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庄野潤三「絵合せ」講談社文芸文庫│昭和レトロな<セカイ系>家族小説の楽しみ方

庄野潤三「絵合せ」講談社文芸文庫│昭和レトロな家族小説の楽しみ方

庄野潤三『絵合せ』読了。

本作『絵合せ』は、1977年(昭和52年)1月に講談社から刊行された、文庫オリジナルの短篇小説集である。

この年、著者は56歳だった。

庄野潤三には、1971年(昭和46年)5月に講談社から刊行された『絵合せ』という作品集があるが、単行本『絵合せ』と文庫版『絵合せ』では収録作品が異なっている。

当時、庄野さんは、両親と三人姉弟(長女・長男・次男)から成る五人家族物語をいくつも発表していたが、それらの作品は、発表年代に合わせて、いくつかの作品集に、それぞれ収録されていた。

文庫版『絵合せ』は、五人家族の物語のみによって構成された精選作品集である。

文庫版『絵合せ』の収録作品と初出は、次のとおり。

「星空と三人の兄弟」
1968年(昭和43年)2月『群像』初出
1970年(昭和45年)10月『小えびの群れ』収録

「卵」
1967年(昭和42年)3月『朝日新聞』初出
1975年(昭和50年)4月『丘の明り』収録

「丘の明り」
1967年(昭和42年)10月『展望』初出
1975年(昭和50年)4月『丘の明り』収録

「尺取虫」
1968年(昭和43年)4月『季刊芸術・冬季号』初出
1970年(昭和45年)10月『小えびの群れ』収録

「戸外の祈り」
1969年(昭和44年)5月号『婦人之友』初出
1970年(昭和45年)10月『小えびの群れ』収録

「野菜の包み」
1970年(昭和45年)4月『群像』初出
1970年(昭和45年)10月『小えびの群れ』収録

「さまよい歩く二人」
1970年(昭和45年)3月『文芸』初出
1970年(昭和45年)10月『小えびの群れ』収録

「小えびの群れ」
1970年(昭和45年)1月『新潮』初出
1970年(昭和45年)10月『小えびの群れ』収録

「カーソルと獅子座の流星群」
1971年(昭和46年)3月『文学界』初出
1971年(昭和46年)5月『絵合せ』収録

「絵合せ」
1970年(昭和45年)11月『群像』初出
1971年(昭和46年)5月『絵合せ』収録
1971年(昭和46年)第二十四回野間文芸賞受賞

昭和のセカイ系家族小説

文庫版『絵合せ』は、バラード選集のような作品集だ。

オリジナル・アルバムは『丘の明り』『小えびの群れ』『絵合せ』の3冊。

穏やかで心地良い五人家族の物語だけを抽出して1冊にまとめられた、誰がなんと言おうと文句なしに素晴らしい作品集である。

文庫版『絵合せ』が講談社文庫に入ったのは1977年(昭和52年)だが、1989年(平成元年)には講談社文芸文庫にも入った。

現在も新刊書店で入手できるというところに、この作品集の人気を推察することができる。

文庫版『絵合せ』には、1960年代後半から1970年代前半にかけて発表された作品が収録されている。

昭和という元号で言うと、すべて昭和40年代に発表された作品である(一番古い「卵」が昭和42年で、一番新しい「カーソルと獅子座の流星群」で昭和46年)。

どの作品にも「和子・明夫・良二」という三人姉弟が登場する。

すべての作品で、山の上の一軒家に暮らす仲良し家族の温かい日常生活が描かれている。

そこにあるのは、昭和40年代の平均的な庶民が営んでいただろう、慎ましくて穏やかな暮らしだ。

学研の学習雑誌(『科学』)の付録を楽しみ、講談社の『少年少女世界文学全集』を購読し、近所の林に入っては野鳥を捕るためのワナを仕掛け、川のドジョウを捕まえて楽しむ子どもたちの姿は、おそらく、昭和中期を生きた子どもたちの共通体験ではなかっただろうか。

当時を覚えている人には懐かしく、当時を知らない人にも懐かしく感じられるだろう、昭和レトロな市民生活。

文庫版『絵合せ』を包み込んでいるのは、温かくて穏やかだった昭和の暮らしである。

一方で、激しい学生運動に代表される1970年前後の日本を覆っていた社会的な緊迫感は、そこには欠片もない。

村上春樹が「一九六九年、我らが年」と呼んだその時代(『1973年のピンボール』)、山の上の五人家族は、まるで社会から切り離されたみたいに、静かで穏やかな生活を送っていた。

