三宅香帆『(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法』読了。
本作『(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法』は、2020年(令和2年)9月に笠間書院から刊行された読書ガイドである。
この年、著者は26歳だった。
小説の読み方には3通りある
世の中には「小説の解説本」という種類の本がある。
「書評」なんかよりずっと踏み込んで、「小説」の隠されたテーマやらモチーフの意味やらを教えてくれる、いわゆる『教科書ガイド』みたいな本だ。
「小説」に対する読解を深めてくれるという意味で、こうした解説本は非常に有効な「小説ガイド」だが、僕自身は、この種の「小説ガイド」を読むことはあまりない。
小説を読むのに手一杯で「小説ガイド」まで読む時間がないということもあるし、小説くらいは自分の好きなように読ませてほしいという気持ちもある。
だから、本作『(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法』は、かえって新鮮に楽しく読むことができた。
タイトルだけ読むと、なんだか「小説読解のマニュアル本」のような感じがするけれど、実際には、作者なりの小説の読み方を丁寧に披露している、いわゆる「小説の解説本」である。
こういう本を読むと「小説って、こういう読み方があるんだ」という参考になるし、読書感想文を書くときのお役立ちにもなりそうだ。
簡単に言うと、小説の読み方には3種類ある。
ひとつは王道「物語のストーリーを楽しむ読み方」である。
「おもしろかった」「ドキドキした」「ラストの展開にびっくりした」などの感想は、ほぼストーリーについての感想であり、小説読解入門は、多くの場合ここから始まる。
何度も言うけれど、私は、小説における、いわゆる「ストーリー」なんて些末な存在だと思っている。ぶっちゃけ、小説のストーリーなんて、男女が出会って恋をして別れるだけでもいいんだよ!(三宅香帆「(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法」)
ストーリーテラーと呼ばれるタイプの作家は、読者を引き込むストーリー展開に工夫を凝らしている(ミステリー小説などに多い)。
ただし、名作文学の場合、ストーリーそのものが、何らかのメタファーになっている場合があるので、ストーリーは決して軽視されるべきものではないことには注意が必要。
2番目の読み方は、「小説の中の細部(ディテール)に注目しながら読む方法」である。
個々のキャラクター設定や、登場人物の会話はもちろん、物語の世界観に共感する読み方も、この読解方法に含まれるだろう。
文章のすべてに意味がある。そう思って、ゆっくりゆっくり文章をかみ砕いていく。そのうちに、小説の本当の姿があらわれる。その味わい方こそ、隠し味までちゃんと味わうことができる方法かもしれない。(三宅香帆「(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法」)
村上春樹でさえ、デビュー当初は、このような表面的な読み方が主流で「アメリカの翻訳小説みたいでクールでカッコイイ」みたいに表面的な感想が多かった(「ライトビールのような小説」って何だったんだ?)。
最後の読み方は、「物語に隠されているテーマを様々に推測しながら読み解いていく方法」で、一般に「深読み」と呼ばれている。
小説の場合、表面的な部分だけではなく、(物語の中に隠されている)深い部分まで読み込んでいくところに読書の快感があり、小説好きは、みなそれぞれに「自分だけの解釈」を楽しんでいる。
村上春樹の小説を読んで「意味不明」「何を言いたいのか分からない」などの感想が出てくることがあるが、村上春樹の小説は、最初から「深読み」前提となっているので、表面的な部分だけを読んでいると、なかなか理解が難しい作品ということになってしまう。
本書『あの名作小説を面白く読む方法』は、深読みに慣れていない人のために、実践で深読みテクニックを教えてくれるという、とても親切な「小説の解説本」である。
注意点としては、作者の考え方が、必ずしも唯一無二の正解ではないということで、いろいろな読み方がある中、「なるほど、そういう解釈もあるのか!」と感心するのが、本書の正しい楽しみ方ということになるだろう。
小説はメタファーを読み解く作業
本書『(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法』では、実際の文学作品を例にとって、名作小説の読み方を解説している。
例えば、タイトルだけは誰もが知っているであろう、ドストエフスキーの代表作『カラマーゾフの兄弟』。
私は『カラマーゾフの兄弟』のなかでもイワンがかなり好きで、彼に肩入れして読んでしまうのだけれど。彼の思想を聞く三男アリョーシャがおろおろして、「そんなこと言ったらどうやって世界を愛するんですか!」と叫ぶシーンなんかもけっこう好きである。(三宅香帆「(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法」)
ここでは、二つの読み方が示されている。
ひとつは「私は『カラマーゾフの兄弟』のなかでもイワンがかなり好きで、彼に肩入れして読んでしまう」とあるとおり、好きなキャラクターを中心にして読んでいく方法。
もうひとつは「三男アリョーシャがおろおろして、「そんなこと言ったらどうやって世界を愛するんですか!」と叫ぶシーンなんかもけっこう好き」のように、好きな場面を見つけながら読んでいく方法である。
いずれも、ストーリーよりも踏み出した読み方をしていて、いかにも小説好きらしいフェティッシュな読書方法だとも言える。
名作や古典と呼ばれる小説には、たいてい、今読んでも「たしかにねえ」と思える問いかけが、テーマが、台詞が、人物が、メタファーが、描かれている。それらを楽しむことと比べれば、あらすじなんて、些細なもんだ。あらすじそのものより、小説が叫ぼうとしているものや、台詞のすみずみに込められた感情を味わうほうが、絶対面白く小説を読むことができる、と私は思う。(三宅香帆「(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法」)
初心者の読書は、どうしても「ストーリー」中心になってしまう(これは仕方がない)。
ただ、「小説が叫ぼうとしているもの」や「台詞のすみずみに込められた感情」を味わうことで、ストーリー展開に新しい感動が加わることも事実。
要は、より深く、小説世界の中へ踏みこんでいこうということだ。
