読書体験

庄野潤三『小えびの群れ』普通の生活の中にある小さなドラマから生まれた物語

庄野潤三『小えびの群れ』普通の生活の中にある小さなドラマから生まれた物語

庄野潤三『小えびの群れ』読了。

本作『小えびの群れ』は、1970年(昭和45年)10月に新潮社から刊行された短篇小説集である。

この年、著者は49歳だった。

収録作品及び初出は次のとおり。

「星空と三人の兄弟」
・1968年(昭和43年)2月『群像』

「尺取虫」
・1968年(昭和43年)冬季号『季刊芸術』

「パナマ草の親類」
・1969年(昭和44年)11月『海』

「野菜の包み」
・1970年(昭和45年)4月『群像』

「さまよい歩く二人」
・1970年(昭和45年)3月『文芸』

「戸外の祈り」
・1969年(昭和44年)5月『婦人之友』

「小えびの群れ」
・1970年(昭和45年)1月『新潮』

「秋の日」
・1969年(昭和44年)1月『文芸』

「湖上の橋」
・1968年(昭和43年)9月『文学界』

「雨の日」
・1969年(昭和44年)3月『風景』

「年ごろ」
・1970年(昭和45年)2月『文学界』

文庫版『絵合せ』の母体となった『小えびの群れ』

比較的多くの作品が文庫化されている庄野潤三だが、短編作品の文庫化は意外と少ない。

芥川賞受賞作「プールサイド小景」や新潮社文学賞受賞作「静物」など、前期の名作は、新潮文庫『プールサイド小景・静物』(1965)で読むことができる。

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また、初期の作品を集めた『愛撫/静物(庄野潤三初期作品集)』(2007)も、講談社文芸文庫から出ている。

ただし、中期の作品となると、講談社文庫・講談社文芸文庫から出ている『絵合せ』(1977)があるだけで、この3冊が、文庫で読むことのできる庄野潤三の作品のすべてということになる。

文庫ではない企画ものとして、2014年(平成26年)に夏葉社から刊行された『親子の時間 庄野潤三小説撰集』もあるが。

何を言いたいかと言うと、庄野潤三には読み落とされている短篇作品も少なくない、ということだ。

本作『小えびの群れ』には、1968年(昭和43年)から1970年(昭和45年)に発表された短篇小説が収録されている。

後期には、長篇小説を中心に執筆した庄野潤三だが、この時期は、まだ、短篇小説の作家だったのだ。

目次を見ただけで、「星空と三人の兄弟」「尺取虫」「野菜の包み」「さまよい歩く二人」「戸外の祈り」「小えびの群れ」と、いわゆる文庫版『絵合せ』に収録されている作品が、たくさん並んでいることに気付く。

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文庫版『絵合せ』収録10作品のうち、6作品が、本作『小えびの群れ』に収録された作品である。

つまり、文庫版『絵合せ』は、本作『小えびの群れ』が母体になっているということだ。

文庫版『絵合せ』は、和子・明夫・良二という三人の子どもたちを主軸に据えた、いわゆる「明夫と良二」シリーズの作品で構成された短篇小説集である。

長女(和子)が結婚してしまう前の、五人家族の時代の庄野潤三作品を読みたいという人に、本作『小えびの群れ』はお勧めである。

特に、講談社『少年少女世界文学全集(ドイツ篇)2』(1965)にインスパイアされた作品はいい。

講談社『少年少女世界文学全集(ドイツ篇)2』(1965)講談社『少年少女世界文学全集(ドイツ篇)2』(1965)

「星空と三人の兄弟」なんて、タイトルからしてグリム童話の世界みたいだ。

「重かっただろう」終ると、私は子供にいった。「うん、重い」「こういう時って、いちばん重くなるんだ」そばで見物していた細君が、何かいいかけようとして、やめた。(庄野潤三「星空と三人の兄弟」)

ぞっとすることを覚えようとして、首吊り死体を運んだグリム童話と重ね合わせるように、五人家族の日常が描かれている。

講談社『少年少女世界文学全集(ドイツ篇)2』より講談社『少年少女世界文学全集(ドイツ篇)2』より

童話の世界と日常生活との往還は、当時の庄野文学における、ひとつのテーマだった。

日常生活の、ほんのちょっとした会話をきっかけにして童話や民話の世界へ入る。そこから逆に自分たちの世界を振り返ってみる。また、身の回りに「ふしぎ」を見つけて、驚いたり、怖がったりしてみたいという気持がある。(庄野潤三『小えびの群れ』あとがき)

『少年少女世界文学全集(ドイツ篇)2』には「三人の兄弟」という物語があるから、「星空と三人の兄弟」というタイトルも、グリム童話にインスパイアされたものと考えていい。

同じように、「さまよい歩く二人」も、『少年少女世界文学全集(ドイツ篇)2』収録の物語にインスパイアされた作品だ。

中学一年の良二と会社勤めをしてまだひと月にならない和子が、展覧会をみに行った。朝の十時半ころに出かけて──朝のうち降っていた春の雨が、やっとその頃に上った──夕方の五時すぎに戻った。(庄野潤三「さまよい歩く二人」)

長女(夏子)が商船三井に就職し、次男(和也)が中学校に入学するのは、1968年(昭和43年)4月のこと。

この時期、上野公園の国立西洋美術館では『ボナール展: 生誕百年記念』(3月20日~5月5日)が開催されているから、和子と良二は、この企画展を見学に行ったのだろう。

