岩波文庫「中谷宇吉郎随筆集」読了。
本書は、物理学者・中谷宇吉郎の精選随筆集である。
幅広い随筆を書いた中谷宇吉郎の特徴が分かるように、専門の物理学に限ることなく、多様な分野の作品が収録されているが、特に戦中戦後の日本の情景をスケッチ的に描いた作品を興味深く読んだ。
例えば、「I駅の一夜」は、北海道から東京へ向かう途中の「I駅」というところで途中下車して一泊を過ごしたときの回想記である。
それは、昭和20年3月10日の東京大空襲の余波を受けて、盛岡の街も大きな被害を受けた日のことで、青森で連絡船から列車に乗り換えたものの、盛岡から先の混雑に耐えることができなくなって、宇吉郎先生は「I駅」というところで途中下車してしまう。
一夜の宿を探すが、既に夜中のこととて、どこの宿屋も満員で断られ、駅前の交番の巡査に相談しても、まるで相手にしてくれない。
夜は更けてゆくし、雪は降ってくるしで、宇吉郎先生はいよいよ窮するが、暗闇の街を歩いているうちに、ようやく宿屋らしきものを発見する。
そこは果たして宿屋ではあったが、やはり満員で布団がないとの返事だったが、雪の中で夜を明かすわけにもいかず、宇吉郎先生も必死で「布団も必要ないから」と懇願していると、暗闇の中から若女将らしき声が聞こえてきて、どうにか一夜の宿を確保することに成功する。
驚いたことに、泊めてもらった部屋は客室ではなく若女将の部屋で、本棚には岩波文庫がびっしりと揃えられている。
さらに驚いたことに、この若女将は中谷宇吉郎の熱心な読者で、「こんな時に、こんな所に先生が御出でになろうとは夢にも思いませんでした」ということであった。
宇吉郎先生は、若女将の勉強熱心な姿勢に胸を打たれながら、「日本の国力というものが、こういう人の知らない土地で、人に知られない姿で、幽かに培養されているのではないか」と考える。
この話は、戦後の昭和21年2月になって発表されたものだが、随筆の末尾で、宇吉郎先生はこんなことを綴っている。
この話は戦争が第三年に入って、我が国が最後の苦しい段階に乗りかかった頃の話である。今終戦後国民の多数が浅間しい争いと救われない虚脱状態とに陥っている際に、なるべく多くの人に知ってもらうことも、また別の意味で意義があるような気がする。日本の力は軍閥や官僚が培ったものではない。だから私は今のような国の姿を眼の前に見せられても、望みは棄てない。(中谷宇吉郎「I駅の一夜」)
貝鍋は冬の北海道情緒に溢れている
名作の多き本随筆集だが、僕が一番好んでいるのは「貝鍋の歌」という作品である。
これは、北海道で暮らすようになった宇吉郎先生が、冬の夜に貝鍋をして過ごしたという回想記で、「まだ子供たちが幼かった頃、うまくだまして、早く寝つかせた夜は、奥の六畳の長火鉢で、よく貝鍋をつついた」というところから始まっている。
住みついてみると、北海道の冬は夏よりもずっと風情があり、風がなくて雪の降る夜は、森閑として、物音もない。
こんな夜は、長火鉢に貝鍋をかけ、銅壺に酒をあたためて、静かで長い夕食をとる。
貝鍋の魚には、いろいろ試してみたが、けっきょく一番安くて、いちばん味のない、ホッケに落ち着いた。
貝鍋に昆布を一枚しき、ホッケの切り身と豆腐を入れ、芹か三つ葉の青味を少し加えて、湯でくつくつと煮る。
味付けは、薄口の醤油を数的たらすだけ。
この真冬の貝鍋はいかにも情緒があって美味しそうなもので、自分でも挑戦してみたいと思っているが、あいにく長火鉢がない。
貝鍋用の貝をどこから買って良いかも分からない。
宇吉郎先生はホタテの貝殻を使っていたらしいが、魚や豆腐や野菜を入れて煮込むくらいに大きな貝殻が手に入るのだろうか。
もっとも、宇吉郎先生も「東京へ戻った後は貝鍋とも縁が切れた」と書いている。
東京でも貝鍋を稀にするが、どうにも中身が上等すぎるということらしい。
冬の北海道情緒を味わう上で、いつかは挑戦してみたい貝鍋である。
書名:中谷宇吉郎随筆集
編者:樋口敬二
発行:1988/9/16
出版社:岩波文庫