光文社古典新訳文庫に『文学こそ最高の教養である』という素晴らしい名著がある。
特に時代を超えて読み継がれる古典文学は、間違いなく最高の教養だと言っていい。
そして、粋な大人を目指す人にもう一つ付け加えたいものがある。
それが「大人のための随筆」だ。
大人のための随筆(エッセイ)とは何か?
世の中には誤解があるが、「随筆(エッセイ)」とは気軽な読み物のことではない。
それは、小説とは異なるジャンルの文芸作品のことなのだ。
小説と随筆との違い
「小説」に比べて「随筆」は軽く扱われている。
井伏鱒二や庄野潤三など、随筆作品に誇りを持つ作家は、そうした風潮に不満を抱いていた。
小説か随筆か区別の難しいような作品を書いたときには、「小説の方が原稿料が高いから」という理由で「小説」だと言い張ったという(冗談だろうが)。
小説に比べ、なぜ、随筆は軽く扱われるのだろうか?
なぜ「随筆」は軽く扱われるのか?
もともと「随筆(エッセイ)」はイギリスで発展した文学ジャンルの一つで、それは「小説」と優劣を付けられるものではなかった。
むしろ、「小説」では表現することのできないものを、「随筆」は人々に伝えていたのだ。
多くの作家や英文学者たちが、イギリス・エッセイを源流に持つ文芸エッセイに取り組んでいる。
ところが、随筆がブームになると、質の悪い作品が巷に溢れ始めた。
大人の娯楽として「エッセイ」は受け容れられたのである。
「随筆」と「エッセイ」の違い
チャールズ・ラム『エリア随筆』の翻訳者として知られる英文学者・平田禿木は、質の悪い随筆と文芸エッセイが混同される状況に不満を訴えている。
今こちらでいう「随筆」なるものは、エッセイ材料であって、エッセイそのものではないように思われる。(平田禿木「エッセイと随筆」/『平田禿木選集/第二巻 英文学エッセイ』)
事実を並べたところから深掘りをして、人生とは何かを探る。
それこそが、本来の「随筆(エッセイ)」である。
「一篇を読み終ってもまだ何か読み了えた気のしないのが、真のエッセイの味でなければならない」と、平田禿木は続けている。
文芸エッセイはどこへ行ったのか?
イギリス文学を極めた研究者にとって、エッセイは非常に重要な文芸だったが、昭和の終わりとともに、いわゆる「文芸エッセイ」は消えてしまったらしい。
高度な情報化社会の中、正解のない「文芸エッセイ」は、読者の期待に応えられないものとなってしまったのだ。
読者が求めているのは「問いかけ」ではなく、「分かりやすい正解」である。
「随筆」が一つの情報伝達手段になってしまっては、もはや文芸エッセイが生き残る道はなかっただろう。
大人のための随筆「文芸エッセイ」を読むという時代遅れ
今回、ここで御案内するのは、教養ある大人の滋養としておすすめできる「大人のための随筆」ばかりだ。
文章としては短いけれども、生きていく上で必要な思考が、そこにはある。
昭和から平成、令和と時代は移り変わり、日本人の平均寿命が伸びるとともに、日本国民の精神年齢は低くなっていると言われる。
昭和時代の随筆を読むと、当時の大人たちが、いかに「大人」だったかということが分かるはずだ。
「時代遅れ」と呼ばれてもいいから、僕は昔の人たちが書いた古い随筆を読みたい。
そこには、きっと生きていく上で必要な何かがあるはずだから。
大人の随筆はどこで買うか?
