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【名曲考察】甲斐バンド「観覧車」若い二人には痛すぎた<結婚の理想と現実>

【名曲考察】甲斐バンド「観覧車」若い二人には痛すぎた

甲斐バンド「観覧車」は、1981年(昭和56年)に発表されたアルバム『破れたハートを売り物に』に収録された作品である。

作詞・作曲ともに甲斐よしひろで、この年、作者は28歳だった。

より理想に近いサウンドを追求する甲斐は、1982年(昭和57年)5月、シングル「無法者の愛」のカップリングとして、ボブ・クリアマウンテンのミキシングによる「観覧車’82」を発表。

「観覧車」の完成形である「観覧車’82」は、次のアルバム『虜/TORIKO』(1982)にも収録された。

ファンの支持も高い人気曲だが、一部には解釈の難解な部分があり、「歌詞の意味がわからない」と混乱を招く場合もある。

今回は、「観覧車」の歌詞の意味を、深読み考察してみたい。

友人たちに祝福された温かい結婚

甲斐バンド「観覧車’82」は、結婚の理想と現実を歌った作品である。

雨の日に二人 式を挙げた
借りものの上着 友達が縫ったドレス
指輪と花束 ささやかな誓い
ただそれだけ でも幸福だった

おまえは今 家の前
椅子にすわり外を見る
生きることを呪うように
悲しみ宿る目で 夜の果てをみてる

(甲斐バンド「観覧車’82」)

歌の全体像は、一番目の歌詞に提示されている。

前半では、二人の結婚がささやかながら、友人たちに祝福された幸福なものであったことが示されている一方、後半では、「生きることを呪うよう」な妻の目に、二人の結婚生活が、既に幸福なものではないことが暗示されている。

素晴らしいのは「借りものの上着 友達が縫ったドレス」という部分で(特に「友達が縫ったドレス」)、この歌詞は、80年代における日本のポップカルチャー史に残る名フレーズとなった。

この一言が、二人の結婚が、友人たちに祝福された温かいものであったことを象徴している。

しかし、「友達が縫ったドレス」に祝福された二人の結婚生活は、かつて考えていたように幸福なものではなかった。

「観覧車」という曲名が象徴するもの

この作品のタイトルは「観覧車」である。

夕暮れの遊園地 覚えてるか
お前と二人 暖かい冬の日
観覧車に乗り 昇った時
不意に壊れ その場に 置き去りにされた

手をのばせば届きそうな
星が降る空の中
俺はお前を抱きしめ
二度と離さないと かたく心に決めた

(甲斐バンド「観覧車’82」)

なぜ、この曲は「観覧車」と名付けられたのか?

それは、この歌を象徴するものが「観覧車」だったからだ。

「観覧車」は、二番目の歌詞に登場する。

彼女(妻)と二人で観覧車に乗っているとき、突然の機械トラブルで観覧車が止まった。

おそらく、二人は頂上に近いところで置き去りにされてしまったのだろう。

天空いっぱいに冬の星が輝いていた。

主人公(俺)は彼女(お前)を抱きしめ、「二度と離さない」と固く心に誓う。

つまり、「観覧車」は、男にとって「誓い」の象徴だったのだ(「二度と離さない」という誓い)。

この誓いの意味が、実は曖昧で、「二度と離さない」とあるのは、一度は心変わりした男の反省と後悔を示唆したフレーズとして読むこともできる。

時間軸としても、このエピソードが、結婚前のことなのか、結婚後のことなのか、特定することはできない。

しかし、この次に展開する歌詞を考えたとき、このエピソードは結婚後のものであり、しかも、一度は心変わりした(つまり浮気した)男の反省から生まれた「誓い」として読むことが自然に思える。

つまり、「観覧車」は、(男の浮気によって)一度は崩壊しかけた結婚生活の「再生」の象徴としても読むことができるわけだ。

なぜ、この曲は「観覧車」なのか?

そのことを深く追求していくことで、この歌の持つテーマが明らかとなってくる。

壊された観覧車と男の誓い

本作品で最も印象的な場面が、三番目の歌詞だ。

若さではずんでた頃の
全ての美しい夢も
壊された観覧車の
鉄のように冷たく 空に刺さったままだ

(甲斐バンド「観覧車’82」)

三番目の歌詞の言葉を簡潔に入れ替えると「美しい夢も、空に刺さったままだ、鉄のように冷たく」となる。

冷たい空へ刺さったままとなっているのは、若かった頃の夢(つまり、理想に満ちた二人の結婚)である。

かつて、置き去りにされたことのある、あの観覧車は、既に、解体されてなくなってしまったのだろう(何しろ、機械トラブルが多かった)。

しかし、主人公の「誓い」は、天空で彼女を抱きしめたときのように、冷たい空に刺さったままだ。

なぜなら、「壊された観覧車」は、「壊された男の誓い(=幸福な結婚)」でもあるからだ。

すごく難しい比喩表現だが、ハードボイルドな甲斐バンドの格好良さは、こうしたフレーズに象徴されていると言っていい。

「青春の痛み」を歌った甲斐バンド

主人公(男)の苦悩がストレートに表現されている四番目の歌詞は、本作品「観覧車’82」のクライマックスだ。

胸にこみあげる狂うような何か
こらえきれずに 叫びそうになる

胸にこみあげる狂うような想い
断ちきれず俺は 声あげ泣きそうになる

(甲斐バンド「観覧車’82」)

胸にこみあげる狂うような何か」とは何か?

彼女(妻)を幸福にできなかったことへの後悔であり、不幸な結婚をしてしまったことへの後悔である。

ここに、いかにも「甲斐バンドらしい」と言っていい、青春の痛みがある。

甲斐バンドは「青春の痛み」を歌ったロックバンドだった。

誰もが持つ「青春の痛み」への共感こそが、甲斐バンドの本質だったのだ。

断ちきれず俺は 声あげ泣きそうになる」という歌詞には、自分の痛みに真正面からぶつかり、苦悩する男の姿が描かれている。

甲斐バンドは、決して「痛み」から逃げることのないバンドだった。

ストイックなほどに真正面から「痛み」と向き合う姿勢は、まるで求道者のようにさえ見えた。

そこに、あの時代の甲斐バンドが持つ(甲斐バンドにしかない)魅力があった。

結婚の理想と現実にうちのめされる二人

最後に、幸福だった時代のフレーズが繰り返される。

雨の日に二人 式を挙げた
借りものの上着 友達が縫ったドレス

(甲斐バンド「観覧車’82」)

借りものの上着と友達が縫ったドレス。

贅沢ではないけれど、友人たちに祝福される幸福が、そこにはあった。

しかし、結婚の理想と現実は、やがて、若い二人を打ちのめすことになるだろう。

あるいは、二人は「結婚の現実」を理解していたのかもしれない。

「結婚の現実」を知っていて、なお、二人は「結婚という夢」に挑戦していたのかもしれない。

挑戦することだけが、若者に与えられたただ唯一の特権だったのだ。

甲斐バンドの曲を聴くと、年老いた今でも、胸(心)の一部に痛みを覚えることがある。

青春の日の痛みは、年老いてなお感じることができる生々しいものらしい。

今年(2025年)は、甲斐バンドのデビュー50周年というメモリアル年だ。

WOWOWのスペシャル番組を観ながら、僕は、あの頃の痛みを思い出そうとしている。

甲斐バンドとともにあった、青春の日の痛みを。

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。