昔話でも読むような庄野文学ワールドは、後に「セカイ系」と呼ばれる局部的日常生活の物語が持つ世界観に近い。

昭和中期という激動の時代に生きていながら、彼らは「山の上の家」という一軒家の物語で完結していたのだ。

実際、いくつかの作品では、グリム童話という昔話を、現代生活とコミットさせることによって、日常生活に非日常的な詩的空間を生み出す作風が展開されている。

文庫版『絵合せ』の味わいは、ささやかな日常生活の中に生み出された「詩的空間のふくらみ」という非日常感にある。

東大の安田講堂で機動隊と学生の攻防が激化していたときも、日本航空機が共産党赤軍派よど号によってハイジャックされていたときも、五人家族の日常はグリム童話の世界へと繋がっていた。

ある意味で、庄野潤三ほどコンサバティブな作家はいないし、逆接的に言うと、庄野潤三ほどラディカルな作家はいなかった、ということでもある。

僕たちは、ただ、半世紀前の短篇小説を、昔話でも読むみたいに楽しめばいい。

激動の時代の中に、このような日常生活があったこともまた、日本の真実なのだ。

星空と三人の兄弟 | グリム童話との親和性

1968年(昭和43年)2月『群像』初出の「星空と三人の兄弟」は、グリム童話「こわがることをおぼえようと旅に出た男の話」と、こわがりの兄弟(明夫・良二)のエピソードを結びつけた短篇小説である。

兄は高校一年生、弟は小学六年生。良二と仲良しの松沢君も登場している。

流れ星を見つけた良二の感動と、ぞっとすることを知った王様とが紐付けられている。

「小さいのまで見えた。明夫に、きれいよ、出ていらっしゃい、といったら、ぶつぶついいながら出て来た。出て来るなり、わあ、きれいだ、といった。みんなで、びっくりした。お母さんが台所から、何してるの、寒いよ、いつまでそんなところに出てるの、といったから、星がきれいだから、出てお出でよ、とみんなでいったの」(庄野潤三「星空と三人の兄弟」)

グリム童話「こわがることをおぼえようと旅に出た男の話」の出典は、講談社『少年少女世界文学全集19(ドイツ篇2)』収録の「グリム童話集」と思われる。

卵 | 温かい食卓風景

1967年(昭和42年)3月『朝日新聞』初出の「卵」は、昭和の食卓を舞台にした物語。

明夫は中学三年生、良二は小学五年生だが、明夫が中学一年生のときに、膝の骨を折ったエピソードが含まれている。

良二の「明ちゃん、やめて」という寝言がいい。

「冬の旅」の「おやすみ」は、シューベルトの歌曲の日本語版(♪見知らぬ人と去る我が身~)で、和子が高校生のとき、音楽の教科書に載っていたもの。

この作品でも松沢君が登場している。

丘の明り | 謎に惹かれる心

1967年(昭和42年)10月『展望』初出の「丘の明り」は、林の中に見つけた謎の明かりの正体を、家族で確かめに行く物語。

和子は短大二年生、兄は高校一年生、弟は小学六年生。

笹藪にある不思議な光の正体を確認するために、家族揃って(父親を除く)出かけるという設定が、そもそも非日常感を漂わせている。

春秋苑(柳田國男や三船敏郎の墓がある公園墓地)の「ロウバ池」は、果たしてどうなったのだろうか。

「<かっきん>となる」は、庄野家用語。

不吉なことを見たり聞いたりしたとき、縁起直しに使う言葉「つるかめ、つるかめ」は、昭和の風習を感じさせる。

「ねずみドロップ」や「ねずみ捕り」も、昭和時代の家庭には必需品だった。

関東地方に伝わるわらべ唄「向こうお山で」が、丘の明りにコミットしている(♪向こうお山でひかるものは~)。

いったい、何だろう。向うお山で、なにが光っているのだろう。どうしてそういうものに自分の気持が引き寄せられるのだろう。(庄野潤三「丘の明り」)

アメリカ民話の「口まがり一家」は、「こわがり一家」の五人家族と対になっている。

「口まがり一家」の出典は、講談社『少年少女世界文学全集11(アメリカ篇1)』収録の「アメリカ民話」(山室静・訳)と思われる。

『夕べの雲』から変わりつつあった「山の上」の様子にも注目したい。

尺取虫 | 自然豊かな生田地区

1968年(昭和43年)4月『季刊芸術・冬季号』初出の「尺取虫」では、良二の同級生「宇田君」(栗谷地区在住)をゲストに、生田の自然豊かな環境が、生き生きと描かれている。

山の上から生田駅へ出る道は「新道」と呼ばれていた。

明夫は高校一年生、良二は小学六年生。

ホタル狩り、青大将、カワニナ、タニシ、マムシ、栗拾い、ムラサキシキブ、柿の実、田圃(たんぼ)、ドジョウ捕り、ぶどう虫、スガラバチ。

生田の自然はすごい。

「しかし、きれいな花だなあ」と彼は言った。「こんなのが、うらの崖に生えているのか」「本当にいい花ですね」と細君が言った。(庄野潤三「尺取虫」)

