤三「さくらんぼジャム」)
引っ越しが、物理的な意味で(祖父母からの)自立を象徴するとしたなら、精神的な自立を象徴するのが、やがて訪れる小学校入学である。
生田は今日(四月二日)でさくらは満開。浄水場も公園も小学校もどこもさくらが咲いている。(庄野潤三「さくらんぼジャム」)
「小学校にも桜が咲いている」とあるのは、もちろん、フーちゃんの入学を祝う気持ちの表れだろう。
今日(四月五日)は、フーちゃんの西生田小学校の入学式。雨でなくてよかった。(庄野潤三「さくらんぼジャム」)
小学校入学は、フーちゃんを、祖父母から、また少しだけ遠ざけることになる。
しかし、半年前に引っ越しを経験している庄野夫妻に、もはや寂しさはなく、あるのは、孫娘の成長を祝う気持ちだけだ。
フーちゃんの小学校入学を祝福した庄野さんは、本作『さくらんぼジャム』で「フーちゃん三部作」を完結することとした。
フーちゃん一人を主人公にした物語を書くには、フーちゃんは大きくなりすぎていたのである。
この後、庄野さんは、『貝がらと海の音』(1996)から始まる人気シリーズ「夫婦の晩年シリーズ」の執筆に着手する。
フーちゃんは、もう主人公ではないかもしれないけれど、大切な登場人物の一人であることに違いはない。
フーちゃん一人にフォーカスしていたカメラは、庄野一族全体をとらえながら、最後までフーちゃんの成長を追い続けていくのである。
フーちゃんの「夏子再来伝説」
本作『さくらんぼジャム』では、フーちゃんの成長に、庄野夫妻の長女(夏子)の成長が重ね合わせられている。
「くせ毛で、よこに髪がひろがっているの。それで一層、子供の頃のなつ子に似てきました」前から妻は、フーちゃんの表情が南足柄の長女の子供のころによく似て来たといっている。南足柄の長女のなつ子も子供のころからくせ毛であった。(庄野潤三「さくらんぼジャム」)
長女の思い出は「山の上の家」には沁みついているものだ。
フーちゃん、「おふろ、どこ?」と訊く。(略)で、妻が和裁に使う裁ちもの台を押入から出し、六畳にひろげて、そこを「おふろ」にした。南足柄の長女が子供のころにも、よくそうやって遊ばせてやった。(庄野潤三「さくらんぼジャム」)
フーちゃんは、感情をあまり表にはあらわさない。
フーちゃんにはおもちゃの指輪やレターセットの入った箱を上げる。箱を開けたフーちゃん、黙って指輪を見ている。嬉しそうにはしない。──こういうところが南足柄の長女の小さいときに似ている。(庄野潤三「さくらんぼジャム」)
妻(庄野夫人)は、三越でフーちゃんにぴったりの紺の服を見つける。
亡くなった母が、長兄の子供の啓子ちゃん、育子ちゃんとなつ子の三人に高島屋で揃いの服を買ってくれた。それが白い襟の、紺の服であった。(庄野潤三「さくらんぼジャム」)
死んだ義母が、娘(なつ子)に買ってくれたのと同じ「紺の服」を、庄野夫人はフーちゃんのために買う。
世代間継承と追体験が、そこでは描かれている(「三越で見つけたとき、「これをフーちゃんに買ってあげなさい」と亡くなったお母さんがいっているような気がしたと妻はいう」)。
「フーちゃんは、物をいわない子だな。道でぱったり会っても、嬉しそうな顔もせず、おじいちゃんともこんちゃんともいわないで、黙っている」というと、妻は、「小さいときのなつ子(南足柄の長女)と同じです。なつ子があんなふうでした」という。(庄野潤三「さくらんぼジャム」)
フーちゃんに対する「夏子再来伝説」は、庄野夫人の方に、より強い思いがあったようだ。
小学校へ入学したフーちゃんに、仲良しのお友だちができたとき、庄野夫人は『ザボンの花』(1956)を思い出す。
『ザボンの花』には、当時小学二年生だった長女(夏子)をモデルにした女の子(なつめ)が登場する。
なつめには、仲良しの友だち(ユキ子ちゃん)がいた。
妻は、そのなつめとユキ子ちゃんを、今日、会ったばかりのフーちゃんの新しいお友達の「もえちゃん」とフーちゃんに重ね合わせている。(庄野潤三「さくらんぼジャム」)
その長女(夏子)が、今では四人の男の子たちの母親となっている。
午前、朝食前に妻は南足柄の長女に電話をかけ、「ハッピーバースデイー トゥーユー」と歌って、お誕生日を祝ってやる。「わたくし、稲村夏子、よ、よ、四十になりました」という、おどけた中にも一抹のさびしさを漂わせた手紙をくれたのが、もう何年か前のことになる。(庄野潤三「さくらんぼジャム」)
