小田嶽夫「回想の文士たち」読了。
本書は、1978年(昭和53年)に刊行された文壇回想録である。
この年、著者は、78歳だった。
最も頻繁に名前の出てくる作家は太宰治と木山捷平
本書「回想の文士たち」は、著書と交友のあった文学者たちの回想録である。
最も頻繁に名前の出てくる作家は太宰治で、細かいエピソードがいろいろと紹介されていておもしろい。
例えば、1943年(昭和18年)頃に、吉祥寺駅南口にあった小さな飲み屋「無名庵」は、戦時中でも酒を出しているので、太宰や亀井勝一郎などはよく通っていたという。
そこの店では配給のほかにむろん闇酒も買うので、酒の値段は安くはなく、しかもそれが日増しに高くなって行った。がまんして払っていた太宰だが、ある日、とうとうたまりかねて「ひどいじゃないか」と抗議した。と、おかみはすごい見幕で、「そんなこと言うなら、今迄飲んだものを全部返しておくれ、もらったお金は全部返すから」といきまいた。(小田嶽夫「回想の文士たち」)
結局、他に飲む店もなく、その後も太宰は、この店に通い続けたという。
この店のおかみの名前は<八重ちゃん>と言ったが、1944年(昭和19年)には、次のような葉書が太宰から届いた。
十四日に中村地平の帰郷の送別会に出て、かぜをひいて大熱を発し、きのうまで寝ていましたが、きょうは天気がいいので、起きて床をあげてしまいました。十四日には二次会を八重チャンところへ押しかけて行き、のませてもらいました。井伏、上林、木山、という顔ぶれです。(小田嶽夫「回想の文士たち」)
阿佐ヶ谷文士の名前が揃っているが、上林暁があまりに金切声をあげて騒ぐので、とうとうお店から追い出されてしまったという。
太宰は酒が好きで、また酒に強い男でもあったが、著者は太宰の死について「彼の死も、煎詮じつめれば酒が原因と言えると思う」と綴っている。
小田嶽夫は1900年(明治33年)生まれ、太宰治は1909年(明治42年)生まれ。
9歳年下の、弟のような友人だった。
太宰の次には、木山捷平に関する記述が多い。
印象的なのは、木山が病死したときのエピソードだろう。
遺体が納棺される際私はその席にいた。頭のかたわらに笠、足もとにコハゼのない白足袋、草履がおさめられたりしたが、さいごに夫人に指図されて、令息が故人愛用のステッキをおさめた。笠や草履のときは特別に感じなかったが、ステッキが入れられるのを見たとき、急に「死出の旅路」ということが或る実感をもって迫って来た。(小田嶽夫「回想の文士たち」)
木山捷平は1904年(明治37年)生まれだから、著者よりも4つ年下である。
著者の晩年に刊行されたこの回想録は、仲間たちを見送った作家の寂しさが随所に感じられるものとなっている。
戦中から戦後の文士たちのエピソード
中村地平に関する思い出もいい。
やはり戦争末期の頃、阿佐ヶ谷将棋会のあと、青柳瑞穂氏の家を会場にして皆で飲んだときのこと。なかで中村地平、太宰などが最年少だったが、どういうきっかけからだったか可なり酔った中村が突然、「ぼくはだめだっ、汚い人間だっ」と叫んで、その大きな目からぽろぽろ涙をこぼした。躰が大きいので、それは一種の壮観であった。(小田嶽夫「回想の文士たち」)
中村地平は1908年(明治41年)生まれで、太宰治よりも一つだけ年上だった。
阿佐ヶ谷会の会場を提供していた青柳瑞穂のことも書いてある。
彼は酒が好きでもあり、強くもあったが、話好きでもあるので座が賑やかになった。彼の詩・フランス文学の師の堀口大学さんが、「青柳君と飲むのがいちばん楽しい」と言ってられたということを聞いたことがあるが、いかにもと肯かれる。(小田嶽夫「回想の文士たち」)
青柳瑞穂は1899年(明治32年)生まれだから、これは先輩についての思い出話ということになる。
ついでに言うと、堀口大学は1892年(明治25年)生まれだった。
いちいち挙げていくとキリがないが、最後に室生犀星のエピソードをひとつ。
1939年(昭和14年)、芥川龍之介追悼の河童忌で、著者は室生犀星と一緒の席になった。
私の並びの右の端から順に送られて来た、和紙をつづった帳面と硯箱が、いつの間にか犀星のところへ来た。犀星がそれに書き付けるのを横から私は見ていたが、それは、「河童忌の鮎のはらわた無かりけり」と読まれた。三行に記されていた。(小田嶽夫「回想の文士たち」)
料理に文句を付けられて、主催の菊池寛は面白くなかったらしいが、犀星は知らぬ顔で表情も変えなかったという。
本書では、戦中から戦後の文士たちのエピソードが多数紹介されている。
檀一雄、武田泰淳、蔵原伸二郎、亀井勝一郎、伊藤整、青野季吉、、、
戦時中の疎開を回顧した「逃亡の季節──戦中交遊譚」は、読み物として読み応えのある随筆だった。
昭和の文学作品に親しむ上で、非常に参考になる文壇史の記録である。
書名:回想の文士たち
著者:小田嶽夫
発行:1978/6/20
出版社:冬樹社