庄野潤三「サヴォイ・オペラ」読了。
本作「サヴォイ・オペラ」は、1984年(昭和59年)6月から1985年(昭和60年)7月にかけて『文藝』に連載された作品である。
単行本は、1986年(昭和61年)に河出書房新社から刊行されている。
この年、著者は65歳だった。
福原麟太郎の死を引きずり続けていた1980年代
庄野潤三の1980年代の仕事を振り返ってみると、小説家本来の創作活動が少なくなっている。
80年代に刊行された単行本のうち、過去の短編小説を集めた作品集を除くと、ガンビア再訪記『ガンビアの春』(1980)、神戸を歴史を描いた『早春』(1982)、イギリス訪問記『陽気なクラウン・オフィス・ロウ』(1984)、河上徹太郎や福原麟太郎を回想した『山の上に憩いあり』(1984)、イギリスのコミック・オペラの記録『サヴォイ・オペラ』(1986)、闘病日記『世をへだてて』(1987)などというラインナップを見ると、いわゆる小説以外の分野に、庄野さんの関心が向けられていた様子が分かるだろう。
とりわけ、注目したくなるのが、『陽気なクラウン・オフィス・ロウ』『山の上に憩いあり』『サヴォイ・オペラ』『世をへだてて』という一連の作品で、なぜなら、これらの作品は、いずれも庄野さんが敬愛する英文学者・福原麟太郎の影響を受けて執筆された作品だという背景があるからである。
『陽気なクラウン・オフィス・ロウ』は、福原麟太郎の著作を引用しながら、チャールズ・ラムの足跡をたどるロンドン滞在記であり、『山の上に憩いあり』は、そのまま福原麟太郎への懐旧の気持ちを込めた回想記である。
闘病記の『世をへだてて』にしても、福原麟太郎の随筆に力を得て書き始めたものだと、最初に記されている。
つまり、80年代の庄野文学は、福原麟太郎の大きな影響のもとに培われているわけだ。
これは、福原麟太郎が、1981年(昭和56年)に亡くなっていることと、もちろん無関係ではないだろう。
27歳も年上の英文学者を心から敬愛していたから、福原麟太郎が亡くなったショックを、庄野さんは、80年代の間、引きずり続けていたと考えることもできる(少なくとも大病を患って『世をへだてて』を書き上げるまでは)。
そして、本作『サヴォイ・オペラ』もまた、庄野さんが、福原麟太郎の影響を受けて取り組んだ仕事の一つだった。
サヴォイ・オペラと福原麟太郎へ捧げる追悼歌
サヴォイ・オペラとは、19世紀後期、ヴィクトリア朝のイギリスで発展したコミック・オペラのことで、その代表的な作家が、脚本家ギルバートと作曲家サリヴァンの二人だった。
庄野さんは、福原麟太郎の随筆を読んで、サヴォイ・オペラの存在を知り、福原麟太郎が興味を持っていたサヴォイ・オペラについて、自分自身でも深く掘り下げてみようと考える。
『陽気なクラウン・オフィス・ロウ』が、チャールズ・ラムと福原麟太郎へ捧げる鎮魂歌だとしたら、『サヴォイ・オペラ』は、サヴォイ・オペラ(ギルバートとサリヴァン)と福原麟太郎へ捧げる追悼歌だったと言うことができるだろう。
サヴォイ・オペラに関する私の興味はすべて福原さんがこれまでお書きになった随筆や評論から生れ、育まれた。これからギルバートとサリヴァンの伝記を含め、参考になりそうな本を少しは読んでみるつもりだが、芝居、芸能というものに対する福原さんの考えかた──それは結局、人生観ということになるのだが──への深い共感が無ければ成り立たない仕事である。(庄野潤三『サヴォイ・オペラ』)
実際、本作『サヴォイ・オペラ』において、著者の庄野さんは、多くの関連書籍を引きつつ、随所で福原麟太郎の随想を挿入するなど、執筆の原動力が福原麟太郎であることを、ことさらに印象付けようとしている。
福原麟太郎が、その魅力を認めていたサヴォイ・オペラを、今一度、日本で紹介することによって、庄野さんは、福原麟太郎の功績を再評価したかったのかもしれない。
サヴォイ・オペラをよく知らない人にとって、本書は、これまで、ほとんど知識のなかったサヴォイ・オペラの魅力を基本から学ぶことができるという意味で格好の入門書である。
ただ、個人的には、福原麟太郎を偲ぶ庄野さんの温かい文章に触れているだけで、懐かしくて優しい気持ちになることができたということが、本書最大の魅力だと感じた。
これは、庄野さんと福原麟太郎との交流の歴史を、二人の著作の中で、自分自身が追体験していることから感じられるものかもしれない。
福原麟太郎が亡くなって40余年、庄野潤三が亡くなってからも15年以上の時が過ぎている。
心の通い合った二人の交流の証が、今後も忘れられてしまうことのないように、読み継いでいきたい名著だと思う。
書名:サヴォイ・オペラ
著者:庄野潤三
発行:1986/3/31
出版社:河出書房新社