NHKの『The Covers』の「竹内まりやナイト!~デビュー45周年スペシャル~」で、クレイジーケンバンドが「駅」をカバーしているのを聴いて、この曲は、やはり、男性のための曲なのだと思った。
もしかすると、それは、アイドル時代の中森明菜が、どうして、この曲の解釈を誤ったのか?という、日本ポップス史上に残る大きな謎とも関係しているかもしれない。
「今になって初めてわかる」元カレの気持ちとは?
竹内まりやの「駅」は、多くのアーティストにカバーされている人気曲で、女性だけではなく、男性アーティストによるカバーも少なくない。
メジャーどころでは、徳永英明のカバーが秀逸で、すべての「駅」カバーの中でも、トップを争う楽曲に仕上がっている(2005年『 VOCALIST』収録)。
その他、松崎しげるや布施明など、意外なオジサン歌手たちが、この曲をカバーしているが、『The Covers』出演のクレイジーケンバンドしかり、この曲は、おじさんアーティストの心に響く何かを持っているようだ。
リスナー側でも、「駅」は、おじさん世代の男性リスナーの支持が強い曲で、この曲の何がおじさんを惹きつけるのか?という理由を考えることは、この曲の歌詞が持つ「謎」の解明に近づくことになるかもしれない。
謎の解明?
そう、この曲「駅」は、古くから、その解釈が争われてきた作品だった。
「駅」最大の謎は、2番目の最後のフレーズ「私だけ 愛してたことも」の解釈である。
この部分を「私だけが 愛してたことも」と解釈すると、この作品は、片想いの女性の未練を歌ったものということになるし、「私だけを 愛してたことも」と解釈すると、理由あって別れた男女の悲恋の歌ということになる。
もちろん、歌詞の意味は、ひとつのフレーズだけではなく、全体の中から読み取らなければならない。
本作「駅」を解釈する上で、重要なポイントは3つある。
ひとつは、一番目にある、最初に元カレを見つけたときのフレーズだ。
懐かしさの一歩手前で
こみあげる 苦い思い出に
言葉がとても見つからないわ
(竹内まりや「駅」)
2年ぶりに見かけた元カレに、主人公が感じたものは、「懐かしさ」ではなく「苦い思い出」だった。
それは、2年前の別れが、彼女にとって悲惨なものだったことを示唆している。
おそらく、主人公は、ボロボロになってしまうくらい、辛くて苦しい思いをしたはずだ。
だからこそ、「あなたがいなくても こうして元気で暮らしていることを さり気なく告げたかったのに、、、」というフレーズへとつながっていくことになる。
しかし、あれから2年が経って、二人を変えたものは「彼のまなざしと 私のこの髪」だった。
ひとつ隣の車輛に乗り
うつむく横顔 見ていたら
思わず 涙あふれてきそう
(竹内まりや「駅」)
ふたつめのポイントは、元カレのうつむく横顔を見ている主人公が「思わず涙あふれてきそう」と、心の中で叫ぶ瞬間だ。
おそらく、多くの男性リスナーは、このフレーズに、強い共感を感じているに違いない(ここは、ある意味で、この作品のクライマックスでもある)。
なぜなら、彼女が「思わず涙あふれてきそう」と感じるのは、あまり幸せそうには見えない、現在の元カレに、主人公の心がさり気なく寄り添っているためと読むことができるからだ。
男は、別れた女性にも、「いつまでも自分のことを気にかけていてほしい」という、理不尽な願望を抱いている。
「思わず涙あふれてきそう」という主人公の言葉には、元カレに再び惹かれていきそうな、女性の心情が反映されている(たとえ、それが同情だとしても)。
「駅」をカバーする男性アーティストの多くは、このフレーズにこそ、強いエクスタシーを感じているのではないだろうか。
そして、三つ目のポイントは、主人公の女性が、「元カレの気持ちが、今になってわかる」ということに、初めて気づいた部分である。
