文学鑑賞

【おすすめ】日本の夏休みに読みたい戦争文学の名作

【おすすめ】日本の夏休みに読みたい戦争文学の名作

毎年8月が近づいてくると、戦争の話題が多くなりますね。

歴史を風化させないためにも、文学作品は貴重な証人。

今回は、太平洋戦争(第二次世界大戦)に関わる文学作品を集めてみました。

敗戦日記 / 高見 順

高見順の綴った日記のうち、昭和20年に書かれたものを書籍化した戦時日記。

初出は、1958年(昭和35年)『文藝春秋』の「暗黒時代の鎌倉文士」「敗戦日記・日本〇年」だった。

朝、久米家へ行った。文庫の支払金計算。川端さん、中山夫妻も来る。不還本がひどく多い。原子爆弾の話が出た。仁丹みたいな粒で東京がすっ飛ぶという話から、新爆弾をいつか「仁丹」と呼び出した。(高見順「敗戦日記」)

広島に落ちた原子爆弾の噂で、東京都民は明らかに動揺していた(高見順は鎌倉文士)。

東京焼盡 / 内田百閒

百鬼園先生の戦時日記は悲惨の一言。

空襲で焼け出された後、生きていくための生命力たるや、、、

町内や近所だけではなくどちらを見ても大変な火の手である。昨夜気分進まず飲み残した一合の酒を一升瓶の儘持ち廻った。これ丈はいくら手がふさがっていても捨てて行くわけには行かない。(内田百閒「東京焼盡」)

空襲から非難しながら酒を飲むあたりはさすが。

終戦日記 / 大佛次郎

太平洋戦争終局から終戦直後までを綴った戦時日記。

八月十六日、晴。依然敵数機入り来たり高射砲鳴る。小川真吉が小林秀雄と前後して訪ね来たる。昨日の渋谷駅などプラットフォームの人が新聞をひらいてしんとせしものなりしと。小林も涙が出て困ったと話す。(大佛次郎「終戦日記」)

大佛次郎も、鎌倉文士の一人だった。

戦中派不戦日記 / 山田風太郎

医学生だった山田風太郎は、戦争に参加していないので「不戦日記」。

敵国アメリカに対する憎悪と激しい怒りが伝わってくる。

さらばわれわれもまたアメリカ人を幾十万人殺戮しようと、もとより当然以上である。いや、殺さねばならない。一人でも多く。(山田風太郎「戦中派不戦日記」)

かなり読み応えあり。

海野十三敗戦日記 / 海野十三

SF小説家の海野十三も、日本の勝利を信じて疑わなかった作家の一人。

この有楽町では、鉄カブトをかぶった首がころころ転っていたという。防空壕から首だけ出していたので、首だけやられたのであろうという話。しかし本当はそうではなく、立っていて、首だけ爆風にやられたのであろう。(海野十三「海野十三敗戦日記」)

空想科学小説を書いていた海野だが、日記はリアル派。

神戸・続神戸 / 西東三鬼

俳人の西東三鬼は、神戸で空襲に被災している。

ちょっと変わった経歴を持つ西東三鬼らしい戦争日記。

ホテルは、これも私の予想通り、焼夷弾の雨の下で、またたく間に灰になったが、土蔵だけが焼け残った。そしてその中には、ホテルの持主が逃げる時に閉じ込めた、十数匹の猫が、扉の内側に山になって死んでいた、ということである。(西東三鬼「神戸・続神戸」)

「広島や卵食ふ時口ひらく」は、終戦後の三鬼の作品。

焼跡のイエス / 石川 淳

敗戦直後、上野のガード下で見た浮浪児が、一瞬キリストに見えた。

限界を超えた生活の中で、人間は何を感じるのか。

その虚を突いてふっと出現した少年の、きたなさ、臭さ、此世ならぬまで黒光りして、不潔と悪臭とにみちたこの市場の中でもいっそみごとに目をうばって立ったのに、当地はえ抜きこわいもの知らずの賤民仲間も、おもわずわが身をかえりみておのれの醜陋にぎょっとしたような、悲鳴に似た戦慄の波を打った。(石川淳「焼跡のイエス」)

終戦直後の上野の描写が、とにかくリアルで怖い。

アメリカン・スクール / 小島信夫

終戦後直後の日本。

アメリカン・スクールの見学に訪れた日本人の教師たちが感じた不条理とは?

急にジープが止ると、いきなり伊佐の前に小型のピストルが向けられた。彼は、「英語を話さぬか、『お待たせして相すみませんでした』ってもう一度いって見ろ」(小島信夫「アメリカン・スクール」)

戦争に勝った者と負けた者との差は歴然である。

夏の葬列 / 山川方夫

海辺の小さな町で、戦闘機に銃撃された少年と少女。

思わず少女を突き飛ばして生き延びた少年は、大人になったある日、思い出の町を訪ねる。

「さ、早く逃げるの。いっしょに、さ、早く。だいじょうぶ?」目を吊りあげ、別人のような真青なヒロ子さんが、熱い呼吸でいった。彼は、口がきけなかった。全身が硬直して、目にはヒロ子さんの服の白さだけがあざやかに映っていた。(山川方夫「夏の葬列」)

思い出の町で、彼が見た夏の葬列とは?