講談社『少年少女世界文学全集(ドイツ篇)2』より講談社『少年少女世界文学全集(ドイツ篇)2』より

姉弟の休日スナップが、グリム童話の世界へ放りこまれることで、不思議な世界観を構築していく。

「尺取虫」は、良二の友人(宇田君)が主役として活躍する。

良二の同級生の宇田君は、家が栗谷にある。栗谷というのは、彼等のいる丘とは、駅へ出る「新道」を隔ててひとつ向うの谷間にある。(庄野潤三「尺取虫」)

昭和時代とはいえ、宇田君の生活は、グリム童話の世界観と重なって、新鮮なユーモアを生み出している。

「篠んぼう」「おばば」など、地元の子どもたちの使う言葉は、貴重な郷土資料として読むことができる。

普通の生活の中にある小さなドラマ

子どもたちが活躍する「明夫と良二」シリーズがおもしろいのは間違いないが、本作『小えびの群れ』では、文庫に収録されていない作品にも注目したい。

「パナマ草の親類」は、次兄(庄野英二)から台湾パナマの帽子をもらったときの話。

台湾パナマは、ガンビアへ行く途中に寄ったハワイの思い出から、父の山高帽子の話へと展開していく。

やがて何十年かたって、誰かが──彼等の兄弟の子供は、も早分別臭い顔つきの親父となっている──押入からこの山高帽子を見つけ出し、珍しいものが出て来たと云い、たまたまかぶってみた者の頭にぴったり合って、「どうだい。まるで寸法を取ったみたいじゃないか」きっとそう云うに決っている。(庄野潤三「パナマ草の親類」)

父親(庄野貞一)から受け継がれたものが、息子(庄野潤三)を経由して、また、次の世代へと受け継がれていく。

そんな家族の系譜が、この小さな物語を支えている。

父が遺した山高帽子のことは、短篇「山高帽子」に詳しい(作品集『丘の明り』所収)。

彼らが一年間のアメリカ留学へ出かけたとき、次の世代となる子どもたちは、まだ幼かった。

もっとも、彼は浮き浮きとした気持で船に乗っているわけではなかった。上が小学四年生の女の子、次が幼稚園の男の子、その下についこの間まで哺乳瓶をくわえていた男の子がいて、三人とも祖母と一緒に家で留守番をしている。(庄野潤三「パナマ草の親類」)

ガンビア滞在中の子どもたちの様子については、長篇『懐しきオハイオ』でも触れられているとおりだ。

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アメリカ留学中の思い出は、多くの短篇小説にもなっていて、「湖上の橋」は、グレイハウンド・バスに乗って、ニュー・オーリンズまで旅をしたときの思い出を綴った作品である。

相手は、何のためにアメリカへ来たか、何をしているか、何時までいるかということを聞いた。特に私の妻に対して、同じ旅券で来たか、学校へ行っているか(私は、学校へは行かない、家にいると答えた)、家にいるというのは何をしているのかと、続けさまに聞いた。(庄野潤三「湖上の橋」)

アメリカ南部旅行は、「南部の旅」「静かな町」「湖上の橋」の三部作となっていて、前二作は作品集『道』(1962)に収録されている。

楽しかったガンビア滞在に比べて、アメリカ南部旅行は、決して愉快なだけの旅行ではなかった。

アメリカらしいアメリカが、そこにはあった、と言えるかもしれない。

学生時代の満州旅行を綴った「秋の日」は、長篇『前途』(1968)のスピンオフ的な作品。

ひょっとして自分はコレラにかかったのだろうか。(略)ここで死ぬのはいやだ。ここで死んでいくのはいやだ。くそ、死ぬものかと、私は神様に祈った。(庄野潤三「秋の日」)

異国の地で病気になったときの不安が、ここでは描かれている(「早く内地へ帰ろう」)。

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庄野さんは、九州帝国大学法文学部の学生時代に、二度の満州旅行を経験していて、ほかに「嚝野」という短篇小説がある(『丘の明り』所収)。

「雨の日」と「年ごろ」は、日常の身辺に題材を採った作品。

もともとここは五年前までは、山であった。赤松の林や櫟林や杉林の谷間のある山であった。(略)中学へ行く子が、尾根伝いの道を学校へ行く。それも、そんなに多くはない。あとは、畑をしに上って来る農家の人とたまに会うくらいのもので、人なんかいなかった。(庄野潤三「雨の日」)

長篇『夕べの雲』を頂点とする「生田風土記シリーズ」とも呼びたいような、生田の移り変わりが、「雨の日」にも描かれている。

「年ごろ」は、妻とお店の人との会話で構成されている。

「若い人は、お化粧しない方がいいのに」と彼女は云った。「素顔のほうがいいわ。若いだけできれいなんだから」「若くないんですよ。誰も貰ってくれる人がいないんですから」県道沿いの小ちゃな化粧品屋に働いている子は、悲観的なことを云った。(庄野潤三「年ごろ」)

次に、お店へ行ったとき、「誰も貰ってくれる人がいない」と嘆いていた女性店員は結婚していた。

日常生活の中にも、ちょっとしたドラマはあるものだ。

庄野潤三は、大袈裟で劇的なドラマよりも、普通の生活の中にある小さなドラマを好んで作品にした。

背伸びすることなく「身の丈を描いた作家」と言えるかもしれない。

元気で明るい子どもたちの物語を中心に、本作『小えびの群れ』には、身の丈のままに描かれた作品が収録されている。

作りこまれた物語よりも、ずっとリアルで、共感できる物語ばかりだ。

「素顔のほうがいいわ。若いだけできれいなんだから」と言った妻の言葉のように。

書名:小えびの群れ
著者:庄野潤三
発行:1970/10/20
出版社:新潮社

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ますじぃ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。