スコット・フィッツジェラルドの代表作『グレート・ギャツビー』では、翻訳について解説している。
個人的には、やっぱり村上春樹の翻訳は読みやすいし、とくに『グレート・ギャツビー』みたいな村上春樹の文体が似合う小説を訳したときは最高ではないか、と思ってしまう。だって「僕と父のあいだにはいつも、多くを語らずとも何につけ人並み以上にわかりあえるところがあった」とか、やっぱり分りやすい以上に伝わってくる親密さがありません? こういう言外の情報を伝えてくれる翻訳が私は好き。(三宅香帆「(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法」)
外国小説を読むときは、自分に合う翻訳を見つけることができるかということが、大きなポイントとなってくる。
『グレート・ギャツビー』のような人気作品は多くの翻訳が出ていて、選択肢がたくさん用意されているのがいい。
翻訳は時代の影響を受けやすいので、新しい訳から読んでいく方法がおすすめ。
好きな翻訳家が見つかったら、その翻訳家の作品から読んでいくという方法もある。
「やっぱり村上春樹の翻訳は読みやすいし、とくに『グレート・ギャツビー』みたいな村上春樹の文体が似合う小説を訳したときは最高ではないか」のような読み方は、翻訳家(村上春樹)にポイントを置いた読書方法と言える。
僕は、初期の頃から村上春樹の小説を読み続けているけれど、必ずしも「村上春樹の翻訳がベスト」だとは思っていない。
村上春樹の翻訳が良いものもあれば、他の翻訳家の方が良いと思う作品もある。
特に古い時代の作品は『さようなら、愛しい女』のようにスマートな訳よりも、『さらば愛しき女よ』のように、ちょっと芝居がかった古臭い翻訳の方が、小説には似合っていると感じる。
余談だけど、光文社古典新訳文庫の翻訳はどれもかなりすっきりと分かりやすく、読みやすいので、海外古典小説初心者は、まずは光文社古典新訳文庫を手に取ってみてほしい! 私も、海外古典の長い小説を読むときは、たいてい光文社の翻訳で読む。(三宅香帆「(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法」)
実際、光文社古典新訳文庫の訳は、いずれも読みやすくて、自分自身、近年になって海外古典を読み返しているのは、光文社古典新訳文庫のおかげと言っていい。
難しい翻訳では理解できていなかったものが見えてきたりして、古い作品なのに新しい発見がある。
海外小説というのは、翻訳家によって「翻訳のポイント」が異なるので、読み比べは作品理解にも大きな意味があるはずだ。
サリンジャーの代表作『キャッチャー・イン・ザ・ライ』は、村上春樹の翻訳によるタイトルで、日本では伝統的に『ライ麦畑でつかまえて』の作品名で知られている。
私の中には、何人もの自分、というか、何歳の自分もいるな~という実感がある。(略)小説を読むとき、その小説に合った年齢の自分を引っ張り出してくると、よりその小説を面白く読めるようになる、という話だ。(三宅香帆「(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法」)
少年が主人公の小説を読むときには、自分自身が少年になりきらなければならない(「私は、小説を読むという行為は、自分のなかの多重人格性を癒す作業だと思う」)。
要は、キャラクターへの感情移入が大切だということで、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の場合、主人公(ホールデン・コールフィールド)は18歳の高校生だから、自分も高校生のつもりで読むといい。
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読むとき、あなたの実年齢がどうであろうと、「思春期の自分」を引っ張り出してくることを私はおすすめする。自分のなかに存在する思春期の自分を引っ張り出して、その自分に『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読んでもらうといい。(三宅香帆「(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法」)
一方で、違う年代の目線から小説を読むことで違う世界が見えてくる、という読書方法もあるだろう。
自分の場合、思春期の頃から『ライ麦畑でつかまえて』を読み続けているけれど、大人になった目線から『ライ麦畑』を読むと、若かった頃に気付かなかったような世界が見えるときがある。
本を読むとき、人は自分自身の人生を重ね合わせてしまうものだから、加齢によって小説の読み方が変わることは珍しいことではない。
まして『キャッチャー・イン・ザ・ライ』は、作者(サリンジャー)が32歳のときに発表された作品だから、その中で「18歳の少年以外の作者自身」が投影されていたとしても不思議ではない。
目線を変えながら読むことは、深読みのポイントのひとつと言える。
まさに名作な、夏目漱石『吾輩は猫である』では、背景事情に対する知識が問われている。
わりと衝撃的な結末だと思うのだが、この場面には実は出展がある。すでに先行研究から、トマス・グレイというイギリスの詩人の「金魚鉢で溺れたお気に入りの猫の死に寄せるオード」という詩が元ネタであろう、と言われているのだ。(三宅香帆「(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法」)
多くの作家は、自分のバックボーンを作品の中に反映しているものだ。
村上春樹の小説の中に、レイモンド・チャンドラーやトルーマン・カポーティの断片が散りばめられているように、夏目漱石の小説の中にトマス・グレイがいたって全然不思議なことではない。
この手の「元ネタ探し」は、小説好きの密かな楽しみとなっている。
こんなふうに、小説の出典となるネタを知っていると、小説はより面白く読める。漱石の人生を知っていても面白いけれど、漱石が下敷きにした文学を知るとさらに面白い。(三宅香帆「(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法」)
いちばんお手軽なのは、文庫本の後ろに付いている「解説」を読んでから、作品を読むこと。
作品の背景を理解してから小説を読むと、小説の読み方というのはまったく変わってしまうものだ(ある意味では「先入観」ということにもなってしまうが)。
「深読み」の基本は、メタファーを発見することである。
例えば、カミュの代表作『ペスト』は、感染症「ペスト」についての物語だが、「ペスト」は何を象徴していたのだろうか?