夫婦の会話は、まるで日本昔話に出てくるお爺さんとお婆さんの会話みたいにゆったりしている。

「けっぱる」は「蹴とばす」を、「篠んぼう」は「篠竹」を意味する土地の言葉。

昭和時代の生田地区をスケッチした、民俗学的にも価値の高い作品である。

戸外の祈り | はかなさのおかしみ

1969年(昭和44年)5月号『婦人之友』初出の「戸外の祈り」は、何気ない兄弟の会話に、人生のはかなさを見つけた作品。

明夫は高校二年生、良二は中学一年生。

とうとう庄野家から小学生がいなくなってしまったが、「明ちゃん、お願い。お願い」と叫ぶ良二は、相変わらずかわいい。

何だろう、あんなに夢中になって。何を兄にしてほしいというんだろう。その声が、どうしておかしく聞えるんだろう。笑わずにおられない。しかし、おかしいことはおかしいが、ただおかしいというのではない。こちらも同情せずにはおられない。(庄野潤三「戸外の祈り」)

節分の夜、暈のかかった大きな満月を見つけた良二の感動に共感したい。

テレビ番組「孤島の海鳥」が気になる。

水炊きのスープをご飯にかけて食べる「ざんねん」は、庄野家用語(由来は長篇『野鴨』に詳しい)。

野菜の包み │ ネズミのいる世界

1970年(昭和45年)4月『群像』初出の「野菜の包み」は、台所にネズミが出たときの話。

冒頭の野菜の描写は、後の名エッセイ「野菜賛歌」へと繋がるものだろう(『野菜賛歌』所収)。

台所のネズミから「ハメルンの笛吹き」へと流れていく展開がいい(日常の中の詩的空間)。

「十七世紀のオランダの画家の展覧会」とあるのは、1968(昭和43)年10月から12月にかけて国立西洋美術館で開催された『レンブラントとオランダ絵画巨匠展』のことで、「ねずみ捕りの男」は、レンブラントの作品『ねずみ捕り屋』のこと。

父親から外国土産にもらった「ドイツの漫画の本」は、残念ながら特定不可能で、現物が残っているならぜひ見てみたい。

良二が歌う「三びきのねずみ」は、マザーグースの「Three blind mice」(♪ねーずーみ三びーき、はーやいな、はーやいな~)。

一匹の鼠を舞台回しにして、日常生活を詩情豊かな物語へと昇華している。

ちなみに、本号の『群像』では、「政治と文学」が特集テーマとなっており、純文学の世界でさえも政治運動と無関係ではいられなかった時代を感じさせる。

さまよい歩く二人 | 甦るグリム童話の世界

1970年(昭和45年)3月『文芸』初出の「さまよい歩く二人」は、和子と良二の二人が、上野(美術館と動物園)へ行ったときの話。

「十七世紀のオランダの画家の展覧会」とあるのは、1968(昭和43)年10月から12月にかけて国立西洋美術館で開催された『レンブラントとオランダ絵画巨匠展』のことで(「野菜の包み」にも登場)、「お婆さんが椅子に腰かけているところを描いた絵」はレンブラン『老婦人の肖像』のことと思われる。

同じくレンブラントの『ねずみ捕り屋』が登場するなど、この作品は「野菜の包み」との繋がりが強い(ほぼ同じ時期の発表だった)。

和子は社会人一年目で(短大を卒業したばかり)、良二は中学一年生だった。

グリム童話「水牛の革の長靴」「金の毛が三本はえている鬼」は、講談社『少年少女世界文学全集19(ドイツ篇2)』からの引用。

その顔は、展覧会場で彼と細君、中学一年の良二と姉の和子が揃って心をひかれた肖像画――あの椅子に腰かけたお婆さんに似ているだろうか。いやいや、そうではないだろう。あれは、もっと年を取った、疲れたように見えるお婆さんであった。(庄野潤三「さまよい歩く二人」)

お婆さんに対する優しい眼差しが、この物語を支えている。

ちなみに「さまよい歩く二人」という作品名も、グリム童話の作品名からの引用だった。

小えびの群れ | 激動の時代の日常生活

1970年(昭和45年)1月『新潮』初出の「小えびの群れ」は、学研『科学』の付録を素材とした物語である。

「小えび」とは「ブラインシュリンプ」のことで、良二は中学二年生になっている。

良二が笛の練習をしている「おしばな」は、小林純一作詞・市川都志春作曲の合唱曲「押し花」のこと(♪遠足の日の記念に、はさんでおいた押し花、今もなつかし、野道のばら~)。

昭和40年代の学校の様子が伝わってくるところも、本書全体の特徴。

小品ではあるが、名作「静物」や「絵合せ」と同様の構成が見られる。

「それなら」和子が云った。「みんな一緒に卵になって眠ればいい」(庄野潤三「小えびの群れ」)

