穏やかな暮らしは、誰にも与えられた平等の幸福だった。
本作『うさぎのミミリー』は、2002年(平成14年)4月に新潮社から刊行された長篇小説である。
この年、著者は81歳だった。
「穏やかな暮らし」の謎
庄野潤三の作品には「嫌な場面」が出てこない。
人間生活には当然あるべき「嫌な場面」がないことで、「庄野潤三の小説にはリアリティがない」と評する読者も多い。
その上、庄野潤三の小説には「あらすじ」らしい「あらすじ」がない。
庭の野鳥を眺めたり、庭の花を愛でたり、夫婦で童謡を歌ったり、子どもたちが孫を連れて遊びに来たり、そんな日常生活が延々と繰り返される。
これは「小説」ではなくて「随筆」か「日記」ではないか。
そんな読後感が、庄野文学にはつきまとう。
庄野潤三の小説に描かれる「穏やかな暮らし」は、果たして特別のものなのだろうか?
妻は市場の八百清の花屋で買って来た花を玄関、ピアノのよこの棚、書斎の机の上に活けて、「お盆の花を活けられた」といってよろこぶ。(庄野潤三「うさぎのミミリー」)
本作『うさぎのミミリー』は、老夫婦の生活を淡々とスケッチした日常文学である。
主人公が「庄野潤三」という作家であるという以外に、特別の素材はない。
そこに登場するのは、首都圏郊外の住宅街に暮らす、普通の家族である。
「また、来年来てね」と妻は言う。私も妻もお盆が好きで、お盆の間は、何となく家の中が賑やかになるような気がするといっている。(庄野潤三「うさぎのミミリー」)
普通の暮らしは、季節の中をゆっくりと通りすぎていく。
夏が過ぎると秋が来て、秋が終わると冬が来る。
移り変わる季節の中で、彼らはゆっくりと年齢を重ね、子どもたちは大人へと成長していく。
静かな時間の流れと向き合いながら、著者は「平穏な暮らし」を書き留めていく。
もちろん、不愉快に思うことや、苦々しい出来事だってあったに違いない。
庄野潤三は、あえて「嫌なこと」を書かない作家だった。
なぜ、庄野さんは、人間の暮らしの「美しい部分」だけを描こうとしていたのだろうか?
可視化された幸福
文学作品といえば、人間社会の「闇」を描く手段だというイメージが強い。
それは、家族関係の闇であったり、社会構造の闇であったりする。
戦争、格差社会、性差別、生きづらい世の中、喪失感と孤独。
あの庄野潤三でさえ、初期の作品では「夫婦関係の不安」を主要なテーマとしていた。
初期の代表作「愛撫」、芥川賞受賞作「プールサイド小景」、新潮社文学賞受賞作「静物」といった名作は、いずれも夫婦関係の不安を題材に採ったものである。
見えないものを可視化する手段が、つまり、文学作品という媒体だった。
多くの読者は、だから、小説を読むときには、何か新しい発見があることを小説の中に期待している。
自分の見えていなかった「闇」を、自分自身に重ね合わせて見つめるために。
しかし、晩年の庄野さんは「闇」を書くことから身を引いた。
むしろ、彼は「闇」よりも、見えにくい「光」を可視化することに力を注いだ。
庄野文学において、人はみな幸せである。
それは、多くの人には見えていない「幸せ」である。
例えば、近所の老婦人(山田さん)からお裾分けされた手作りの稲荷寿司を食べながら、主人公(庄野潤三)は泣きながらお酒を飲む。
夕食においなりさんを頂いて、妻は山田さんにお礼の電話をかける。「庄野はおいなりさんを頂いてお酒を飲み、泣いております」と申し上げる。本当においしいおいなりさんであった。(庄野潤三「うさぎのミミリー」)
あるいは、近所のスーパーマーケット「OK」で買ってきた「とらふぐ」の刺身を食べながらお酒を飲むときにも、主人公は幸せを感じている。
家にいて、下関のとらふぐが食べられるとは、ありがたい。「おいしいな」といって、二人でよろこぶ。(庄野潤三「うさぎのミミリー」)
小さな幸せは、夫婦二人で喜び合うことによって、より大きな幸せとなる。
朝食のとき、トーストを一枚食べたあと、金時パンを食べる。おいしい。(略)食べる度に、妻と二人で、「おいしいな」「おいしいですね」といって、たたえる。(庄野潤三「うさぎのミミリー」)
ご近所さん手作りの稲荷寿司や近所のスーパーマーケットで買ってきたお刺身、近所のパン屋で買ってきた金時パン。
庄野潤三が描いているのは、特別ではない、日常の中の幸せである。