遺書配達人 / 有馬頼義

昭和19年夏、病気で戦線離脱を余儀なくされた主人公は、仲間たちの遺書を預かって日本へ帰る。

彼らの遺書には、何が書かれていたのか。

昭和二十年三月十日の夜半、男は、炎の中を走っていた。自分が、どういう順序で、どの位の時間を要して、そういう状態の中にほうり出されたのか、確かな記憶がない。男は、その日の夕方、下谷の親戚をたずねて、隅田川を渡ったのだ。(有馬頼義「遺書配達人」)

東京大空襲を追い続けた推理小説作家、渾身の力作。

ビルマの竪琴 / 竹山道雄

終戦後も、戦地ビルマから還らなかった一人の若者。

彼は、敵地で死んだ仲間の霊を弔うため、故国を棄てた。

私がしていることは何かといいますと、それは、この国のいたるところに散らばっている日本人の白骨を始末することです。墓をつくり、そこにそれをおさめ葬って、なき霊に休安の場所をあたえることです。(竹山道雄「ビルマの竪琴」)

「はにゅうの宿」のメロディとともに忘れられない永遠の名作。

火垂るの墓 / 野坂昭如

終戦前後、両親を亡くした二人の兄妹が、混乱の世を必死に生きる物語。

ジブリのアニメ映画と違って、原作はめっちゃリアルで身震いしてしまうほど。

「戦災孤児」という言葉を忘れてはならないと思う。

エズミに捧ぐ / サリンジャー

意外だけれど『ライ麦畑でつかまえて』のサリンジャーは、ヨーロッパ戦線でナチス・ドイツと戦った経験を持つ。

彼の小説には、戦争のトラウマが色濃く反映されている。

「あの猫はスパイだったんだ。ぜひとも狙撃しなきゃならなかった。あれはちゃちな毛皮のコートを着込んだ巧妙きわまるドイツ人の侏儒だったんだ。だから、殺したって絶対に野蛮なことなんかなかったさ、残虐でもなかった、卑劣でもなかった、いや、それどころか──」(J.D.サリンジャー「エズミに捧ぐ─愛と汚辱のうちに」)

サリンジャーの小説には、読んでいて痛々しいものが多い。

黒い雨 / 井伏鱒二

日本の原爆文学の金字塔。

原爆病患者だという噂が広まって結婚できない女性の運命を描く。

午前十時ごろではなかったかと思う。雷鳴を轟かせる黒雲が市街の方から押し寄せて、降って来るのは万年筆ぐらいな太さの棒のような雨であった。真夏だというのに、ぞくぞくするほど寒かった。(井伏鱒二「黒い雨」)

この作品を読まずに、原子爆弾の悲劇を理解することは難しいのではないだろうか。

生きている兵隊 / 石川達三

南京大虐殺を辿ったルポルタージュ作品の名作。

戦時中に発表されるが、即日発売禁止となった。

「見ろ! スパイだ」近藤は奪い取った拳銃を撫でまわしながら言った。「まだ[なにか]持ってやせんか」他の兵は彼女の下着をも引き裂いた。すると突然彼等の眼の前に白い女のあらわな全身が晒された。(石川達三「生きている兵隊」)

「ああ、女を殺したくなった」──麻痺していく神経と狂っていく男たち。

東京の戦争 / 吉村昭

戦中戦後の回想文学。

それは、東京都下が一つの戦場であった時代のことだった。

終戦後、浮浪児と称された戦災で家や家族を失った少年などがさかんに靴みがきをして日銭をかせぎ、道を歩く人を呼びとめて靴をみがいていた。進駐してしてきた米兵が、木の台の上に大きな軍靴をのせ、みがかせている姿をよくみた。(吉村昭「東京の戦争」)

戦中戦後の東京を忘れない。

俳人が見た太平洋戦争

愛国俳句と反戦俳句。

戦時下の日本人は、俳句にどんな思いを込めていたのだろうか。

戦争を十七文字に表現するのは、むしろ容易である。その絶対悪を声高に叫べばよいのである。でもその声高は、戦中のあのヒステリックな大本営発表の声高と同じになる。(『誰かものいへー日本人は戦争をどう俳句で表現したか』大牧広)

昭和18年に刊行された『大東亜戦争俳句集』収録。

まとめ

戦争に関する文学は、戦場の様子を再現したものから銃後の日本を描いたもの、さらには、敗戦直後の光景をまとめたものまで、実に様々。

ただひとつ言えること、それは許される戦争なんてないっていうことなんですよね。

夏休みは、過去の戦争と向き合う上で、ちょうどよい機会なのではないでしょうか。

ABOUT ME
みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。