文学鑑賞

富田常雄「姿三四郎(天の巻)」恋愛を捨て柔道を選んだ男の青春物語

富田常雄「姿三四郎(天の巻)」恋愛を捨て柔道を選んだ男の青春物語

富田常雄「姿三四郎(天の巻)」読了。

本作「姿三四郎」は、1943年(昭和18年)に錦城出版社から刊行された長編柔道小説である。

明治20年代の柔道黎明期を描いたスポーツ小説

この秋は、純文学を離れて、昭和の大衆文学を集中的に読んでいるが、富田常雄の「姿三四郎」はさすがだと思った。

石坂洋次郎や源氏鶏太、有馬頼義などの中間小説と違って、明確に大衆小説以外の何物でもないからである。

そして、この大衆小説が、すこぶる面白いときている。

大衆小説と言えば、近年のミステリー小説やSF小説も大衆小説に違いないが、戦前の大衆小説は、大衆小説ながら文学としてのレベルが高い。

「姿三四郎」は、明治20年代の柔道黎明期を描いたスポーツ小説である。

紘道館創始者である<矢野正五郎>に弟子入りした<姿三四郎>は、<戸田雄次郎><檀義麿><津崎公平>とともに、紘道館四天王と称されるまでに成長する。

そして、警視庁師範の座を賭けた大会に、紘道館柔道代表として出場した三四郎は、旧来から続く柔術代表の<村井半助>との戦いに勝利し、紘道館時代の幕開けを宣言するのだ。

さらに、最大の強敵<桧垣源之助>を野試合で叩きのめした三四郎は、どこか遠いところへ旅立っていく。

「俺は負けた……俺は負けたのだ。人間に負け、業に負け、その上、命を救って貰ってまで負けたのだ。が、君は俺が許せるか」「許すも許さぬもない」三四郎の声に悲哀があった。「柔術は出世の道具じゃなかった……」源之助がぽつりと言った。(富田常雄「姿三四郎(天の巻)」)

とにかく、負け知らずで強豪を次々と葬り去っていく姿三四郎の強さは凄すぎる。

そして、桧垣源之助が片思いしていた女性<村井乙美>から熱い求愛を受けても、柔道の鍛錬に支障を及ぼすかもしれないと考える三四郎は、決して乙美の愛を受け入れようとはしない。

かっこよすぎるだろ、姿三四郎。

人間として成長していく姿三四郎

小説「姿三四郎」は、姿三四郎という一人の柔道家が、人間として成長していく過程を描いた青春小説である。

強すぎるが故に、三四郎には、様々な迷いが付きまとう。

「うるさい坊主だ」うめくように三四郎は怒鳴った。「体は冷える、蛭は吸いつく、虫は食いつく、腹は減る、杭は手放せぬ、陸へあがるのは無念。それが世の中よ。そのなかから、武道の悟りも出る、すべて一如だ、悟りは脚下じゃ」さいづち和尚は生き残りの薮蚊をぴしゃりと敲いた。(富田常雄「姿三四郎(天の巻)」)

しかし、幾たびの危機を乗り越えて、三四郎が成長していく様子にこそ、読者は熱い共感を覚えるのだ。

さりげなく盛り込まれた乙美との美しい恋愛模様も、読者の注目を引き付けるポイントのひとつである。

三四郎の愛した乙美は、警視庁の大会で三四郎と戦うことになっている柔術家・村井半助の娘で、三四郎は、この試合に勝つべきか負けるべきか、直前まで真剣に迷った。

三四郎は眉の辺に暗い影を見せて頷くと、じっと乙美を見つめた。「お父さんは御無念と思います、君も無念と思う。併し武道は許さなかった、許す程ならば僕は勝ちはせぬ、戦いもせぬ……乙美さん、柔道は僕のものではない。紘道館のものでもなかった、柔道は日本のものなのだ。ケレンは許されない……」(富田常雄「姿三四郎(天の巻)」)

姿三四郎のクールな生き方は、旧式であるにせよ、令和時代においても、十分に魅力的な生き方だろう。

この後、「姿三四郎」は(地の巻)(人の巻)へと続いていくが、当初の構成は『姿三四郎』『続・姿三四郎』『柔』『続・柔』で、1964年(昭和39年)の講談社版で全3巻となった。

本作「姿三四郎(天の巻)」には、当初の『姿三四郎』に『続・姿三四郎』の冒頭の部分が含まれているので、一冊の物語としては違和感を覚えるかもしれない。

とにかく、何でもあり、究極のエンタメ小説である。

書名:姿三四郎(天の巻)
著者:富田常雄
発行:1996/4/20
出版社:大衆文学館・講談社文庫コレクション

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。