カミュは「ペスト」を、なにかしらのメタファーとして語っている。(略)はたして、ペストはなんのメタファーか? という問いの答えは、読者がそれぞれ考えたらいい。(三宅香帆「(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法」)
「はたして、ペストはなんのメタファーか?」と考えることは、「どうして、カミュは、わざわざ感染症(ペスト)の物語なんか書いたのだろうか?」と考えることでもある。
つまり、作者の本当に伝えたかったことを読み解く、ということだ。
作者が伝えたかったことを読者が読み取れないかぎり、その小説は(独りよがりな)失敗だったということになる。
多くの文学作品において、「作者が本当に伝えたいこと」が「物語」という形に変換されている。
この変換の仕組みを読み解く作業が、いわゆる「深読み」という作業なのだ。
三島由紀夫の代表作『金閣寺』は、作品タイトルが、そのままメタファーとなっている。
小説を読むときは、ただストーリーを追いかけるんじゃなくて、「この重要そうなモチーフって、結局、何?」という問いを考えてみると面白くなる。タイトルがそのモチーフを反映してるなら、なおさら考えてみると面白い。それが「メタファーを考える」ってことでもあるから。(三宅香帆「(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法」)
ジェームズ・バリーの代表作『ピーター・パンとウェンディ』など、児童文学の場合、特に「メタファー」に注意する必要がある。
児童文学はとくにメタファーを使うことが多い世界だ。だって子どもに向けて語るのだ。社会がどうとか、歴史がどうとか、事実を伝えるよりも物語にしたほうが伝わるものは多いはずだ。(三宅香帆「(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法」)
メタファー作家の代表と言えば村上春樹で、本作では短編小説『眠り』が解説されている。
妄想力。が、あればあるほど、小説を読むのは楽しい。小説を書くのにも妄想力は必要だろうけど、小説を読むのにもぜったい、妄想力は、必要だ。と私は思う。(略)自分にとっていちばん面白い読解を最大限可能にするのは、やっぱり、その小説の細部から解釈を妄想することだと私は思う。(三宅香帆「(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法」)
著者(三宅香帆)は、本作『眠り』を「フェミニズム的な考え方が反映された小説」として読んでいる。
村上春樹の小説に「正解はない」から、読者は「自由に」小説を解釈することができる。
正解がなくて、自由に小説を解釈することができるから、村上春樹の小説は難しい、と言うこともできるだろう。
「自由な解釈をどれだけできるか?」ということが、小説の読解では大きなポイントになってくる。
短篇『眠り(ねむり)』は特に難解な作品で、そこが「おもしろい」というポイントにもなっている。
さらに、村上春樹の小説は、ストーリーを最後まで書かない場合も多い(短篇小説の場合は特に)。
だから、小説を全部読み終わった後も「その後、どうなったの?」的な疑問が生まれて、読者はますます混乱してしまうという構図が、そこにはある。
小説を読む際に大切なことは「その小説の細部から解釈を妄想すること」だ。
小説の「読解」とか「解釈」などというものは、極論すれば、すべて「読者の妄想」である。
「妄想」にもっともらしい理屈が成立すれば、その「妄想」も、普遍的な解釈(通説)として定着するかもしれない。
だからと言って、正解がない以上、「通説」に縛られる必要はないし、むしろ、名作小説の醍醐味は「通説以外の解釈」を発見することにあるとさえ言える。
本書『(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法」』は、妄想力を発揮して自由な解釈をすることの楽しさを、作者自身の実践によって伝えてくれる「小説ガイド」だ。
読書感想文を書く前に読むと、効果があるかもしれない。
書名:(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法
著者:三宅香帆
発行:2023/12/25
出版社:角川文庫

