武者小路実篤「友情」読了。
本作「友情」は、1919年(大正8年)10月から12月まで『大阪毎日新聞』に連載された長編小説である。
この年、著者は34歳だった。
単行本は、1920年(大正9年)4月に以文社から刊行されている。
失恋が人間を成長させることはあるのか?
失恋が人間を成長させることはあるのか?
その一つの答えを、本作「友情」は描いている。
ある若者が、友人の妹を好きになる。
若者は、たった一人の親友だけに、その事実を打ち明ける。
親友は、若者のために、様々の苦労を働いてくれる。
いよいよ、若者は彼女に結婚を申し込み、そして失恋する。
大失恋だった。
若者は親友に絶望を報告し、親友は若者を慰める。
傷も癒えぬ間に、若者は、親友と彼女とが結婚したことを知る。
彼女は、初めから親友のことを愛していたのだ。
若者を気遣う親友は、あえて冷淡に彼女とは接していた。
それでも、彼女はあきらめなかった。
彼女の愛が、親友の心を動かしたのだ。
若者は泣き、怒り、そして立ちあがった。
若者の本当の物語が、今、ここから始まろうとしていた──。
それが、この恋愛小説のあらすじである。
若者の名前は<野島>、親友の名前は<大宮>、そして、彼女の名前は<杉子>。
この物語は、二人の青年と一人の女性を中心に、若者たちの青春を描いた、永遠の青春小説である。
杉子はなぜ野島の愛に応えることができなかったのか。
杉子は、野島が自分を偶像化していることに不安を覚えている。
野島さまは私と云うものをそっちのけにして勝手に私を人間ばなれしたものに築きあげて、そして勝手にそれを讃美していらっしゃるのです。ですから万一一緒になったら、私がただの女なのにお驚きになるでしょう。(武者小路実篤「友情」)
よく知らない女性を独り合点で神格化してしまうことは、若い年代、特に童貞の頃には珍しくない。
女を知らない野島は、杉子を崇拝するあまり、本当の彼女を直視することができなかった。
恋愛と現実のすれ違いの一つのパターンが、ここに描かれている。
杉子は、ただ、ありのままの杉子自身を認めてもらいたかっただけなのだ。
本当のテーマは、野島と大宮との友情を描くこと
ところで、本作のタイトルは「恋愛」ではなく「友情」である。
つまり、この物語の本当のテーマは、野島の失恋ではなく、野島と大宮との友情を描くことにある。
「僕は小説をかき出したよ」「そうか。僕も何かしたくなった。勉強もしたい」「お互いに偉くなろうね」「それはきっとなれるよ。君がいてくれるのがどんなにうれしいだろう。日本もこれから面白くなる。本当に仕事らしい仕事をしなければ不名誉だ」(武者小路実篤「友情」)
大宮は小説家であり、野島は将来の脚本家を目指している。
二人は互いに励まし合い、尊敬し合うことのできる、本当の親友だった(年齢は大宮が3つ年上)。
それだけに、自分が杉子を愛し、杉子が自分を愛していることを知ったときの大宮の驚きは、どんなものであっただろうか。
杉子の求愛を受け入れた大宮は、野島にすべてを打ち明ける。
それが、どれだけ野島を傷付けるかということを知りながら。
野島はこの小説を読んで、泣いた、感謝した、怒った、わめいた、そしてやっとよみあげた。立ち上って室のなかを歩きまわった。そして自分の机の上の鴨居にかけてある大宮から送ってくれたベートオフェンのマスクに気がつくと彼はいきなりそれをつかんで力まかせに引っぱって、釣ってある糸を切ってしまった。そしてそれを庭石の上にたたきつけた。石膏のマスクは粉微塵にとびちった。(武者小路実篤「友情」)
野島が破壊したものは、杉子を愛していた過去の自分である。
失恋の痛手から立ち直ることもできないでいた彼は、ここからようやく人生をやり直すことができる。
果たして、どのように事実を野島に伝えるべきか、大宮は悩んだことだろう。
野島の自尊心を傷つけぬように、婉曲な言い回しをすることも可能だったかもしれない。
だが、あえて、大宮は、直球ど真ん中のストレートで、野島に勝負を挑む。
尊敬する親友に対する、それが最低限の礼節だったからだ。
野島の将来は描かれていないけれど、彼は、きっとここから大きく成長したに違いない。
杉子に対する失恋と、大宮による友情が、彼を成長させたのである。
だから、本作「友情」は、大失恋によって自分の殻を打ち破った若者の、成長物語とも言えるのである。
書名:友情
著者:武者小路実篤
発行:2003/06/10 改版
出版社:新潮文庫