みんなで乾燥卵になって眠ってしまおうという家族の会話は、強い絆の証。

1969年(昭和44年)10月21日の国際反戦デーには、新宿を中心に機動隊と学生との大きな衝突があったばかりで、この時代に「小えびの群れ」が発表されたということは、どのような意味を持っていたのだろうか。

カーソルと獅子座の流星群 | 宇宙空間と文房具との対比

1971年(昭和46年)3月『文学界』初出の「カーソルと獅子座の流星群」は、獅子座流星群とカーソル(計算尺)を掛け合わせた話で、手作りの計算尺が時代を感じさせる。

主人公の良二は中学三年生で(12月なので卒業も近い)、明夫は予備校生(浪人生)になっていた。

父親が海軍で使っていた古い計算尺を、長女(和子)も明夫も高校の授業で使った。

この時代、物を大切にする心が、日本人にもまだ残っていたのだ。

「ディズニィのキャラメルのおまけについている、動かしたら絵が変るバッジ」は、森永の「ディズニーキャラメル(動くバッジ入)」のこと。

ディズニーキャラメルは、1962年(昭和37年)、ウォルト・ディズニー・プロダクションが、日本で初めてキャラクター使用許諾契約を締結したシリーズの商品で、特に「まんがバッジ」や「まんがワッペン」などのおまけが付いた「ディズニーキャラメル」は、子どもたちに大人気だった。

壮大な獅子座流星群と小さなカーソルとの対比がポイントになっている。

絵合せ | 父親の不安と悲しみ

1970年(昭和45年)11月『群像』初出の「絵合せ」は、長女の結婚を控えた家族の物語。

至るところで象徴的に、娘を嫁に出す父親の不安や悲しみが描かれているが、とにかく、簡単でかつ少ない言葉だけで物語を組み立ててあるところが圧巻。

主役の和子は、短大を卒業して就職した会社(三井商船)を二年少し勤めて退職したところだった。

五人家族が四人家族へと変わる、その直前の姿が描かれている。

弟・良二は中学三年生。

実際に長女が結婚する話は、岩波少年文庫にも入った長篇『明夫と良二』に登場。

作品名の「絵合せ」とは、三枚1セットの図札を揃えて遊ぶカードゲームのことで、昭和中期には流行したものらしい。

「犬のおもちゃの図案の、オレンジ色の」七円切手は、1970年(昭和45年)のお年玉年賀切手で、「ニワトリの図案」の七円切手は、1969年(昭和44年)のお年玉年賀切手。

「ぬいぐるみ」の虎と兎は、名作短篇「静物」に登場していたものである(家族小説の系譜)。

「ジェルソミーナ」は、イタリア映画『道』に出てくるヒロインの名前で、「ザンパノ」は、その夫の名前。

「黍坂」とあるのは、生田の「餅井坂」のこと(地元では「餅坂」とも言う)。

新しいレコードを買ったので、夕食の支度をしている時から、細君と和子は、「今日は片附けを早く済まして、レコードをきこうね」といっていた。(庄野潤三「絵合せ」)

夜のレコード・コンサートは、家族五人の長年の楽しみだった。

とにかく深い小説なので、何度も何度も繰り返し読みたい。

第24回「野間文芸賞」受賞。

全作品を通して、庄野潤三の代表作に数えられる名品である。

まとめ

庄野潤三の精選小説集は、文庫版『絵合せ』しかない(精選随筆集としては『子供の盗賊』がある)。

一般の著作で、類似のモチーフのみで構成しながら、これだけ高いレベルを維持する作品集を出すことは、決して簡単なことではないだろう(それが作品集のおもしろいところでもあるのだが)。

多くの庄野文学ファンは、夫婦の晩年の楽しみを綴った「夫婦の晩年シリーズ」から入るが、その次のステップとしておすすめしたいのが、本作文庫版『絵合せ』である。

この作品集がお気に召したなら、オリジナル単行本の『丘の明り』『小えびの群れ』『絵合せ』へと進んでいけばいい。

文庫版『絵合せ』は、やはり「夫婦の晩年シリーズ」の原点であって、代表作『夕べの雲』と晩年の作品群をつなぐコーディネーターでもある。

その後は『明夫と良二』『野鴨』など一連の長篇家族小説が待っている。

庄野文学は、それだけでひとつの山脈である。

その中心を貫いているのが、『夕べの雲』に始まる五人家族の物語であって、文庫版『絵合せ』は、その直系に連なる作品集である。

高度経済成長と学生運動に象徴される激動の時代に生まれた作品群は、今も色褪せることなく、文庫本の中で輝いている。

何度も読みたくなるし、何度でも読むべき作品集である。

超絶おすすめ。

書名:絵合せ
著者:庄野潤三
発行:1989/06/10
出版社:講談社文芸文庫

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。