永井龍男「黒い御飯」読了。
本作「黒い御飯」は、1923年(大正12年)7月『文藝春秋』に発表された短編小説である。
この年、著者は19歳だった。
作品集では、1934年(昭和9年)に刊行された『絵本』に収録されている。
家族の愛情という幸福
「黒い御飯」は、しみじみと温かい家族小説である。
主人公の少年一家が幸福であったかどうか、客観的に判断することは難しいかもしれない。
けれど、貧しい暮らしの中にも小さな幸せがあったということだけは確かだろう。
この小説は、小学校に入学したばかり<私>の視点からとらえた<父>の回想記である。
「もし明日にでもどうかしたら……」何事に対してもまず父の頭へはそうした言葉がひらめいたであろう。父は少しずつ、少しずつ、恥かしい程少しずつ貯蓄をした。(永井龍男「黒い御飯」)
病弱のために貧しかった父は、その小さな家庭を必死で守ろうとしている。
小説の中で綴られている父の姿は、いつでも病弱で、そして貧しかった。
その父親の、<私>に対する深い愛情と大きな期待を感じさせてくれたものが「黒い御飯」である。
次兄の古い紺絣を着回すため、父は釜を使って染め直してくれる。
さて、そのまた翌日のことだ。綺麗好きの母が、あれ程よく洗った釜で炊いた、その御飯はうす黒かった。うす黒い御飯から、もうもうと湯気が上がった。「赤の御飯のかわりだね」誰かがそんな事を云う。染められた紺がすりは、まだ乾き切らずに竿にかかっていた。(永井龍男「黒い御飯」)
御飯を炊く釜を使って紺絣を染め直したため、翌日に炊いた御飯にうっすらと、黒い色が付いてしまったのだろう。
黒い御飯は、少年一家の貧しさの象徴である。
その貧しさの中に、しみじみとした小さな幸福がある。
「赤の御飯のかわりだね」という言葉が、この小説のすべてを物語っている。
当たり前の家庭では、小学校入学のお祝いにお赤飯を炊いているのかもしれないが、貧しい少年一家にお赤飯はない。
だから、黒い御飯が食卓に並んだとき、誰かが「赤の御飯のかわりだね」と言ったのだ。
そこには、貧窮に対する恨めしさも、卑屈に思う気持ちもない。
貧しさを受け入れながら、少年の成長を祝う家族の温かい愛情が込められているだけだ。
もちろん、少年が、そのことに気が付いたのは、もっとずっと後のことだっただろう。
全集の「あとがき」の中で、著者は「とにかく技巧を捨てチエホフの短篇のように書いてみようと思って書いたのが「黒い御飯」であった」と綴っている。
貧しさへの怨念と格差社会への怒り
「黒い御飯」は、少年の目から見た父の姿を描いた作品だが、随所に登場する家族の存在もいい。
通学用の鞄を買ってくれたのは「小学校も卒える事が出来ずに、小さい時から工場通いを仕続けてきた兄」で、鞄に名前を書いてくれたのは「A社の給仕に出ている二番目の兄」である。
「赤の御飯のかわりだね」と言ったのも、この兄のうちの誰かだったかもしれない。
黒い御飯を炊いてくれたのは、着古した紺絣を縫い直してくれた母である。
物語に登場する家族の誰もが、少年の入学を心から祝福している様子が、眼に浮かぶようだ。
どんなにお金持ちの家庭であっても、家族の愛情がなければ、本当の幸せとは言えない。
自分の幸せを、<私>は、この小説の中で再認識していたのではないだろうか。
もちろん、家庭の貧困を(つまりは貧富の格差を)肯定することはあってはならない。
この小説の根底にあるのは、あくまでも、貧しさへの怨念であり、格差社会への怒りである。
そのマイナスの感情を、ネガティブに書かなかったところが、この作品の大きなポイントだ。
作品名:黒い御飯
著者:永井龍男
書名:永井龍男全集(第一巻)
発行:1981/4/17
出版社:講談社