二葉亭四迷「浮雲」読了。
本作「浮雲」は、1887年(明治20年)6月から1890年(明治23年)8月にかけて、断続的に発表された長編小説である。
最初の作品を発表した年、著者は24歳だった。
リストラされた不器用な若者の物語
本作「浮雲」は、明治時代初頭のサラリーマン小説である。
役所に勤めて二年目の<内海文三>は、人員整理に伴って役所をリストラされてしまう。
さほど仕事ができないというわけもなかったが、元来、口不調法の文三は、上司である課長にお愛想を言うこともできない。
だからお前さんも私の言事を聴いて、課長さんに取り入ッて置きゃア今度もやっぱり善かッたのかも知れないけれども、人の言事をお聴きでなかッたもんだからそれでこんな事になっちまッたんだ」「それはそうかも知れませんが、しかし幾程免職になるのが恐いと言ッて、私にはそんな鄙劣な事は……」(二葉亭四迷「浮雲」)
居候先の叔母<お政>からも人生を説かれるが、立身出世のためにお世辞を言うことはできないと、あくまで文三は強情だ。
対照的なのは、役所の先輩<本田昇>で、要領も良くて口の上手な本田は、休みの日にも課長の家へ顔を出し、気難しい課長に「あいつは見所がある」と言わせるまでになっていた。
「本田は一等上ッたと云うじゃないか」「そうだそうだ」「どうしても事務外の事務の巧みなものは違ッたものだネ、僕のような愚直なものにはとてもアノ真似は出来ない」「誰にも出来ない」「奴の事だからさぞ得意でいるだろうネ」(二葉亭四迷「浮雲」)
本田の成功を見せつけられ、お政からも「もっと大人になれ」と叱責されて、文三は人生を考えてしまう。
果たして、自分は、どのように生きるべきなのか、、、
不器用であることが、人生の不利益になってしまうのか
文三のリストラ問題には、文三の結婚問題も絡んでいたから、話は複雑になってくる。
居候先の叔父の家には<お勢>という年頃の従妹がいて、文三はいつしか、このお勢を結婚相手と見初めてしまう。
叔父も叔母も、そのつもりだったらしいのが、文三が失業したことで、結婚問題は暗礁へ乗り上げてしまう。
さらに、出世頭の本田がお勢に近づき始めて、文三の恋愛はいよいよ難しくなってしまった。
「ハイ本田さんは私の気に入りました……それがどうしました」ト聞くと文三は慄然ぶるぶると震えた、真蒼に成ッた……暫らくの間は言葉はなくて、唯恨めしそうにジッとお勢の澄ました顔を凝視めていた、その眼縁が見る見るうるみ出した……が忽ちはッと気を取直おして、儼然きッと容を改めて、震声で、「それじゃ……それじゃこうしましょう、今までの事は全然すッかり……水に……」言切れない、胸が一杯に成て。(二葉亭四迷「浮雲」)
本田と親しく交際するお勢に絶交を宣言した文三は、すっかりと人生の目標を見失ってしまう。
こうした若き文三の青春こそが、まさしく「浮雲」のようなものだったに違いない。
文三の葛藤は、実は、現代に生きる我々の葛藤でもある。
不器用であることが、どうして、人生の不利益として反映されなければならないのか。
人は、そこに人生の不条理を見つけ、苦悩するのである。
そして、お勢の心が自分から離れていることを悟ったとき、文三は自分の過ちを理解する。
今となッて考えてみれば、お勢はさほど高潔でも無い。移気、開豁(はで)、軽躁(かるはずみ)、それを高潔と取違えて、意味も無い外部の美、それを内部のと混同して、愧かしいかな、文三はお勢に心を奪われていた。(二葉亭四迷「浮雲」)
お勢を素晴らしい女性だと考えていたことも、お勢と自分が相思相愛だと考えていたことも、すべては文三一人の妄想に過ぎなかった。
文三は、それを「おぷちかる・いるりゅうじょん」(視覚上の錯覚)と呼んでいるが、最後に文三が自分を客観視できたところに、職を失った文三の成長があるということなのだろう。
あるいは、我々の人生そのものが、もしかすると「おぷちかる・いるりゅうじょん」なのかもしれない。
日本文学の歴史を紐解くと、本作「浮雲」は「近代文学のファーストペンギン」として紹介されていることが多い。
文明開化の時代とは言え、明治初頭の日本では、まだ文語体による文学作品がほとんどだった。
本作「浮雲」は、口語体で書かれた小説、つまり言文一致の作品として、世の中の注目を大いに集めたものらしい。
同様に、内海文三が生きた時代も、江戸から続く旧思想と明治維新の新思想とが、盛んにせめぎ合っている、そんな時代だった。
著者の二葉亭四迷は、明治元年生まれである。
時代の転換期に生きる若者の葛藤が、この物語に投影されているのではないだろうか。
作品名:浮雲
著者:二葉亭四迷
発行:2011/10/05 改版
出版社:新潮文庫