小説の名作と違って、随筆はどんなに名著であっても、時代の移り変わりとともに手に入りにくくなってしまう。
図書館で借りるか、古書店で買うか、その選択に悩ましいが、折に触れて読み返すことの多い随筆集は、できれば手元に置いておきたいものだ。
三月書房の小型本は福原麟太郎のリクエストから生まれた
昭和時代の随筆集を集めていると「三月書房」の本が多いことに気付く。
外函付き小型の随筆集は、福原麟太郞のリクエストから生まれたものらしい(出典は福原麟太郞『変奏曲』)。
三月書房の小型本には良質の随筆集が多いので、古本屋で小型の本を見つけたときは、必ずチェックしたい。
講談社文芸文庫「日本のエッセイ」シリーズ
近年のものでは、講談社文芸文庫が「日本のエッセイ」というシリーズで、昭和時代の名作随筆を文庫化してくれているのもいい。
ただし、出版部数が少なく、あっという間に品切れになってしまうので、モノによっては底本(単行本)より高価だったりするから注意が必要。
随筆のプロだった作家たち
小説家には、ドラマチックなフィクションを得意とする作家(モーム型)と、繊細なアンテナをもって日常の出来事を描くことを得意とする作家(チェーホフ型)と、二種類のタイプがある。
優れた随筆を数多く残したのは、やはりチェーホフ型の作家である。
「これは小説なのか、随筆なのか?」と問われることの多い作家は、小説と呼んでもおかしくない随筆を書いた。
万人が認める随筆のプロたちである。
井伏鱒二│小説と随筆の境界線が溶け合う「井伏マジック」
「文芸エッセイの達人」と言えば井伏鱒二に尽きる。
そもそも井伏鱒二の文学世界は、小説と随筆の広大な境界線の中で成立していた。
小説の中に事実を織り込み、随筆の中にフィクションを混ぜ込む。
それが「井伏マジック」だ。
▶ 野崎歓・編『井伏鱒二ベスト・エッセイ』小説と随筆の境界線で生まれた庶民の文学
▶ 井伏鱒二「昨日の会」詩集のように美しく愉快で爽やかな随筆集
庄野潤三│イギリス・エッセイから始まった庄野文学の世界
イギリスのエッセイスト、チャールズ・ラムの『エリア随筆』をルーツとする庄野潤三は、もちろん「随筆」に命を賭ける作家だった。
英文学者でエッセイストの福原麟太郞とも「随筆の素晴らしさ」について熱く語り合っている。
「短ければ短いほどいい」というのが、庄野さん流エッセイの神髄だった。
▶ 庄野潤三の随筆世界|庄野潤三の随筆集(全11冊)を完全解説
小沼丹│ショート動画みたいに濃密な文芸エッセイ
生前に刊行された随筆集は、わずか2冊だったが、小沼丹もやはり「随筆」を得意とする作家だった。
小沼丹の死後、庄野潤三の編集により3作目の随筆集『福寿草』が出版されたほか、生誕百年記念に際しても『井伏さんの将棋』と『ミス・ダニエルズの追想』の2作が刊行されている。
▶ 小沼丹「小さな手袋/珈琲挽き」精選随筆集の名作が20年ぶりに新装復刊
▶ 小沼丹『井伏さんの将棋』生誕百年記念で製作された単行本未収録の随筆集
永井龍男│「短編小説の名手」は「随筆の名手」でもあった
芥川賞の選考委員を長く勤め、「短編小説の名手」と謳われた永井龍男は、「随筆の名手」でもあった。
随筆の巧い作家は、書くべきものと省くべきものを、しっかりと理解していたような気がする。
余白を残しつつ、伝えたいことをしっかり盛るのが、永井龍男流の随筆学だった。
▶ 永井龍男『東京の横丁』「私の履歴書」を含む老いと追憶の随筆集
▶ 永井龍男『夕ごころ』昭和の文壇と己の半生を回想する晩年の随筆集
▶ 永井龍男「縁さきの風」最後の鎌倉文士が綴った極上の雑文集
その他の作家たち│昭和作家の随筆を読む
▶ 三浦哲郎『おふくろの妙薬』酔っぱらうと小刻みに手が震えた庄野潤三
▶ 安藤鶴夫『雪まろげ』東京の匂いがプンプン漂う昭和の名作随筆集
▶ 上林暁『故郷の本箱』まるで私小説みたいな随筆アンソロジー
▶ 梅崎春生『悪酒の時代・猫のことなど』文士が最も人間らしく生きていた時代の随筆集
