庄司太一の『びんだま飛ばそ』(1997)が出たころ、古いガラス瓶を集めるのが、ちょっとしたブームになった。
ガラス瓶と言っても、一升瓶からインク壜、薬瓶など、種類も大きさも多種多様だが、自分は小さな壜ばかり集めていたような気がする。
そういう意味で、神薬の壜は、コレクションにもちょうど良かった。
富山の薬売りによって運ばれた「神薬」
「神薬」は、主に気つけ薬などとして用いられた家庭用常備薬の総称である。
このびんは、「神薬」のびん。まごうかたなく、気つけぐすりの、神薬のびんです。(略)明治の始め、文明開化の産声とともに、医学大医・佐藤尚中によって創製されて、「薬効神の如し」を意味する品名そのままに世に送り出された万能薬です。(庄司太一「びんだま飛ばそ」)
「神薬」というネーミングが、いかにも神がかっている。
当初はモルヒネやクロロホルムを使った危ないくすりであったといわれています。その後は置き薬として大正・昭和の時代を生きのび、くすり売りの手で全国各地へと運ばれていきました。(庄司太一「びんだま飛ばそ」)
坂口安吾『安吾新日本風土記』の「富山の薬と越後の毒消し」(1955)にも「神薬」は登場しているから、高度経済成長の時代くらいまでは、実用されていたのかもしれない。
「こういう土地ではまた特別の薬が売れましてね。彼らはドブロクを密造してガブガブ飲んでるものですから、年中腹をこわしているのです。そこで下痢どめの神薬という薬がでるのです。それと万能薬の仁丹ですね。何病気でも仁丹で治してしまうのですよ。ですから農村では薬はダメなんです。とにかく薬をのんでくれるのは都会ですよ。知識が普及しているからです」(坂口安吾『安吾新日本風土記』より「富山の薬と越後の毒消し」)
現代医学に対する知識が庶民にまで浸透すると、どんな病気にも効くと信じられていた魔法のような「神薬」も姿を消してしまう。
たしか戦前戦後にかけて「神薬」は水あめを使って造られたので、くすりというよりはむしろ、子供たちの嗜好品として人気があったようです。しかし主成分のクロロホルムが使用禁止となった昭和三〇年代には姿を消してしまいました。(庄司太一「びんだま飛ばそ」)
昭和中期、「神薬」メーカーは、富山薬売りに限っただけでも50社は下らなかったというから、「神薬」は、まさに高度経済成長の波に飲みこまれた、幻のガラス瓶と言うことができるかもしれない。
「神薬」の魅力は、現在では姿を消してしまったという、都市伝説的なところにあるのだ。
群青色をした小さなガラス壜
滝沢馬琴『南総里見八犬伝』には「神薬施こし得て敵兵再生す」というエピソードがある。
ひどく傷ついた敵兵が、神薬を飲んでたちまちに回復してしまうという、まるでテレビゲームに出てくる魔法みたいな薬だが、「神薬」という名前には、どんな病気にも効いてほしいという、庶民の祈りのようなものが込められていたのではないだろうか。
(一歩間違うと、無知を利用した詐欺行為にもなりかねないが)
現代に残る「神薬」の空き瓶は、純粋にガラス瓶としての美しさで語りたい。
群青色をした小さな瓶のボディに「神薬」という漢字のエンボスがある。
日本では邑田(むらた)資生堂など資生堂の各店から、明治時代の蘭方医・佐藤尚中(たかなか)の処方した薬として「神薬」の名前で販売された。神薬、コロダインとも気付け、暑気あたり、腹痛、船・車酔いなどに効くとされた。(略)資生堂の神薬は角ばった青い瓶を特徴とし、後世の神薬の瓶もそれを模したものが多い。(内藤記念くすり博物館「神薬と呼ばれた薬」)
青いガラス瓶といっても、昔のガラス瓶の色には、それぞれ個性があった。
元来びんには、白びん、青びん、茶びん、黒びんなどの基本色がございますが、こうした色はみな金属酸化物の混合により発色させたものでございます。(略)ブルーの青色は酸化コバルトか酸化銅のブルー。(庄司太一「びんだま飛ばそ」)
骨董市へ行けば、それでなくとも、青いガラス瓶というものは、小さくても人の目を引くものだ。
うまくいけば、500円玉でお釣りがもらえるかもしれない(もちろん、古いものは高いだろうが)。
富山の薬売りによって、日本全国へ大量に運びこまれたものだから、希少価値があるというわけでもないし、所詮はちっぽけなガラス瓶である(それを言っちゃあおしまいだが)。
それでも、我々は、「神薬」のガラス瓶に惹かれてしまう。
もしかすると、我々は、「神薬」の文字が浮き上がる青いガラス瓶に、失われた時代を求めているのかもしれない。
書名:びんだま飛ばそ
著者:庄司太一
発行:1997/03/20
出版社:PARCO出版