ちなみに、フーちゃんの父親(次男の和也)は37歳。
妻が明後日、私と同じ日に誕生日を迎える次男に、「いくつになったの?」と訊くと、「三十七です」といった。(庄野潤三「さくらんぼジャム」)
この年、小学校入学で7歳になるフーちゃんは、つまり、次男(和也)が30歳のときの子どもということになるらしい。
1992年(平成4年)頃から、庄野夫妻は「年に一回か二回はお墓参りに行くことにしよう」と話し合い、年二回(春と秋)の大阪行きが、夫婦の年中行事となる。
そして、翌1993年(平成5年)春の大阪行きには、長女(夏子)が同行した。
結婚するときにお墓参りに来て以来、大方二十年ぶりに来た長女が、水汲み場でバケツに水を汲む。先ず、父母のお墓へ。枯れた花を取って、新しいお花を二つ供える。長女と一緒に来たことを父も母も長兄もよろこんでくれるだろう。(庄野潤三「さくらんぼジャム」)
長女のお墓参りは『明夫と良二』に書かれている。
和子がその日の朝の汽車に乗って、大阪へお墓参りに行った。式までもう日にちが無いので、井村の兄の家に一晩泊めてもらって、すぐに戻って来ることになっている。(庄野潤三「明夫と良二」とび上る二人)
当時、長女は「井村和子」という名前で、作品に登場していた(長男は井村明夫で、次男は井村良二)。
家族の歴史を遡るようなエピソードは、他にも多い。
妻は昔、子供らを連れて家族全部で外房の太海海岸へ泳ぎに行った夏のことを思い出して、あのころ、着いたらいつも宿で三ツ矢サイダーを出してくれたのが嬉しかった、三ツ矢サイダーのような上等なものは、家で飲まなかったからといった。(庄野潤三「さくらんぼジャム」)
庄野家の定宿は「太海の吉岡旅館」と言って、これは、作家仲間(近藤啓太郎)の紹介によるものだったという。
一方、高齢となった父(庄野さん)を小田原の海岸まで連れ出したのも、やはり、長女(夏子)で、なつ子は自動車に両親を乗せて、御幸ヶ浜まで案内する。
八月十日。小田原海水浴の日。いい具合に天気がよくなる。10時5分向ヶ丘遊園地発のロマンスカーで出発。小田原駅前に長女が迎えに来てくれた。(庄野潤三「さくらんぼジャム」)
庄野さんが海で泳ぐのは、脳内出血で入院した年の夏に伊良湖岬の浜で泳いで以来、七年ぶりのことだった。
大事なところには、長女の姿がある。
庄野夫妻が、成長していくフーちゃんに、幼き日の長女(夏子)の姿を重ね合わせてしまうのも、ある意味では必然だったのかもしれない。
フーちゃんを支えるバイプレイヤーたち
庄野さんの言葉を引用すると、本作『さくらんぼジャム』は、「フーちゃんのほかにわき役として登場する多くの方たちに支えられている」物語だ(「あとがき」より)。
あつ子ちゃんのが出来たら、東京世田谷のY君のお嬢さんのはる子ちゃんのワンピースを縫うといい、生地を三つ出して、見せる。(庄野潤三「さくらんぼジャム」)
「東京世田谷のY君のお嬢さんのはる子ちゃん」は、安岡章太郎の長女で、東京大学のロシア文学者(安岡治子)のこと。
1956年(昭和31年)生まれの安岡治子は、この年、36歳だった(次男・和也と同じ昭和31年組)。
夕方、清水さん、畑の薔薇を届けて下さる。エイヴォンとそのほかの薔薇。(庄野潤三「さくらんぼジャム」)
『エイヴォン記』では、フーちゃんとともに主役を張った清水さんも、『さくらんぼジャム』では、蔭からフーちゃんを支えている。
エイヴォンが登場すると、必ず出てくる『トム・ブラウンの学校生活』のエピソードは、もちろん、本作でも健在だ。
「エイヴォン? エイヴォンといえばイギリスの田舎を流れている川だ。ほら、『トム・ブラウンの学校生活』のなかで、トムが学校の規則を破って釣りをする川が出て来るが、あの川の名がエイヴォンだよ」(庄野潤三「さくらんぼジャム」)
フーちゃんの誕生日に『ドリトル先生物語』をプレゼントした庄野夫妻は、自分たちでも、ロフティング作、井伏鱒二訳のドリトル先生シリーズを読み返すことにする(なので『さくらんぼジャム』では、ドリトル先生のエピソードが多い)。
妻は次男に今日届いたばかりの講談社文芸文庫の井伏鱒二『還暦の鯉』を上げた。次男は『ドリトル先生物語全集』を読んで以来、井伏さんの書くものが好きになった。(庄野潤三「さくらんぼジャム」)