今になって あなたの気持ち
初めてわかるの 痛いほど
私だけ 愛してたことも
(竹内まりや「駅」)
ここで、問題の「私だけ 愛してたことも」が登場するが、本当に重要なのは、その直前のフレーズ、「今になって あなたの気持ち 初めてわかるの 痛いほど」という部分である。
なぜ、主人公は、今になって、元カレの気持ちが分かることに気が付いたのか?(しかも「痛いほど」)
それは、2年の月日が変えた「彼のまなざし」と「うつむく横顔」である。
少なくとも、彼女の目から見た元カレは、決して幸せな状態ではなかった。
そこで、彼女は思い出したのだ、2年前のひどい別れのことを。
あのとき、苦しいのは自分だけだと、彼女は考えていたかもしれない。
しかし、2年ぶりに変わり果てた元カレの姿を見たとき、彼女は、男の本当の気持ちをしっかりと理解する(まさしく「痛いほど」に)。
彼が、本当に愛していたのは「私だけだったのだ」ということを。
山下達郎が憤慨した中森明菜バージョン
あるいは、それは、不倫の恋だったかもしれない。
それでも、彼らは、真剣に愛し合っていた。
この曲が、多くの女性リスナーからも、強い支持を受けているのは、過去の恋愛が二人にとって「黒歴史」とはなっていないからである。
少なくとも、彼女は、2年前の恋愛を誇りに感じている。
やむなく別れた二人だったとしても、彼女は、過去の恋愛に後悔はしていない。
できることなら、彼女は、うつむく元カレに、優しい言葉をかけてあげたかったはずだ(「♪元気を出して~」)。
しかし、そうすることはできない。
なぜなら、今や二人は「それぞれに待つ人の元へ戻って」いかなければならないからだ。
この歌の切なさは、かつて愛し合っていた二人が、もう元には戻ることができない、という時の流れにある。
新しいドラマが始まりそうな予感を見せつつ、やがて、主人公は、いつもの日常へと戻っていく(「ありふれた夜がやってくる」のだ)。
しかし、彼女が、元カレの心に寄り添っていることは間違いない。
少なくとも、ラッシュの人波にのまれて消えてゆく元カレの後ろ姿が「やけに哀しく 心に残る」くらいには。
この作品の素晴らしいところは「まぎれもなく」「思わず」「痛いほど」「やけに」などといった言葉で、女性の感情をさりげなく(暗に)強調しているところだろう。
既に、別々の道を歩いていることを知っている彼女は、元カレに声をかけることなく、日常の中へと戻っていく(ドラマは終わった)。
それでも、この歌に、ささやかな希望を感じるのは、歌詞が終わった後の「♪Lalala~」に込められた思いを読み取ることができるからだ。
おそらく、歌詞のない「♪Lalala~」には、口に出して言うことのできなかった、元カレに対する励ましのメッセージが隠されている。
(私も頑張っているから、あなたも頑張ってください)
そんな元カレへのメッセージこそ、この歌が持っている最も重要な主題ではなかっただろうか。
そう考えたとき、中森明菜が、悲劇のヒロインが嘆き悲しむように、この曲を歌ったことに対する山下達郎の憤慨というものも、少しは理解できるような気がする。
竹内まりやバージョンでは、自立した女性の凛とした姿が、はっきりと投影されているからだ(中森明菜バージョンは、どちらかというと中島みゆきの「♪うらみま~す~」に近い。by『生きていてもいいですか』)。
クレイジーケンバンドのカバーには、「元カノに寄り添ってもらいたい」と願う男の妄想が、たっぷりと滲み出ていた。
大人のラブソングっていうのは、こういう作品のことを言うんだろうな。
それにしても、竹内まりやバージョンの「駅」はすごい。
歌詞もメロディもすごいのに、アレンジが最高で、ボーカルも完璧。
徳永英明が、アンプラグドなカバーに行ったのも、ある意味では、当然のことだったのかもしれない。