▶ 野上弥生子『一隅の記』病院の個室という書斎の一隅から生まれたエッセイ集
▶ 大岡昇平『スコットランドの鷗』文学仲間たちと過ごした青春の日々の回想
大学教授たちの随筆
丸善のPR誌『学燈』には、創刊時から多くの文化人たちが随筆を発表していた(なにしろ、初代編集長は内田魯庵だった)。
特に、大学で教壇に立つ研究者たちの随筆は、大人の持つべき品格を文章によって教えてくれている。
福原麟太郞│日本エッセイ界のラスボスを超える者はいない
ホーソーン『緋文字』の翻訳者であり、チャールズ・ラムやジョンソンの研究者としても知られる英文学者・福原麟太郞は、現代日本を代表するエッセイストである。
福原麟太郞を超えるエッセイストが生まれなかったのは、やはり時代の流れと言うべきなのか。
▶ 福原麟太郎『昔の町にて』大人になったら必ず読みたい「人生」の味わい
▶ 福原麟太郎『命なりけり』庄野潤三も絶賛!味わい深い人生を感じさせる随筆集
▶ 福原麟太郎『野方閑居の記』英文学者の随筆に学ぶ<愚直に生きる>ということ
▶ 福原雛惠『福原麟太郎追悼録』なぜ庄野潤三は福原麟太郎をリスペクトしたのか
村上菊一郎│阿佐ヶ谷会のメンバーだった早大の仏文学者
早稲田大学のフランス文学者・村上菊一郎は2冊の随筆集を遺している。
大学では小沼丹や横田瑞穂と同僚で、故郷は井伏鱒二や福原麟太郞と同じ広島県福山市だった。
井伏鱒二が主催する阿佐ヶ谷会のメンバーであり、阿佐ヶ谷会について触れたエッセイも多い。
▶ 村上菊一郎『マロニエの葉』パリ滞在記と文学仲間たちとの温かい交遊記
▶ 村上菊一郎『ランボーの故郷』阿佐ヶ谷会の仲間たちに寄せる友情
横田瑞穂│小沼丹の作品では「ヨコチンスキイ」として登場
早稲田のロシア文学者で、ゴーゴリやショーロフなどの作品の翻訳者として知られる。
大学では小沼丹と同僚で、小沼丹の作品では「ヨコチンスキイ」として登場。
庄野潤三とも飲み仲間だった。
▶ 横田瑞穂『山桃』小沼丹や庄野潤三も登場する早稲田大学ロシア文学者の随筆集
その他の研究者たち│日本の「知」が綴ったエッセイという贅沢
▶ 奥野信太郎『町恋いの記』町と酒と女を愛した中国文学者の随筆集
▶ 山内義雄『遠くにありて』「チボー家の人々」翻訳者の随筆集
▶ 中谷宇吉郎『中谷宇吉郎随筆集』戦後の混乱にも希望を棄てなかった物理学者
▶ 大島一彦『小沼丹の藝 その他』くろがねで始まった小沼丹と庄野潤三の歌合戦
文化人の随筆という「粋」な世界
随筆ブームは、多くの文化人による作品を生み出した。
ジャンルを超えた人々が「随筆」という世界に集まる。
それが、随筆文学の本当の楽しさだったのではないだろうか。
青柳瑞穂│「美」に命を賭けた美術評論家
詩人にして美術評論家・青柳瑞穂は、阿佐ヶ谷会の主要メンバーの一人。
というか、多くの阿佐ヶ谷会が、青柳瑞穂邸を会場として開催された。
趣味の骨董に関する随筆が多い。ピアニストの青柳いづみこは孫。
▶ 青柳瑞穂『ささやかな日本発掘』骨董品の蒐集に託された祖国を愛する気持ち
河上徹太郎│繊細な暴れん坊だった文芸評論家
文芸評論家にして音楽評論家。
井伏鱒二の作品を高く評価し、庄野潤三とも家族ぐるみの交流があった。
昭和28年には、福原麟太郞や吉田健一、池島新平と一緒に渡英している。
▶ 河上徹太郎『史伝と文芸批評』庄野潤三一家との交流や福原麟太郎の思い出
▶ 河上徹太郎『旅・猟・ゴルフ』白洲次郎や井伏鱒二が登場する文学エッセイ集
その他の文化人たち│粋なライフスタイルの実践者たち
▶ 小林秀雄『栗の樹』井伏鱒二『珍品堂主人』にも登場した男が愛した酒と骨董
▶ 花森安治『一銭五厘の旗』庶民代表だった『暮しの手帖』エッセイ集
▶ 團伊玖磨『パイプのけむり』柳沢きみお『大市民』的な大人のエッセイ
▶ 横山隆一『フクちゃん随筆』スタバの鎌倉御成町店が自宅だった漫画家のエッセイ
▶ 花柳章太郎『狐のかんざし』消えゆく明治・大正の東京情緒を追いかけた昭和の粋人
▶ 戸板康二『女優のいる食卓』ソ連・東欧・西欧紀行と大正・昭和の東京風物詩