講談社文芸文庫から、井伏鱒二の随筆集『還暦の鯉』が出たとき、巻末の「人と作品」を書いたのが庄野潤三だった。
この頃、井伏鱒二は、自宅療養中だったらしい。
午前中に妻はかきまぜを作り、午後から二人で荻窪の井伏さんへお届けする。(庄野潤三「さくらんぼジャム」)
井伏鱒二が亡くなったのは、1993年(平成5年)7月10日。
本作『さくらんぼジャム』の連載も、後半に入った頃のことだった。
庄野家の『ドリトル先生物語』は、次男一家に譲られたが、次男の引越しにあたり、父(庄野さん)は、『庄野潤三全集』を次男に贈る(長男には先に贈られていた)。
洋間に食器棚のいいのが置いてある。ミサヲちゃんが結婚するときに買った信州松本の民芸品の食器棚というのだが、中にこの前、次男が車で運んだ『庄野潤三全集』十巻が並べてあった。(庄野潤三「さくらんぼジャム」)
次男が子どもの頃に読んでいた『ドリトル先生物語全集』も、食器棚の中で『庄野潤三全集』と一緒に並ぶことになる。
長男は、いま木山捷平さんの本を読んでいる。「大陸の細道」と「長春五馬路」、短篇の「うけとり」を読んだ、面白いという。(庄野潤三「さくらんぼジャム」)
庄野家の「図書室」から長男が借りていったのは、『木山捷平全集』(下巻)だった。
その長男の長女(恵子ちゃん)が、台所の熱湯を浴びて、腕に火傷をしてしまう。
恵子ちゃんの腕の火傷したところは、皮がむけていた。そこへ人工皮膚を貼りつけてくれた。(庄野潤三「さくらんぼジャム」)
南足柄の長女の次男(良雄)は、今年で三年目の大学受験で法政大学の二部に合格する。
夕方(三月十日)、南足柄の良雄から電話がかかる。妻が出た。「稲村良雄です。いろいろご心配をおかけしましたが、法政の二部に受かりました」という。よかった。(庄野潤三「さくらんぼジャム」)
孫が増えて、心配することも喜ぶことも多くなった。
郷里・大阪で入院生活を続けている次兄(庄野英二)の容態も、大きな不安のひとつだった。
兄が代って受話器を取った。「英ちゃーん」と大きな声で呼びかけ、「元気になってくれなあ」これを三回、四回繰返す。返事がないので、張合いがないが、致し方ない。(庄野潤三「さくらんぼジャム」)
庄野英二は、1993年(平成5年)11月26日に他界。
ちょうど、本作『さくらんぼジャム』の校正刷りを読み終わるころのことだったという。
お彼岸には、死んだ父母を思い出す。
昼食にそのおはぎを三つ食べる。お酒も飲むが甘党の父は、御飯を食べたあとで、母の作ったおはぎを二つくらい食べたものであった。(庄野潤三「さくらんぼジャム」)
クリスマスには、河上徹太郎夫人からケーキが届く。
毎年、クリスマスイヴの日に柿生の河上夫人からの贈り物のケーキを銀座の胡椒亭さんが作って届けてくれる。昔、子供が小さかったころ、クリスマスに河上徹太郎夫妻を夕食にお招きしていた。そのとき、いつもお土産に下さっていたのと同じ苺のショートケーキ。酔っぱらった河上さんがケーキを一口食べて、「あ、おいちい!」といわれたのを思い出す。(庄野潤三「さくらんぼジャム」)
友人のS君(阪田寛夫)と、宝塚公演を観に行く。
「マンハッタン物語」は、ニューヨークの下町の風俗と人情を描くのが得意であったデイモン・ラニアンのいくつかの短篇をもとにした作品(作・演出太田哲則)で、なかなかよかった。(庄野潤三「さくらんぼジャム」)
宝塚を観た後は、大久保の「くろがね」で食事をする。
青年館ホールを出たあと、S君と妻と三人で井伏さんのごひいきの店で、よくご一緒した大久保の「くろがね」へ行き、夕食。(庄野潤三「さくらんぼジャム」)
フーちゃんを中心に据えた物語の中に、庄野さんの歴史と人脈が、しっかりと肉付いている(これは、もはやバイプレイヤーというレベルではない)。
そこに、庄野文学の「深さ」があると言っていい。
いつか聞いたようなエピソードが顔を見せると、居心地の良い予定調和に、ほっと寛いだ気持ちになる。
懐かしい家へ帰って来たような安心感がある。
庄野文学は、つまり、遠くて懐かしい故郷にある「祖父母の家」みたいな文学なのだ。
いつか聞いたエピソードを、また聞きたいからこそ、僕たちは、何度も何度も庄野さんの作品を読み続けてしまうのだろう。
書名:さくらんぼジャム
著者:庄野潤三
発行:2020/04/14
出版社:小学館(P+D BOOKS)