それは、おそらく、我々の中にもあるはずの「普通の幸せ」だ。
白木蓮の蕾を見に庭へ出たら、表の道路側のブルームーンにいっぱい芽が出ているのに気がついた。うれしい。(庄野潤三「うさぎのミミリー」)
庭のバラから芽が出ている。
そこに主人公は「幸せ」を見つけた。
庄野文学の主人公は、決して「小さな幸せ」を見逃したりしない。
庄野潤三という作家にとって、むしろ「小さな幸せ探し」こそが、晩年の生き方だった。
「嫌なこと」から目を背けているのではない。
幸せを探すことだけで、作者の視線は精一杯だったのだ。
だるま市の帰りは、生田駅前の「味良(みよし)」でたんめんを食べることになっている。窓ぎわの日のさし込むテーブルで、キャベツやもやしのたっぷり入ったたんめんを食べる。おいしい。(庄野潤三「うさぎのミミリー」)
平常、我々は、こうした「小さな幸せ」を見逃しがちである。
なぜなら、我々は「小さな幸せ」よりも「小さな不幸せ」に敏感になりがちだからだ。
庄野潤三は、日常の中で出会う「小さな幸せ」を可視化した作家だった。
生きにくい時代を生き延びる
庄野潤三によって可視化された「小さな幸せ」は、決して幸せなだけではない現代社会の「闇」を浮き彫りにしている。
表の道に伸びている萩の枝で花が咲き出した。家の前を通りかかった年配のご夫婦が、見上げて、「萩が咲いてるね」というのが聞えた。(庄野潤三「うさぎのミミリー」)
それは、庭の草花や日々の食事の中に「小さな幸せ」を見つめなければ生きていけないほど、生きにくい世の中だった。
本作『うさぎのミミリー』の背景となっているのは、1999年(平成11年)の夏から2000年(平成12年)の春までの日本社会である。
バブル崩壊後の「失われた10年」の中で、日本国民は「どん底の生活」を余儀なくされた。
直視するには耐えないほど、それは過酷な時代だった。
庄野潤三は、この厳しい時代を生き延びるための手段として、「小さな幸せの可視化」を提案した。
それはバブル時代の「土地成金になった」「株で儲かった」「ゴルフ場の会員権を買った」などといったゴージャスな幸せではない。
高度経済成長期からバブル時代を経て、日本人の幸福感は大きくインフレ化した。
外車を乗り回す、海外旅行へ行く、首都圏に一戸建ての家を持つ。
そんな幸福論が過ぎ去った時代のものとなったとき、庄野潤三は「小さな幸せ」に焦点を当てた。
あるいは、それは、時代が一回りしたというだけのことだったかもしれない。
大きな夢を持つことが、日本人にとって分不相応なものとなったことで、「小さな幸せ」が注目される。
そういう意味で庄野潤三は、極めて個人的な生活を書きながら、大きな日本社会の実像を描きだしていたのである。
老後を穏やかに暮らす
自宅の庭へやってくる野鳥は、「小さな幸せ」を象徴化した存在である。
私も妻も庭へ来る野鳥のなかでは、メジロをいちばんひいきにしている。四十雀とメジロが好きだ。(庄野潤三「うさぎのミミリー」)
かつて、幼かった子どもたちと遊び、幼かったフーちゃんと遊んだ「山の上の家」で、主人公夫妻は野鳥と戯れている。
野鳥には、過ぎ去った時間を運ぶ役割が託されていたかもしれない。
私たちが多摩丘陵の一つの生田の山の上に家を新築して東京練馬の石神井公園から引越して来たのは、私が四十歳の年の春四月のことであった。その私が今は八人も孫のいる、八十近いおじいちゃんになっている。(庄野潤三「うさぎのミミリー」)
様々な時代があった。
互いに不安を抱えた新婚時代や、生田で暮らし始めたばかりの新居時代、そして、子どもたちの成長を見守った家族の時代。
ひとつひとつの時代と向き合いながら、庄野潤三は小説と向き合ってきた。
老後の「穏やかな暮らし」は、庄野文学にとって「ひとつの時代」にすぎない。
いつか、庄野文学が忘れられてしまう日が来るだろうか。
庭の野鳥に一喜一憂し、手作りの稲荷寿司を泣きながら食べていた時代があったことさえ、忘れられてしまうような、あの「ゴージャスな幸福の時代」が。
たとえ時代が変わっても、人間が人間であるかぎり、幸福の本質が大きく変わることはないだろう。
満ち足りた暮らしは、誰かに与えられるものではない。
すぐ近くにある幸せを、我々は見つけることができるだろうか。
書名:うさぎのミミリー
著者:庄野潤三
発行:2002/05/01
出版社:新潮文庫

