井伏鱒二「太宰治」読了。
本作「太宰治」は、井伏鱒二の作品の中から、太宰治について書かれたものを収録したアンソロジーである。
1989年(平成元年)11月に筑摩書房から刊行された『太宰治』の増補版。
親戚の伯父さんみたいだった井伏鱒二
井伏さんは、太宰のことが本当に好きだったんだなあ、ということがよく理解できるエッセイ集。
井伏さんが太宰治について書いた文章を精選収録していて、あとがきは小沼丹、井伏夫人のインタビューも収録されている(インタビューは文庫オリジナル)。
井伏鱒二は太宰治の師匠である。
太宰が、まだ作家になる前から、というよりも、東京大学の学生となる前から、故郷の青森県から井伏さんに宛てて手紙を書くくらい、太宰は井伏さんのことを慕っていた。
上京して東大(フランス文学)の学生となったとき、「会ってくれなければ自殺する」という手紙を寄こしたことで、井伏さんは慌てて、この津島修治(太宰の本名)と対面し、文学上の師となる。
出会いからして、太宰の行動は異常である。
大学にも行かず文学に熱中し、太宰はとにかく小説を書いた。
多くの小説を書きながら、私生活の上でもトラブルを起こした。
青森の芸者(小山初代)と家出した太宰の面倒を見たのが井伏さんなら、別れた後の二人の面倒を見たのも井伏さんである(太宰から離縁された初代は、しばらく井伏家で暮らしていた)。
太宰が麻薬中毒(パビナール中毒)になったときに強制入院させたのが井伏さんなら、太宰と石原美知子との正式な結婚を世話したのも井伏さんだ(太宰の結婚式は井伏家で執り行われた)。
実家から送られてくる仕送りは、井伏さんの手を通してから太宰に渡され、失踪した太宰を捜索するための新聞広告を出したのも井伏さん。
将棋を指し、酒を飲み、一緒に旅をした。
文学上の師匠というよりは、もはや親戚の伯父さんみたいに、井伏さんは太宰の後見人になっていた。
そんな「ぼくの伯父さん」みたいな井伏さんが書く太宰の回想記だから、おもしろくないはずがない。
私は太宰に「僕の一生のお願いだから、どうか入院してくれ。命がなくなると、小説が書けなくなるぞ。怖ろしいことだぞ」と強く云った。すると太宰君は、不意に座を立って隣りの部屋にかくれた。襖の向う側から、しぼり出すような声で啼泣するのがきこえてきた。(井伏鱒二「太宰治の死」)
麻薬中毒に陥っていた太宰は、井伏さんの渾身の説得を受け入れて、このまま入院することになるのだが、同席していた初代の話によると、襖の向こう側で泣きながらも、太宰はパビナールの注射を打っていたのだという。
裏切り方が半端ではないのが、太宰治という人間だった。
太宰治は石井桃子を愛していたのか
太宰が山崎富栄と心中したとき、井伏さんと太宰との交友関係は、以前ほど活発なものではなくなっていた。
戦争末期、空襲が激しくなってから、二人はそれぞれ疎開していたし、戦後は、太宰がそれまでの人間関係をあえて避けるようになっていたという。
はじめ私はそれを見て、この下駄で抉った跡は、太宰が死ぬまいと最後の瞬間に抵抗した名残りだろうと思った。この推定は間違っていたようである。遺骸が見つかったとき、女は太宰の膝をまたいで組みついていたそうである。流れに滑り落ちるとき、もはや太宰の息の根がとまっていたとすれば、女は流れに背を向けて太宰の膝に馬乗りになって、両足でうしろに漕いだものだろう。(井伏鱒二「おんなごころ」)
後に児童文学者として成功する石井桃子は、井伏さんに「ドリトル先生物語」の翻訳を持ち込んだ女性だが、井伏さんは、太宰が好きだった女性は、この石井桃子さんだったろうと回想している。
後に、そのことを本人に告げると、石井さんは「あたしだったら、太宰さんを死なせなかったでしょうよ」と言ったそうである。
書名:太宰治
著者:井伏鱒二
発行:2018/7/25
出版社:中公文庫